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恐怖を力に変える方法

今朝。
胸の奥、中心に、黒く重く熱いものがあって、去らない。
これは、『恐怖』という名前のものだ。実際に痛みも感じる。
頓服を飲む。


木曜の朝、ハローワークの紹介になる就労支援施設に見学に行って、「はなからダメ」だと言われぼろぼろになった。
やり方を変更しなければならないと、障害福祉サービス受給者証を取得せず、精神障害があることも伏せて、普通にパートに就くことにした。


昨日、1件、WEBで応募した。中高年の女性が活躍できる、未経験もOKの清掃業。
行きたい市(川崎)での時給は1,200円、週5で土日祝休み、勤務時間は3~7.5時間。
これなら。いけるかもしれない。ダメなら、またこれに近い仕事を探してみよう。掃除は好きだもの。
やるんだ。
この家から出るために。それしかないなら。
精神障害なんて、だまっていればいい。


そっちで仕事を得て引っ越しさえすれば、転入した市のほうで生活保護も障害者支援も受けられる。その時点で「引っ越しできる口実」の仕事をすぐやめたってかまわない。
むしろそういう手口を使うことをもくろんでいる。私の心身の問題を解決するための、今ここから脱出するための救命ポッドがそれなら、迷わない。乗り込む。


元夫のペロルと久しぶりに会った。私が焼肉焼肉と騒ぐので(笑)優しい彼がおごってくれることになったのだ。
職場見学がダメになり、精神的にズタボロになって行った精神科は案外早く終わり、その足で住み慣れた、元生活していたアパートに向かった。


今年の2月、うつの精神障害に加えて(知能障害ではない)、日常生活に支障が出る身体障害をも得てしまったペロルは、気持ち的にもとても弱っていて、それは私の心も曇らせる。
でも彼は今、料理を作る喜びに目覚め、ネットで紹介している写真にはかなり反応もあり、それが心の支えになり始めている。私はとても、ほっとしたし、喜ばしい気持ちになった。


そして焼肉屋に行った。
結婚中、私が焼肉を食べたがりたまに行くと、彼は焼肉がどちらかというと苦手で、箸をつけなかったものだったが、今回初めて彼は焼肉を食べた。美味しい、と言って食べた。
私はとても嬉しかった。
初めて一緒に焼肉を食べられたと。
何度も決裂状態になったペロルと、「新しく友達になれた」ことも。
そして、久しぶりにアパートに泊まった。
「友達」としてだけれど、おおいに飲み語らい、楽しい時間を過ごした。
そしてまた怒鳴り合いになったりして、「ああ、やっぱりこういう相性だったんだなあ」
と改めて思い、少し悲しくもなったけれど。でも、障害を持つ者同士としての10年来の親友に戻れたのは、やっぱり嬉しく心つよく思える。
精神的な友達の支えが私たち障害者にとってどんなに大切か、私たちは痛いほど知っているから。


料理上手なペロルの用意してくれたたくさんの美味しい食べ物が、嬉しかった。
ふだんひどい貧しい食生活を送っている私のために用意してくれた。私は彼によっても生かされているし、栄養をたくさんもらった。
ありがとう。それぞれお互い、がんばろうね。
また焼肉に行こう、親友のペロル。あなたがかつての元気な子犬、ペロ(子犬)のように笑い走れる日は必ず来るよ。


恐怖は、こうして書いているとじょじょに薄らいでくる。


先日親友、Tが送ってくれた太宰治の『人間失格』をディープに紹介する動画で、そこに登場するあるキーワードが私の心のはるか昔から穴をあけ、今も時に痛みを訴える大きな傷に再びスポットライトを当てた。私は改めて、その障害についてウィキで調べてみた。
熟知しては、いたけれど。


はっきり言って、直視するのがあまりにもつらかった。
絶望的なまでに、その症状が自分に合致することが、恐ろしくてつらくてたまらない。
ああ、この状態を、この症状を、この歴史を、この治療を、この性質を性格を、私はあまりにも実感しながら生きてきた。生きるのが時に死ぬほど苦痛だった人生を生きてきた。
私はそれにとらわれた。そして久しぶりに、この重い黒、恐怖と不安にかられている。


Tが悪いのではまったくない。彼が悪いのではない。彼はおそらく私たちの共通点であるそれに対するある興味深い視点を示してくれただけで、そしてただ私が、そうであるだけで。


でも、改めて認めるのはつらかった。事実を。それが恐怖とパニックを呼ぶだけ。それが躁鬱の障害、つまり双極性障害Ⅱ型という病気と絡まって、私の中にある。
そういう、人生を生きてきた。ここまで。


Sの言葉を想い、心を強くするように心がける。

「イオちゃんは強いんだよ。おれと同じで、ここまで生き残ったんだから」。

そう、Sも私も、ここまで生き延びた。Sは負けない。立ち向かい続ける。
私もこんなことで負けない。どんなあざといパンチを繰り出してでも相手からKOを奪うと誓った。
それをやり遂げる。
そうしなければSの顔が立たない。Sへの敬意と感謝、そのために、どんなに・・・こうしてつらくても、私は負けない。
やり遂げる。


船の底には見たくない穴、オール使いは下手。でもここまで沈まないで奇跡的に進んできた。Sと同じように。私たちは「生きてきた」、というそれだけで強いのだ。
それを教えて私を開眼させ、夢や強さを示してくれたSに恩をきちんと返し、笑顔を向けたい。ありがとう、愛してる、と。最高の笑顔でお返しをしたい。


こうして書くこと。これが、精神を落ち着かせる。頓服も関係あるのかもしれないけど、私の各種依存症の中で唯一「取り入れるインプット」ではなく「表現するアウトプット」である作文中毒。カウンセラーの先生が「その依存症だけは持っていてね、それはとてもいいの」と言ってくれた唯一の依存症。つくりだすこと。
アウトプットすることで、表現することで、その舞いを舞うことで、私は心の中の悲しみとつらい黒い物語をも吐き出してしまえるのだ。それは十分、舞いになる。楽しく美しくさえできる。もっといいのは、同じ苦しみを持つ人々にすこしでも光やぬくもりをあげられる可能性もあることだ。


「見て。ほら、こんな踊りがあるの。あなたも知っているでしょう?恐くはないのよ。
恐がってたっていいわ、私もそうなんだから。でもこれを楽しさ美しさ強さにだって、変えてしまえる。私もあなたも持っているこの黒い重ささえも、こんな風に遊べる。
だからこんなことで絶望に喰われないで。魂を喰われないで。もしあなたが今つらいなら、ただ私の踊りを眺めてみて・・・私、いっしょうけんめい踊るから。こんな踊りもあることを、眺めてみて・・・もしそれが少しでもあなたの心の慰めになるなら、私はいくらでも踊り続けるわ」


夏空が、昨日ついに現れた。今朝も。
そう、この夏の天の青。澄んで、光をいっぱいにたたえて、夢のように雲を動かして。
この天空を、私は知っている。
2年前、私が始動した夏の空だ。
すべてが始まる。
いつだって、すべてが、今、始まる。


さあ、綺麗に可愛くしよう。ごはんを食べよう。1日を生きよう。体も休めよう。
Sが導いてくれた、過酷であっても誇りのための戦いを休み明けに再開するのだから。
弱い恐がり屋の精神のまま、それだって抱えたままでも立ち上がって闘いに行くのだから。
神さま、S、力を貸してね。私が倒れても倒れてもまた立ち上がるための力を。

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南条 イオ

恋、書くこと、音楽三昧の言葉屋。のんきに優雅にげんきよく。そして、今日を大事に無事に笑顔だよ!

ある精神障害者の奮闘記

躁鬱。障害2級、年金、無職、バツ2出戻り、アラフィフの50、80の親元。依存症に境界性人格障害。 でも、もう一人で自由に生きていきたい。夢もある。そうしなきゃ絶対後悔する。もう、あとどれくらい生きられる?世を人を自分の人生を呪って生きるのは、もういやだから。 障害を抱えて...
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