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救済するもの


セッションをしていると
最初から核心を突くような問題点が出てくることはあまりなくて
カウンセリングに通い始めて、1年、2年と経ち
ひとしきり周りの問題を解決していくと
いよいよ本題となる向き合うべき本題に入る。

さあ、ここを超えれば大きな壁を超えられる。
この壁の向こう側には新しい世界が・・・。

という直前になると多くの人が逃げる。

強い抵抗が起きるのだ。

特に自己愛傾向がある人は顕著だ。

クライアントの変わりたいという欲求と
変わりたくないという欲求が後ろ髪を引く。

クライアントの中の幼い子供が大人になることを拒む。

こうなると癒しや救いというのは
セラピストやヒーラーが行うのではなく
クライアント自身が自分を救うのだということに改めて気付かされる。

昔のわたしは自分が助けてるつもりでいた。

確かに助けてる、サポートしている部分もあるが

促しているという方がしっくりくると思う。

本人が癒されることを望んでいない場合、
こちら側がどんなに頑張っても救われようとしない。
自分が好むストーリーに固執しているからだ。
そして本人はそのことに気づいてはいない。

ここ数年、自己愛性について調べ、
それを学ぶ必要性についても考えた。

そこで導き出された答えは、

誰かに対してもっと出来ることがあったのではないか
と悔やむことがあったとしても
どうやっても出来ないことがあるということと

全ての人が話せばわかるというわけでもないし

分かり合えないと思ったら無理強いせずに
立ち去ることを選ぶもよし、距離を置くのもよし。

その人のあり方を尊重し
同様に自分のあり方も尊重するということだ。

進化の行程には
人智では預かり知れぬところがあり、
はたから見て明らかに退化しているように見えたとしても

魂の進化という大きな括りにおいては
それもまた進化のプロセスの一環であるかも知れないからだ。

出会うべき人とは出会い、時期が来れば離れ
共に歩む人とは共に歩む。

なんの強制もせずあるがままに任せること。

そして誰かを愛する前に
ありのままの自分を愛することの大切さ。

かっこ悪くても、上手く出来なくても、情けなくても
そのままの自分を愛し、受け入れることの重要性だ。

愛とはそれに尽きると言っても過言ではなく
無条件の愛を持って
ようやく真実の愛に巡り会える。

Suiren.Echo







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