旅の記録:キューバ共和国(2016年6月)

本当ならば他の国・都市と同様に、人生のどこかのタイミングでじっくり時間をかけて振り返るつもりでしたが、この国だけはあと数年もしたらガラッと変わってしまいそうなので、記憶が新鮮なうちに忘備録として感想を書き留めたいと思います。興味のある方は読んでみて下さい。1USD=1CUC=約25CUP

【全体的な感想】

この時代において未だに社会主義体制を維持しているキューバという国に対して、当初からミステリアスな国という印象を持っていた。学校は、会社は、休日の過ごし方は、本当に格差は無いのか?キューバへはメキシコシティ国際空港から向かったが、未明にも関わらず国営クバーナ航空の受付前には大量の荷物とそれを囲う人々の長蛇の列が出来ていた。それは中国人観光客に匹敵するほどの爆買いをした裕福そうなキューバ人だった。彼らがメキシコで買った商品を見てみると、SamsungのフラットTV、Hisenseのエアコン、乗用車用タイヤ、そしてキティちゃんの巨大なぬいぐるみ。社会主義国キューバでは良いものは海外でしか買えない、ということを早くも実感した。

彼らがどのようにして外貨=CUCを手にしたのかは分からないが、もし仮にキューバ政府認定の民宿Casaの運営によってだとしたら、今回彼らが購入した最新の薄型テレビやエアコンによって宿泊施設としての魅力が高まり、より高額な客単価を設定することにより更に彼らの収入が増えるという、「富むものがますます富む」資本主義の一面を見たことになる。もちろん彼らの収入は労働者から搾取したものではなく、外国人観光客から得たという点でマルクスの指摘した資本主義の矛盾とは異なるが。

キューバ名物の1つ、クラシックカー。日本の団塊の世代に当たるおじさんたちが少年時に憧れた車が現役で走っていた。今にも止まってしまいそうなエンジン音と如何にも体に悪そうな排気ガスを出しながら走る光景を目にすると、プリウスなんかあと100年くらい走りそうなものだが、実際には最近の車はメカニカルというよりエレクトロニクス+ソフトウェア製品なので、それは難しそう。何十回と塗装を繰り返されたボディに加え、車内はUSBメモリーから音楽が聴けるように改造されていて、キューバ人のものを大切にする心と創意工夫能力の高さを目の当たりにした。

キューバで社会主義的な空気を感じたかといえば、やはり感じた。それは後述する23歳の男性に典型的だが、人間、特に若者のエネルギーが抑制されているような印象を受けた。そしてキューバの至る所で感じるモノ不足。それは食卓に顕著で、僕が滞在した家では基本的にご飯+鶏肉or豚肉で、味付けは塩のみ。付け合わせにサツマイモやキュウリがあるくらいで、正直3日目くらいで飽きてしまった。しかし物がないキューバにあってほぼ唯一「腐るほどある」ものがマンゴーとバナナで、食事の際には毎回作りたてのマンゴースムージーを飲むことができた。住宅街では食べ終わったマンゴーがその辺に捨てられていて、それを野良犬が食べ、さらにその残りをハエが食べるという見事な連鎖を見てとることができた。飲み物を取るついでに冷蔵庫の中をチラッと見たが、水とカットされたフルーツ、冷凍のソーセージくらいしか入っておらず、買いだめという習慣もなそうであった。トイレはドミトリー、滞在先の家、革命博物館、Barの計4カ所を使用したが、いずれも便座が付いていなかった。便器には便座を取り付ける穴のようなものがあったため、数十年の使用を経てプラスチックの便座は何処かへ行ってしまったのだろう。しかし無ければ無いで慣れてしまうもので、カンクンに戻ってからも何度か便器直座りをしてしまった。

街中には主に国内の工場で作られたり、輸入された商品を扱う店舗がいくつも存在し、いずれも現地の買い物客で混雑していた。そこではCUCで値付けされた食品、お酒、シャンプーなどの日用品が並んでいるのだが、どのカテゴリーも種類は数えるほどしか無く、消費者の選択肢は非常に限られたものであった。

街中ではスマートフォンを手にする人々も見られ、決して珍しいものではないようだった。しかし電波や回線が脆弱なためか、街中の公衆電話は常に誰かしらが使用しており、その稼働率は間違いなく世界一だと思った。GoogleやTwitter、Facebookも使用できるようなので、彼らの住む社会が世界的に見たら珍しいことも承知しているはずだ。デジタルカメラは彼らにとって高級品の代名詞のようで、街中を歩いていると「チュクシ!チュクシ!」とシャッターを切る音にしては不思議な擬音を発しながら僕に写真を撮ってくれるよう何人かの若者が近づいてきた。

住宅街はまるで廃墟のようだったが、そこにストリートチルドレンはおらず、ホームレスも全く目にしなかった。時々子どもたちが手を差し出してきたことがあったが、その表情に悲壮感は無く、「お金(CUC)持ってるんでしょ、ちょうだい」という感じの軽いものであった。

【滞在先の人々】

今回は諸事情によりハバナ市の民家に6日間宿泊し、キューバの日常生活を垣間見ることが出来た。その家は旧市街地から歩いて30分ほどの住宅街にあり、60歳過ぎのアフリカ系キューバ人のおばさん(以下豪傑おばさん)が一家の中心であった。

僕が彼女を豪傑おばさんと呼ぶのにはもちろん理由があって、それは道端で行き倒れている見知らぬ日本人を格安で家に泊めてきれたことや、家の中をいつも裸足で歩き回っている様、そして暑さのせいかいつも着ているTシャツの裾を捲り上げ、飛び出したお腹を誰彼構わずに見せつけている姿から、「豪傑」という日本語がピッタリであったからだ。

その息子さんと思われる23歳の男性も同じ家に住んでいて、彼は国営の食料品店に平日の朝8時から夜8時まで勤務している。彼は英語が少しだけできるため、僕の滞在中に通訳を買って出てくれた。彼に街中を案内してもらっている間、「 I like working.」という今の僕には耳の痛い言葉をぶつけられ、さらに「I don't like socialism. I like capitalism.」とこちらの予想に反したことを次々と言い出した。彼はお金を貯めてメキシコやカナダに旅行したいのだという。僕が今まで多くの博物館に行って思うには、グレートジャーニーや大航海時代、そして宇宙開発と、人類の歴史は「より遠くへ行きたい」という願望によって発展してきたということだ。ちなみに彼の月給14CUCではその夢は叶いそうに無いが、そんな彼を慰めるかのようにこの国は嗜好品に満ち溢れていた。コーヒー、タバコ、葉巻、マリファナ、マジックマッシュルーム。特に葉巻はキューバの特産品でもあり、街中では外国人観光客に葉巻を売り、外貨を獲得しようとする者が散見された。

豪傑おばさんの家には恐らくその娘さんと思われる、僕の滞在中に30歳を迎えた女性も同居していた。彼女の誕生日当日、机に上に綺麗なマットを敷き、その上に壷やらキリスト像やらを置き、その周囲をありったけの装飾品で飾り付けて祝福の準備をしていた。その後、その机の前でうつ伏せになってマラカスを振るという滑稽極まりない儀式が始まり、何故か僕も一緒にマラカスを振った。一通りの儀式が終わると、一体どれ程の量の砂糖が使われているのかと思うほどの甘い巨大なケーキを皆で分け合い、家族・親族で日本でいう三十路を祝福していた。ちなみに彼女はいつも家にいて、Windows7を搭載した20年近く前のSamsung製デスクトップパソコンでゲームをしていた。

豪傑おばさんの家に着いてすぐ、5歳くらいの男の子が僕に近づき、大リーガーがよくやっているお互いの手のひらを合わせたあとに拳をぶつけ合う儀式を僕と交わし、そのまま無言で立ち去っていった。また同じく5歳くらいの女の子はおもむろに僕に頰に顔を近づけ、耳元で軽く「チュッ」と歓迎の意を表した。僕は突然の出来事に呆然としてしまい、彼女が立ち去った数秒後に「Gracias...」と呟くのが精一杯だった。キューバの子どもたちにとってアジア人は珍しいらしく、どこか不安げな表情を浮かべながらも持ち前のオープンマインドなスキンシップに感動すら覚えた。

【最後に】

ついさっきまで生きていたと思われるヤギを山積みにした軽トラが街中を走っている一方、沿岸沿いにはアメリカ系高級ホテルの完成予想図が大々的に張り出されている。この国が刻一刻と変化している様子を感じた1週間でした。ハバナ市は人口200万人を抱えるキューバ最大の都市でありながら、コンビニ、マック、スタバといった外国人観光客の避難所と呼べるべき場所が一切無い。それと同時にインターネットに繋がらない現代の異空間であり、久しぶりに旅をした、という気持ちになりました。そしてハバナよりももっと小さい、外国人観光客が来ない町ではどんな生活が営まれているのか。これほど好奇心を駆られた国はありませんでした。

最終日、豪傑おばさんと僕はタクシーを3台乗り継ぎ、ハバナ空港まで一緒に向かいました。出国ゲートの前で熱い抱擁を交わし、言葉は通じずとも表情やジェスチャーで最後の別れを惜しみました。彼女からはスペイン語、それも筆記体で書かれた手紙をもらったので、時間があるときにGoogle先生の助けを借りながら解読したいです。

明日からは数ヶ月ヨーロッパに滞在する予定なので、アメリカが誕生する前の社会(つい260年前)に思いを馳せながら、各国・各都市を周ってみたいと思います。



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