【1日1読】私が眼で見なければ世界は止まっているのか? リルケ『時禱集』
私が眼にとめるまで何ひとつ完成されてはいなかった
すべての生成がとまっていた
私の眼ざしは熟れている そして花嫁のように
どの一瞥にもその欲する事物(もの)がやってくる
リルケ『時禱集』より
私たちは物を見る時、暗黙のうちに、その物が自分自身とは独立していて、それを自分の視覚で捉えている、と信じて疑いません。
しかし、実はこの世界では物事に「完成」をほどこす主権が自分にあり、この眼球で捉えた時に初めて物事が成長し始める、と考えるとすると……見える世界はどう変わるでしょうか。