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サマー・メイク・ブルース/仕舞いのレッスン~実用編

朝いちで用があって銀行へ。
外は午前中なのに信じがたいほどの灼熱地獄!倒れるかと思った。全身汗だくだ!
逃げるように帰ってきてすぐ部屋をクーラーで冷やす。その間、たまらずシャワーを浴びた。上がって、でもタオルで拭くそばから汗が噴き出してくる。
部屋に戻る。ふう、と一息。クーラーが本当にありがたい。さあ、メイクをし直そう・・・・・


できない。
体温が上がり過ぎてしまっている上ホットフラッシュで、汗が止まらない。朝出掛ける前につけたファンデだって、さっきバスルームで見たら完全に消滅してたし。
もう、ただただテカテカする顔だけが鏡の中で困っている。
ああ。この夏にメイクして一日中外で頑張る世の女の人たちのことを考えると、自分まで暗澹たる気持ちになってくる。みんなつらいよなあ。直すそばから、肌はヒサンなことになるよね。
そうだ!私はぽんと膝を打った。
こういうことならプロに相談。
私は鏡に向かって呼んだ。
「あさづま太夫う!ちょっと出てきてくんなーい?」


鏡の中に、あでやかな女がすうっと立った。
「はい、ここに」鈴を振るような声で、あさづま太夫が返事をした。
「とりあえず出てきてよ。お茶入れるから」


つめたい緑茶をグラスに二つ入れて戻る。手渡す。
「あのさあ。あさづまの頃って、夏場のお仕舞い・・・化粧、『けわい』っていうのかな、どうしてた?鎌倉時代じゃん。クーラーなくて暑いでしょ。もう現代の日本の夏って、ハンパなくて。汗止まんなくて化粧できないの」
あさづまは、お茶のグラスを脇へ置き、部屋の中央にふわりとあさぎ色の紗の着物のすそを広げて座った。不思議そうに言う。
「でも、ここはとても涼しいですが」
「これはエアコンって言って、夏を涼しく、冬をあったかくするカラクリ仕掛けなの。これがないとほんとに人が死んじゃうんだよ。毎年たくさん死ぬんだよ」
「ええ?まさか」
「ねえ、もー汗止まらないの。更年期もあるんだけどさあ。あさづまは、夏場も白粉(おしろい)つけてたよね?」
「つけておりましたよ。ただ、見世(みせ)が開くのは夕刻ですから、その少し前ごろに化粧をしておりましたが」
「あー、そっかー」


「イオの化粧の道具は、変わっていますね」
「これは、日焼け止め。安いの。500円しなかった」私はあさづまの、雪のように白い肌を見た。
「いま、ノーメイクだよね。肌、白いねえ」
あさづまは、少しさびしそうにほほえんだ。
「私はあまり、外に出られなかったのです」
私は彼女の、遊女としてとらわれて死した短い生涯を想い、しゅんとした。


あさづまはそばへ来て、私を元気づけるようにまた訊いた。
「これは筆ですか?」
「眉墨。眉の形も時代によって流行りが変わるから、描き方気をつけてないといけないの。今はちょっと太めがいいのかな」
「この銀の金具のようなものは?変わった形をしていますね」
「ビューラーっていって、まつ毛を巻くの。これは頬紅。これは口紅」
たおやかな手に取って、しげしげと眺める。大きな黒い瞳が女の子らしい興味に輝く。
「まあ、なんと麗しい色でしょう。初めて見ます。赤とは、違いますね」
「ローズ・・・赤と白を混ぜた感じ。うーん、紅梅のような色かなあ?」


そしてファンデのパクトを手にする。
「なんと!こんな小さな鏡。私がいつもここに来る、そこの・・・世界がそのまま映る鏡は特別なものだと思っていましたが。・・・これは白粉ですか?」
「そ。これが問題なの。この汗じゃ流れちゃうよ。みっともないもん。どうしよう?」


「イオは、今日これからお仕事なのですか?」
「あ・・・いや、さっきたまたま銀行行っただけで」
そうね。ハローワークが役立たずと分かったら、職を探すのに外を出歩く必要はほとんどない。ネットで事足りる。
それに今んとこ私の生活、書くこと中心だからなあ。私は考えあぐねた。
そうよねえ。そもそもまだ働いてさえいないのだ。
「ここでお仕事をしてるのですね?お客を取るのですか?」
私は言葉につまった。
「う・・・まあ、家の仕事だけど、客は取らない。私、もう浮気できないし」
あさづまは、ほほえんでこともなげに言った。
「涼しいここにいて人に会わないのならば、化粧をしなくてもよいのでは?」
私の頭に、電球が点いた。
「あ。そっか」


「でも、日々の習いだから薄化粧はしたいな。お粉だけつけないことにする」
私は言って、鏡に向かって、始めた。あさづまが鏡の中の私を、わくわくするような顔で見つめる。
日焼け止めは薄い紫がかっていて、自然な肌色に見せてくれる。よくのばす。そう、指を広く使って優しく、花びらを撫でるようにやわらかく。
それから、眉。すっすと引いていると、あさづまが、後ろから助言してくれた。
「イオ、眉山からのせていくと、うまくできますよ」
「あ、ほんと?」


眉山に筆を置いて、そこから引いていくと、確かに左右のバランスが取りやすい。
「ほんとだ。ね、あさづまはさ。白粉はたいて、崩れたりしたらどうすんの?」
「はたきはしませんよ」
「は?」
「わたくしのような遊里のものが仕事で肌を白くさせるには、白粉を水に溶いて塗るのです」
「あ!そうか!そういう時代かあー」
「それならあまり崩れはしませんが」
「でも、でも、そのう・・・お仕事でああいうことしたら、崩れるじゃん?」
あさづまは察したのか、しどろもどろになって、ほほを赤らめた。
「閨(ねや)のことでしたら、夜はろうそくの灯りですし・・・。お人によってきぬぎぬ(翌朝)過ぎまでのことなら直すことも時にありましたが・・・」
私はしばらく逢えない恋人との、その、そっちのことを思い出し、ほほを赤らめた。


あさづまは押しも押されぬ看板だった。そりゃあ上手かったろう。なら、あんまり汗かかないで済んだのかな?でも、畠山重忠、想い人となら本気だからそりゃあもう・・・。


「そう・・・イオは描くの上手ですよ。・・・まあ、まつ毛が巻き上がった!そうやって使うのですね」
私は絶世の麗人の優しい言葉で、いい気分になってくる。それにあさづまは純粋で、嘘の言えない娘だ。ほんとうに感心してくれているらしい。
「でね。このワセリン、もとい膏薬で唇をしっとりさせてから、仕上げにこの紅を、棒のまんま軽うくのせて、口をまむまむして・・・出来上がり。私流だけどね」
「イオの化粧は、ずいぶん早く仕上がるのですね!イオ、綺麗です」
「いや、えへへ、そんなさあ。あなたに言われてもかたなしだよ。あさづまは並ぶ者がいなかったくらいの美人なんだしさ」
「でも。イオは、好きなひと、いるではないですか」
「うんいる」
「お仕舞いは、それがいちばんのもとで、いちばんの仕上げです」
私は、ほろりとなった。


「ねえ肌、白粉つけなくて、おかしくない?」
「よい肌です。イオは、いくつなのでした?」
「48」
「は!?」
「あなたの頃で言ったら、もうおばあさんなんだよ」
「・・・そうなのですか。時代が違うのですね」
「若い頃は何も考えなかった。綺麗な肌も、たるんでない顔も、当たり前だって思ってた。40過ぎぐらいまでは女はまあなんとか見られるものなのよ、現代じゃね。まあ、この歳になるとさすがに悲しくなる時はある。でも・・・、そうなんだよね。夏だろうが冬だろうが、幾つだろうが、好きなひとがいる限り綺麗になるよう頑張るもんね、おなごはさ」


仕上がった所で鏡から目を離し、ふと机の上を見た。少し、ため息。そこに置いたままの、不採用で返送されてきた履歴書。
折ってびいっと破いて、メモ紙にした。もう一件は、先週末の応募の連絡待ち。
まだまだ先は長い。本番はこれからよ。うん、無理せずマイペースで行こう。


さて。鎌倉時代のマブだちを呼んだんだ。決めた!今日は涼んじゃお!ここならファンデつけててもOKよね。それで?
「あさづま。飲もっか」
「はい」
「飲みながらお化粧ごっこしようよ!この口紅、つけてみない?絶対似合うよ!」
「ほんとうですか?つけてみたいです!いいのですか?」
「つけようつけよう!それからこっちのチーク、パールが入ってるの。真珠だよ!」
私たちは、にっこり笑い合った。窓の外を、梅雨明けの、金色の太陽光線が満たしている。暑くなるな。
そろそろ恋人用のてるてる坊主さんを仕舞わないと。またあのひと、「ゆでタコです!」になってきてるから。


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南条 イオ

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