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小山田問題と90年代の時代性

小山田!FPM田中さん!コバケン!

なーんも期待しちゃいなかったオリンピックで唯一の楽しみができたのが7月15日のこと。そこからの顛末は周知の通りだが、当初の発表から未だ10日も経っていないという事実に改めて驚かされる。いや、流石に急展開すぎだろう。

小山田圭吾のイジメの話は遥か昔に聞いた記憶があった。確かに当時でもドン引きはしたが、いつの間にか頭の片隅に追いやられ、今回話題になった事で久々に思い出した。

言うまでなく、いじめは最低である。しかしそれよりも今回、小山田圭吾が27年も前のインタビューについて謝罪せざるを得ないばかりか、キャリアを台無しにするほどのダメージを受けた事の衝撃の方が大きい。1994年発売の雑誌なんて、当然絶版扱いである。それが今になって引っ張り出され、社会的に大きな制裁が下される。率直に言って、とても恐ろしい。

今回「いじめは犯罪だ」との声が多く挙がった。誌面にあった行為自体は事実ならば犯罪に近いものだが、だとしても時効は過ぎているし、小山田の実際の学生時代を考えると掲載よりも更に時期を遡らなくてはならない。これほど前の出来事が新しく問題になるのは、芸能史上においてもかなり稀な事ではないかと思う。

彼はそういった過去を自覚していながら何故このような大役を引き受けてしまったのか、そして組織委員会は何故チェックしなかったのかという声も聞かれた。もっともな意見ではあるが、現在の集中砲火ぶりは想像していたレベルを余裕で超えているのだろう。実際、今より遥かに部数が出ていた頃のロッキンオンジャパンやクイックジャパンがそんな記事を出しても議論までには至らなかったわけで、今回の時を超えた騒動の異常性をひしひしと感じる。

「当時はネットがなかったから広まらなかった」などと言う事もできるが、読者の反応がどうだったかぐらいはライターや編集者としてチェックするのが自然だろう。中には不快に思う人もいたにせよ連載がそのまま続いたという事は、やはり問題というほどの認識には至らなかったのだろう。しかもこの長きに渡る出版不況においても、該当の2誌がともにきっちり生き残っているのは驚異的ですらある。しかしネット普及以前にネット以降の価値観を想像する事は困難であり、このような展開は流石に予想できなかったと思われる。

当時の小山田圭吾を取り巻くシーンや掲載された雑誌の性質を考えると、サブカル界に悪趣味・鬼畜の文化があったからだというのも一理ある。ただ他の見方として、YouTubeやサブスク、Netflixなどストリーミングサービスの普及も人々の意識に変化を与えているのではないかと思う。

一見関係ないようだが、そういったプラットフォームは今のものも昔のものも関係がない。それこそ新しいものは注目度が高く再生回数が伸びやすいにしても、我々は新旧どんなコンテンツにも同じようにアクセスする事ができる。だから若い世代がサブスクで昭和歌謡を聴いていても何も驚かないし、アマプラで1969年のサザエさんを見る事までできてしまう。

新しいものも古いものも同じように摂取するこの時代、出版に関しても絶版だから、過去の話だからという言い分は通らなくなってしまったのではないか。そういった時代の変化が、今回の件には影響していると思う。勿論、オリンピックというイベントの特殊な性質が大いに影響しているわけだが、こういった前例ができてしまった以上、今後他でも同様の事例が起きる可能性は十分にある。

今、小山田がダメならあの頃のあれだってまずかったのでは?と他の事例を思い浮かべている人が沢山いると思う。

界隈は違うけれど個人的に真っ先に思い出したのは、相川七瀬がHEY!HEY!HEY!で過去にタンスを盗んだと告白した件である。当時、自分も子どもながらにこれは言っていいのか?とは思ったが、ダウンタウンが面白可笑しくエピソードを引き出した事もあり、笑いながら見ていた。

最近部屋からHEY!HEY!HEY!のトーク本が出てきたので読んでみると、水口Pによる収録日の日記が掲載されており、当日の想いが記されていた。

なんと生まれは超ディープな大阪の鶴橋だとのこと。
コテコテの大阪弁で迫ります。
それだけならまだしもPUFFYのYUMIちゃんに引き続き
バリバリ・ヤンキーの過去が明らかになります。
さらに驚愕の事実が・・・・・・なんとその昔タンスを万引きしたことがあるとか。
皆さんタンスですよ、タ・ン・ス!
まあCDやお菓子、文房具の類なら理解できるのだが、
家具の中の家具王・タンスをこっそり持ち出すとは
いったいどういう方法を使ったのか?
その真実が今夜明らかになります。乞うご期待!

これを読む限り、番組責任者であるプロデューサーでさえも全くまずいとは思っていない事がわかる。そればかりか万引きについて、CDやお菓子、文房具の類なら理解できるとまで...!

正直なところ、小山田圭吾の件はサブカル界隈の異常性だけのせいではないと思う。当時視聴率20%を叩き出すほどのゴールデンタイムの人気番組で万引きへの言及が何も問題にならなかったあたり、時代そのものの空気は決して否めない。

何故ならこの放送は、ロッキンオンジャパンやクイックジャパンよりも遥かに多くの人の目に触れているからだ。それに「当時はネットがなかったから」と言ったって、テレビに対しては昔から「抗議の電話」「新聞への投書」といった、視聴者の意見を表明する手段があったではないか。

実はYouTubeにもこの日の映像は残っているのだが、それは本放送の時でなく総集編のものである。この事実自体が、初回放送で特に問題にならず、且つ視聴者から反響が大きかった事の何より証拠であるとは言えまいか。過去の悪事は「若い頃のやんちゃエピソード」で済んでいた時代なのだ。

そんな風潮も、2005年にあびる優がテレビ番組で万引きを告白し炎上した頃までの約10年の間に恐らく変わっていったのだろう。あびる優については視聴者の反応こそNOでもオンエア自体が通ったあたり、過渡期だったのかも知れない。

これは憶測に過ぎないが、ネットの普及だけでなく2000年の少年法改正で刑事処分の対象年齢が14歳以上に引き下げられた事にも関係があるのではないか。改正の背景には当然犯罪の低年齢化があるわけで、視聴者もそうした行為に敏感になってきていたのではないだろうか。

今考えると有り得ない90年代の空気を、当時生まれていない人が知らないのは仕方ない。しかし、生まれていたのに当時の感覚を忘れていたり、そもそもそんな時代なんてなかったと思っている人もいる。

爆笑問題の太田光が、7月20日深夜放送のラジオ番組でこう言及していた。

色んな人が言うんですよ。太田よ、どんな時代でもあの記事はどんな時代のサブカルチャーでも許された時代なんて一回もないと。そんな時代は一度もなかった、いつの時代だお前が言ってるのはって言われるんだけど、俺は申し訳ないけどそれは綺麗事に聞こえるんです。

あの記事が許される時代なんかなかったって言い切る人がいるんだけど、本当かなあって俺は思う。それは俺は詭弁だと申し訳ないけどね、思うんですよ。どっかにそれはだって実際にあの雑誌が出てるわけだし、で、じゃああれが許せないって言った時に、あの時の業界倫理は何だったんだろうってとこまで俺は考えたほうがいいのかなと思う。っていうのはあれを許す業界、雑誌業界、っていうのがあったんじゃないですか。でそれは、あれは特別だっていうのは俺は部外者だっていってるのに等しくて、俺もあの時代に生きてきたから俺も部外者じゃないんですよ。部外者じゃないしそれを我々のあの時代を生きてきた世代がそこをちょっと俺たちと関係ない事だよっていうのは違うだろうって俺は思ってるんです。

ただあの記事自体ね悪質だしね、ものすごく醜悪だしね、それはもうひどいもんですよ。ひどいもんだと思う。だから俺はあのいじめは決して肯定はしてないんですよ、っていう前置きです。長い前置きになっちゃったけど。まあ俺が言いたかったのはその時代性を見て、あれを評価しなきゃいけないっていう意味合いとしては、詳しく言うとあの記事に対する事なんです。いじめそのものではなく。

(中略)

確かにあの記事を読んで俺もね、大半はあれに近い事はそれなりにあったんだろうなと思う。あまりにもそれはあそこで語ってることがひどいからね、そう思わせる。

でも俺たち素人がそう思うのと、報道機関がそれを確定するのとは別の意味だと俺は思ってる。あるいは弁護士や検事がそれを確定するのは。それは国民に対して政治家もそうかもしんない。ちょっと冷静になって下さいって言わなくていいんですかって俺は思ってる。もっと慎重じゃなくて、だってあれは人一人の人生をですよ、もしかしたら台無しにする可能性のある告発ですよね、それが何かっていうと、本人の証言のみなんですよ。その立脚点がね。

で、俺にはあの記事を読んで小山田がどういう悪だったかっていうのは正直正確にはわからないなと俺は思ってるんです。で、あの、彼と被害者と言われる、まあ複数いますよね。でまあまあいわゆる一番言われてるメインの子との関係は本当は彼とその被害者っていうのはどういう関係だったのかなっていうのはあの記事で一つの演出的な、自分をキャラクター作りが乗っかってる中で語られてるものではちょっと判断、俺はできないんじゃないか。もっと理解を深めるにはあそこにいじめに参加した人達もいるわけで、そういう人達の証言もなければ、過去のものだから難しいっていうかもしんないけど、それでも例えばコールドケースみたいなアメリカのドラマもあって、それは過去に遡ってやっぱ調べる。報道っていうのはそういうもんだと思うし警察もそういうもんだと思うし。

で、あの記事の中で母親に、もうこれも本当に無礼な話だと思うけど、いじめられてたっていうところの母親にアポ無しでインタビューに行ってんですよね。そうすると母親は、お母さんはね、うちの息子と小山田君は仲良くやってたと思ってたんですけどっていうんだけど、そこで何があったのかわかんないけども、まあ実際にそのいじめられてた本人とまあ一言二言インタビュー者が話すんだけどそれ以降取材拒否になるんです。で、母親の口からは自殺を...当時はね、自殺を考えた事もありますっていう証言はあるんですよ。だけどそれが果たして小山田圭吾の行為によるものなのかっていうことは、あの文章の中で俺には少なくとも判断できないんですね。

で、あのいじめは集団いじめです。集団いじめで、じゃあ他の人物がどう関わったのか。小山田は俺はアイデアを出しただけなんだよねって言ってる。で、あの小山田圭吾はその集団の中でどういうポジションだったのか、もしかしたら逆らえないポジションにいたのかもしんない。それを隠してあのインタビューをしてるのかもしれない。それはそうじゃない、またそこまでかばうのかって言われるのかも知れない、俺はそれは憶測だから、そうじゃないかもしんない、アイツがガキ大将だったのかもしんない。それはわかんないけど、とにかくそこを判断しないと彼がやったイジメ行為を正確に判断できないでしょ。

で、いじめっていうものを判断する上で一番重要なのはそこにどう関わった人達の人間関係、誰がどんな役割をしてどういう作業、作業っていうかどういう事をしたのかっていうのが本当に重要だと俺は思うんだよ。その検証をしないで、一つの立脚点、それは責めてる小山田圭吾の証言っていう状態で今日本中が全く躊躇なしに彼を批判してる状況っていうのは、糾弾している状況っていうのは、俺はね、だって本人が言ってるんだから間違いないって言う人がいるかもしんないけれども、それはね、俺が危ういなと思うのはさっきも言ったようにインタビューアとのやりとりなんですよ。ああいう発言を引き出すようにやってるように見えるんですね。それは俺の邪推かもしれないよ?で、なんていうのかな、それを読んだ人はあの小山田っていうのはひどいヤツだと、今読んで思う。それはそうだろそういう演出をしてんだもんっていう事もあるかもしれない。事実と異なる部分が実はあるんですって反省文に小山田圭吾が書いてますよね。それを俺はなんでそれを思ったかっていうと、そこに引っかかったんです実は。誤った内容や誇張もありますと。だけど自己責任だと思って・・・。

であれを読んだ時にみんなとにかく怒りはもうあれどそれはもう人間だからそうだって思うけど、そんなのウソに決まってるというまあ論調になりましたよね。まあ一般の人達はまあそれはわかるんだけど、法律家やジャーナリストも含めてそうなりましたよね。本当ですか、本当にそれでいいのかなって俺は疑問があるわけ。そういう誇張やそのうその証言というか、誤った内容っていうのはあの、本当にあったかもしれないっていう、どっちだかわかんないですよ?ウソかもしんないよ。でもじゃああれを小山田はああいうウソをつくヤツだからっていうんだったらその前のいわゆるあのクイックジャパンのあのインタビュー、あれも本当か嘘かわかんないじゃない。どっちかを信用、みんなあの反省文はうそだ、あっちは本当だって判断をしてるわけですよ。

他に何のヒントもない中で今世の中が、動いているって事が、一つ俺がその、すごく危ういと思うのと、俺はあのインタビューの中に虚飾があると俺は思うんですね。それは別に俺も探偵でも何でもないしプロでも何でもないから。だけど飾るような、自分の悪事を飾るような、で、それはやっぱり俺はあの場においての風潮が、そういう風潮があったんだと思う。でそれを社会がやっぱりあの時は容認したんだ、その証拠があの雑誌そのものが発売されたものだと思う。だからあの時代もいじめは一切容認することなんてありませんでしたっていう人は俺にはこういうこと、言い方をするとあれだけど、うちの学校にいじめはありませんって言う人と同じように見えるんです。

で、俺はほんとマスコミ全体に・・・俺が何もマスコミ全体と戦うつもりはないです。だけど今の日本のマスコミ全体に聞きたいのは、あの時何が起きたかを調べ直したのかって事なんですよ。1社でもあそこの当事者に行って、それはね、思い起こしたくない事もあるだろうけども、でもその参加した人々、参加したその仲間っていうのがいるわけだ、あるいはそこのクラスメイトなり何なり、それに取材をし直したのか、雑誌もテレビも、報道機関も。裏をとるってそういう事をやるわけでしょ。本当ならね。

それをやらずに、あの証言だけを頼りにですね、一人の人間を再起不能に陥るまで叩き続けることが、俺には躊躇があるんですよ。

太田さんはこの日1時間以上に渡り、真摯に小山田問題に言及していた。活字にすると日本語として不自然な部分もあったが、極力そのまま掲載した。

太田さんはサンデージャポンで小山田を擁護した事に関して相当なクレームを受けたらしい。「小山田を擁護したお前も同罪だ」「あなたも犯罪に手を貸してるんですよ」「太田さんは子どもがいないから、恐らく。いじめられた想像力に欠けるからそういう事もわかんないんだろう」そんな意見まできたのだという。

でも太田さんが言う通り、あの時代や周辺人物との関係性の検証なくして今回の件の正しい判断はちょっとできないんじゃないだろうか。サンジャポの放送が日曜、ラジオの放送が火曜深夜だった訳だが、今週後半になって当時のクイックジャパンの全文をネットに掲載する人物が現れた。そこで明らかになったのは、多くの人が参照していたサイトにおいて当時の記事に対する恣意的な編集が行われていた可能性だ。

原典にあたったところで、小山田に非がないとは到底言い難い。オリンピックという場に相応しくはなかったかも知れない。しかし本人が語った事の切り取りのみを頼りに、原典にすらあたらない多くの人によって断罪され、社会的抹殺に近い扱いを受けるというのは行き過ぎだ。

それに当時、ロッキンオンジャパンやクイックジャパンだけが異常だったのだろうか。相川七瀬の件でもわかるように、サブカル界隈だけでなく大衆の感覚だって90年代と今とでは大きく違うはずだ。そこを無視して昔話のように小山田一人だけを「悪は成敗されるべき」という単純な構図に落とし込めば、それでいいのだろうか?そして小山田だけでなく過去の作品や発言、メディアのアラを今になって引っ張り出して謝罪させ、完膚なきまでに打ちのめす事が、本当により良い世の中のためになるのだろうか?

ポジティブに捉えるならば、今こうして当時の間違いに気付けている事自体が人間の進歩ではないかと思う。過去に発表された作品や当たり前とされていた価値観の中には、今では考えられない、直視できないようなものもある。でもそういった間違いも含めて、歴史の一部なのではないか。そこから人が学ぶ事で、社会を作ってきたのではないか。繰り返し言うが、いじめがダメなのは当たり前のことだ。だからこそ、それだけで終わってしまっては何も解決しないのだ。

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