生まれ月

私はこんげつの初め、苦しく生まれた。呼吸が難しかった。
専門家のひとたちは、ガラスケースに入れなければあぶないかもしれない、と言った。
私は家に帰って、この家を出てかなきゃならない、と言った。
初期費用は、ついに親が用立ててくれる運びとなった。


そして私は休まず走り続けた。
西へ東へ。南へ北へ。お医者さまへ行き、役所に行き、不動産屋さんに行き、友達に会い、街角のひとをつかまえて訊いた。
私の住みかを、どこかでみかけなかった?
ええ、まだ住んだことは、ないけど。


家に帰ると、こわい音。それはしばしばめぐってきて、私はふるえる。
これはいつからだろう。いくつのときから?
ああ、みっつの時。たまに森をゆるがす電車の音とおんなじだ。
怪獣だと思って、森のなかで、いつも一人、耳をふさいでしゃがんだ。こわくて。


私は走り続けた。あの電車怪獣に食べられちゃうまえに、走れ!もう時間がないんだよ!
そして、そのために生まれた。
今月ついたち、私は生まれた。
血まみれになって、息も絶え絶えに。


走っていると、あちこちに、秘密のサーチライトが動いてるのがわかってくる。
抜け穴はこっちにも、あっちにも。
さあ、ずるく立ち回るのよ。フカすのとくいでしょう、イオ。
あなたステキね。ねえ、教えてほしいの。実は私ね・・・。ライトが私を見つめる。


そうやってサーチライトを集めると、スポットライトになった。
道がひらける。生まれて初めて見る、花道。
そして、ただひとつの、逃げ道。
そこを正々堂々渡って、正面扉から逃げて行け。


障害者わくで登録したあのまちのハローワークで、私はどんな曲だって歌ってみます、と、こわいけど言った。
楽譜がプリンタから次々と打ち出される。
勤務地、職種、給料に勤務時間。やったことない、これも、これも。でもやってみなきゃわかんないでしょ。
最終的にどれもだめなら、もうエース・イン・ザ・ホール(最後の切り札)は持ってるもんね。
ちゃんと、袖の下に隠してる。ちゃんと、とっておいたのよ。


今日も、ごはんも食べずにへとへとで、そうそう、履歴書としょくむけいれきしょとやらを買わなけりゃ。係の人は、文房具屋さんにあると思いますよ、って言ったけど、ねえ。
このご時世、文房具屋さんなんて絶滅危惧種よ?
探しながら、ああ、写真を撮らなくちゃいけないんだ、と気づいた。
私はスマホでかれを呼び出した。
駅前のマックで落ち合うことになった。

「ごめんなさい、急に」
マイアングは透明な水のように現れた。いつものように穏やかに、ほとんど聖人みたいなほほえみを浮かべて。私はかれのコークを、手を添えてかれの方へ寄せた。
「仕事、決めたの?」静かな、ほほえむ、声。
「まだこれから。でも、やってみなきゃ。再出発よ。この歳にしてね」
「僕はアルバム作るたびにいつも再出発だよ。この歳なのにね」
「白髪にしたのね。染めないんだ」長い銀髪が、とても、綺麗。アーティスティックで、気品がある。
「うん。なんだかね」
「あなたらしいわ」
「ありがとう。イオ。わかってるよ」
「ええ、そうなの。あなたの許可が欲しかった」マイアンは私の手を取って、自分の隣に座らせた。自然に体をつつみ、そして、かれと同じくらいに伸びた私の長い長い髪を、そっと撫でた。
「ええ。そう。願掛けよ。あなたにあやかって」
「だいじょうぶ。かなえるのだから。イオ。もういいよ。切りなさい」
私はかれの胸に倒れ込んで、声を殺して泣いた。
「いつもすきよ。いつもいつも」
「僕もだよ。いつもね。お金が入ったら、Systematic Chaos、買ってね。イオあのアルバムすきでしょ」
「けち。くれればいいのに」
「だーめ」
私たちは、笑った。
「ね、マックシェイク飲みたい。マックはきらいだけど、あればっかりはすきなのよ」


千円カット。ええ?1200円?200円はよけいだけど、カットに4千円も5千円もかけられない。
入ると手持ち無沙汰そうな三人の理容師さんが、ウェルカム状態。10分で終わるんですって。それはいいわ。美容院で高いお金を払っていつまでもぐじぐじカウンセリングされるより、よっぽど気持ちがいい。
座らされ、ケープをまとわされる。私の髪。まっすぐ。長く、長く。2年の月日。
マイアン。マイアン。マイアン。ごめん。ごめん。ごめんなさい。あなたのためだった。
あなたを好きになってから、一度たりともはさみを入れなかった。
でも、願掛けだったの。あの家を出るためのきっかけがいつか得られたら、そしてそれを始められたら、・・・・・でも、時は来てしまった。もうあとには引けない。


理容師さんと明るい世間話をすすんでしたのは、外科手術のようなそれを直視できなかったから。
私の背中が、寂しさを訴える。黒髪が去る。やめて、それ以上は切らないで。
私はまだ女でいたいの。
マイアン。私は眼をつむる。


S。人生最後の恋人の笑顔が、頭脳の中に、花火のように大きく咲いた。
私は眼を見開いて、ほとんどおどすように言った。
「あの!もう、それ以上は、いいです!」いとしいひとよ、あなたが梳くための髪は、これ以上短くはできない。背に長く流れていなければならないから。
ありがとうございました、と席を立ち、私はすべって転びそうになった。
驚くほど長い、日本人形が何体も作れそうな私の髪が、床に落ちていた。


ああ、もうだめよ。限界。今すぐビール飲まないと死んじゃう。お昼もまだ。
ビールに、酎ハイに、それから書類に・・・・・
生まれたばかりの体への強行軍は、さすがにこたえてきた。


帰って、トマトソースのパスタを作った。
いつものようにカウンターでほとんど座りもしないで、すすりあげる。
ラーメンじゃあるまいし。でも、時間がないのよ。時間がない?当然でしょ、いちばんには書くことよ!そればっかりは、絶対、どんなことがあったって、やめやしない。いくらでも。私のゆびは、どうしたって言葉の出血が止まらないんだから。私の心は、生まれつき躁うつ病のうえに血友病なんだから。


パスタ。上手くできたのに。おいしいとかわからない。でも無理にでも食べなきゃ。倒れたらまずいわ。これ以上痩せられないし。しっかりするの。
ああ、いつか、私の小さなお城で、ゆっくり作ったパスタを優雅に食べられたら!
アメリみたいに。
私、パスタだけは得意。たいがいのソースは作れる。キッチンの関係でできなくても、きょうびは美味しいレトルトがあるもん。


ゆっくり、たべたいな。美味しいって、思いながら。
ああ、すてきな誰かと。
あのひとと。笑って、笑って、永遠のランチを。終わらない、真昼の語らいを。
いつまでもフォークにくるくる巻きつく、こがねいろのパスタ。
いつまでも舞い落ちる桜。
いつものように愛しげに私をながめる二つの瞳。


待っていて。


そのヴィジョンと、かたかた可愛く笑う私の小さな相棒が「早くおいでよ!」って言ってる。相棒がささやく。ディスプレイにハートをいっぱい、映し出して。
「ねえイオ、ここから出よう。あたし知ってるわ、あの部屋を。狭いけど、いいとこよ。そして何よりいいしらせ。あの部屋ね。窓に格子がないわ。自由に開けられるのよ」


私は今年七の月、ついたち生まれの植物で、烈しい意志を持っている。
まるで龍のように抑えられない。
おおきなつぼみをつけた。あり得ないと思っていた。
黒髪の殻を20センチも落として、つぼみははじけそう。夢が入っているの。
もし、咲けずに落ちたら?


それは、その時。やるだけやるの。あとは、知ったことじゃないわ。


「イオちゃん、髪、可愛い」
「ほんと?」
「キレイ、キレイ。可愛い。うふ」
「うれしい。あのね、今度」
「うん、行こうね」
閉じていきそうな意識の中で、Sが私をひょいと抱え上げる。いつもするみたいに。


それは、その時。そして私は、生まれたばかり。

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南条 イオ

恋、書くこと、音楽三昧の言葉屋。のんきに優雅にげんきよく。そして、今日を大事に無事に笑顔だよ!

あそびめの恋

遊び女の、恋のつれづれ。恋の悩みと喜びは永遠、そして人生最大のおたのしみです。
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