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全盛期のラルクの歴史を振り返る

「アメトーーク!」でL'Arc~en~Ciel大好き芸人が放送される。狩野英孝が10年前からやりたいと宣言していたテーマだが、その度にスタジオからは「ないだろ」という空気が漂っていた。このタイミングで実現したのはバンド結成30周年であること、そしてラルクで育った世代が芸人として活躍するようになったからだと思われる。

ラルク大好き芸人のメンバーを見ていくと、ある事に気付く。下記のリストは、出演芸人とその生年月日をまとめたものだ。

トレンディエンジェル斉藤(1979.2.15)
ペレ草田(1979.9.12)
NON STYLE井上(1980.3.1)
狩野英孝(1982.2.22)
アインシュタイン稲田(1984.12.28)
ニューヨーク屋敷(1986.3.1)
ニューヨーク嶋佐(1986.5.14)
入間国際宣言西田(1987.3.6)

ラルクが最も多くのCDをリリースし、紅白初出場を果たした1998年に、全員が10代だった事が分かる。幅広いファン層を持っているバンドではあるのだが、その中核を成す世代は恐らくこのあたりなのではないかと推察される。

ちなみにその下の世代では、2004年の復活シングル「READY STEADY GO」でラルクを知った層が一定数いると感じる。これは当時2年半近くシングルリリースがなかったことや、オープニングテーマに起用されたアニメ「鋼の錬金術師」の人気によるものである。しかし2011年を最後に活動のペースは緩やかになり、今の若年層にとっては名前はわかるが詳しくは知らないといったケースも多いようである。

では、数多のラルク大好き芸人を生み出した90年代後半のラルクは、どんな存在だったのか?活動休止を解いた1997年秋から、活動が停滞する手前の2000年までバンドにとって全盛期とも言える3年間から検証してみたい

1997年、バンド史上最大のピンチからの復活

まずは全盛期前夜について確認しておきたい。リリースした3枚のシングルがいずれもトップ10入りするなど、バンドの名を急速に広めた1996年。年末にリリースしたアルバム「True」が大ヒットし、後にミリオンセールスを記録する事になる。

年が明けると、アルバム収録曲「the Fourth Avenue Café」がアニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のエンディングテーマに起用された。当時のるろ剣人気は凄まじく、同タイアップからはJUDY AND MARY「そばかす」や川本真琴「1/2」などのヒット曲が生まれている。「the Fourth Avenue Café」は3月にアルバムからシングルカットされる事になり、ブレイク中だったラルクの人気を更に押し上げるのはもはや明白だった。

しかし同年2月24日、ドラマーのsakuraが覚醒剤取締法違反によって逮捕されてしまう。アニメタイアップは白紙、シングルリリースも中止となり、バンドは表舞台から姿を消した。この期間は渡英し曲作りなどを行っていたという。(ちなみにこの時に発売中止となったシングルは、2006年にマキシシングルとして9年越しにリリースされている)

活動休止から復活を遂げたのは、およそ8ヶ月後のこと。フランス語で「虹」を意味するバンド名にちなんだシングル「虹」で活動を再開する。この時、ZI:KILLやDIE IN CRIESでの活動で知られたyukihiroをサポートメンバーに迎えた。ちなみに、かつての所属バンド・ZI:KILLの名から連想されるのは小説「ジキル博士とハイド氏」であり、ここにハイド=hydeの名が入っているという運命的なリンクも見られる。

年末には初めて東京ドームでのライブを開催する。チケットは4分で完売し、これは同会場における当時の歴代最速記録となった。

1998年:驚異のリリースラッシュで国民的バンドへ

1998年はバンドにとって特別な年である。この年のラルクはyukihiroを正式メンバーに迎え、驚異的なペースで活動を展開していった。年明けから1月にシングル「winter fall」、2月にアルバム「HEART」、3月にシングル「DIVE TO BLUE」といきなり3ヶ月連続リリースを敢行した。ちなみに「winter fall」でシングル初の1位を記録したのを皮切りに、この3作全てで初登場1位をマークした。

同年4月、当時ラルクと人気を二分していたGLAYがシングル「誘惑」「SOUL LOVE」を2枚同時発売し、2作ともミリオンを突破するなど大きな話題を集めていた。そんな中、ラルクは7月8日に前代未聞のリリースを行う。シングル「HONEY」「花葬」「浸食 ~lose control~」の3枚同時リリースだ。その3枚全てで初動50万枚を突破し、初登場週にシングルチャート2~4位までを独占した。最も売れた「HONEY」は54万枚を超えるセールスを記録したが、シングル1位連続記録を保持していたB'zの「HOME」に約1万5000枚及ばなかった。「HONEY」は翌週1位にランクアップし、同じく1曲入りの安価でリリースされた「花葬」と合わせて最終的にミリオンを突破した。

それまでのラルクはシングル表題曲にキャッチーな楽曲を配置する事が多かったが、「花葬」に関しては退廃的な世界観が特徴的な楽曲だった。PVでもhydeが眉毛を全剃りした姿を見せるなど、一貫してダークでホラーな世界観を打ち出している。恐らく日本の歴代ミリオンヒット曲の中でも最もマニアックでキャッチーさがない曲だろう。

「浸食 ~lose control~」は映画「GOZILLA」の世界観に合わせて書き下ろされた、静と動のコントラストが印象的な楽曲となった。変拍子を多用した攻撃的なサウンドは、当時のJ-POPのヒット曲にはまずなかったタイプの曲である。普通に考えれば万人受けするのはキャッチーな「HONEY」に決まっているのだが、バンドが勢いに乗っている間にシングルで振れ幅を見せつけた事は、長い目で見ると大きな意味があったように思う。

3枚同時発売で大きなインパクトを残したこの年のラルクは、未だ止まらなかった。10月にはシングル「snow drop」「forbidden lover」を2週連続でリリースしている。「snow drop」は、さとう珠緒主演ドラマ「走れ公務員!」主題歌というかなり時代を感じるタイアップで、この年3枚目のミリオンシングルとなった。その圧倒的な活躍から紅白歌合戦にも初出場し、ラルクは晴れて国民的ロックバンドとなった。

結果的に1998年はシングル7枚、アルバム1枚、VHS2本を発表するという異常なまでのハイペースぶりだった。しかもこのリリース量に加え、バンドは全56公演の全国ツアーまで行っている。尚且つメディアへの露出も積極的になされており、その仕事量はもはや想像がつかないレベルだ。ちなみにkenちゃんは当時のテレビ出演時に煙草を吸いながらスタジオで演奏する姿が度々見られ、今では考えられない時代だと改めて思う。

ただでさえ大量のリリースがあったためCMも頻繁に放送されていたのだが、この頃はリリース関連以外でもCMを打っていたのが印象的だった。「ラルクアンシエル、シェルじゃなくてシ・エ・ル」というバンドの正しい読み方を伝えるためのものなど、箭内道彦のディレクションによる広告の数々でも話題をさらった。

また1998年は、CDソフト全体の売上が歴代最高を記録した記念碑的な年だった。この水準がいつまでも続いたわけではなく、21世紀に入るとともに市場規模は縮小の一途を辿っていく事になる。CDが最も売れたこの年にバンド史上最大のリリース攻勢を仕掛けた1998年のラルクは、CD黄金時代を象徴する派手さとその優れたクリエイティビティで多くのファンを獲得した。

1999年:伝説のアルバム2枚同時発売

前作からCDリリースが半年空き、1999年は4月リリースのシングル「HEAVEN'S DRIVE」が第1弾となった。ホーンをフィーチャーした新境地のサウンドで、シングルでは4作目のミリオンを記録している。また今作以降は全てのシングルがマキシシングルでリリースされた。
(注:今は知らない世代もいると思われるが、90年代のシングルの多くは縦型のジャケットでディスクが小さく、その直径から8cmシングルと呼ばれていた。これに対し、アルバムと同じサイズの12cmのディスクを使用したシングルをマキシシングルと呼び、1999年頃からその割合が激増していった)

続けて6月にリリースしたシングル「Pieces」では殺人事件を起こすストーリー仕立てのPVや、腕を骨折したyukihiroが「ミュージックステーション」でドラムを叩く姿などが話題になった。シングルでは珍しい壮大なバラードで、ライブでも最後に披露される事がしばしばある。

そして1999年7月1日。ノストラダムスの大予言で人類が滅亡するとされていたXデーに、ラルクは2枚のオリジナルアルバム「ark」「ray」を同時リリースする。前作「HEART」以降にリリースされたシングル曲は4曲ずつ振り分けられ、新規タイアップを獲得した新曲も複数収録された華やかな作品となった。TBS朝の情報番組テーマソング、ドラマ主題歌、ゲームのCMソングなどその幅は実に広く、ラルクは当時のエンタメ界を席巻していた。

その中からアニメ「GTO」のオープニングテーマとなった「Driver’s High」が8月にシングルカットされる。ライブには欠かせない疾走感溢れるロックチューンで、ラスベガスで撮影されたカーチェイスのPVも話題となった。これで「ark」「ray」のシングル曲は計9曲となった。

間髪入れず10月には更なるシングル「LOVE FLIES」をリリース。結果的にこの年はシングル4枚、アルバム2枚、VHS2本をリリースし、更に大規模な野外ライブツアー12本まで敢行している。

2000年:はしゃぎすぎた季節の終わり

カウントダウンライブで迎えたミレニアムイヤーは幕開け早々にシングル「NEO UNIVERSE/finale」をリリース。初の両A面シングルで、又してもミリオンヒットを記録している。

6月にはリミックスアルバム「ectomorphed works」がリリースされる。今では考えられないが、当時のJ-POP界はリミックスアルバムでも数十万枚のヒットとなる作品が幾つもあった時代だった。その中でもラルクが特異だったのは、収録曲全てのリミックスをメンバーであるyukihiroが自ら行った事だった。シングルのカップリングで発表していた音源に手を加え、更に新規リミックスを収録した今作は、テクノやドラムンベースなどの要素も垣間見え、大衆受けをほぼ度外視した意欲作だった。事件によるドラマー交代を受けて加入したyukihiroの存在が、結果的にバンドの音楽の幅を大きく広げていくキーマンとなっていった。

半年振りのシングル「STAY AWAY」では、PV終盤での踊るラルクが大きな話題を呼んだ。後に今作はSPACE SHOWER Music Video AwardsでBEST VIDEO OF THE YEARを獲得している。(「Pieces」に続き2年連続受賞)

また、発売日である7月19日には他にGLAY「MERMAID」、サザンオールスターズ「HOTEL PACIFIC」という超強力タイトルが一斉にリリースされ、そのランキング対決に大きな注目が集まった。結果は1位GLAY、2位ラルク、3位サザンとなったが、この週は2位でも初動50万枚を突破するハイレベルぶりであった。余談だが2005年にも同じ組み合わせでのシングル同時発売が再び実現し、順位まで同じになった逸話がある。(※GLAYの2005年はGLAY×EXILE名義)

8月には1年振りのアルバム「REAL」をリリース。これまでの作品よりソリッドなロックサウンドが印象的で、「True」から5作連続のミリオンを記録している。

シングル2枚、アルバム2枚とリリース量こそやや減ったものの、この年はライブハウスツアーとドームツアーを敢行し、精力的な活動に変わりはなかった。またPlayStationソフト「激突トマラルク」など、自由な発想でファンを常にファンを楽しませ続けていた。しかしこのお祭りのような季節は長くは続かず、21世紀に入るとともにバンドの活動は急速にペースダウンしていく事になる。

ラルクはその後も名曲を生み出しているが、やはりこの期間の作品群は今も特別な輝きを放っている。当時の先鋭的な楽曲の数々が、これからも新しい世代に伝わっていく事を願う。

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