なぜ英語を学んだの?Konomiの場合①
前回のYuki先生の「なぜ英語を学ぶの?」に続き、今回は
韓国語講師のKonomiが私の体験について語ります!
ちょっぴり長くなってしまいましたが、なにかのきっかけになればうれしいです^^
ここで改めて私の簡単なプロフィールを!
”あるグループ”との出会い
私が英語に興味にはじめて触れたのは、中学1年生の英語の授業でした。
当時は英語なんていつどこで役に立つのか分からず、他の教科と同じような姿勢で授業を受けていました。
そんな平凡な中学生の私に、中学2年生のある日とんでもないものが目に入ります。
当時のオーディション番組から誕生し注目されていた、イギリスのボーイズグループ
One Directionです。
One Directionを理解したい
アニソンやボカロにしか興味のなかった私は、One Directionの曲を聞いて、何を歌っているかは分からずも「な、なんだこのはちゃめちゃにかっこいい曲は~~!!」と目をひん剥いたのです。
これが私の初めての異文化体験(?)でした。
それからというものOne Directionの曲を聞いたり、イギリスの番組の切り抜きを動画サイトで探して見たり、今で言う推し活に明け暮れていたのですが…
なんせ言っていることが分からない!!!
なぜこの曲はこんなに悲しそうに歌うのか!
なぜ彼らは腹を抱えて笑っているのか!
今この状況で何が起こっているのか!
当時は動画に字幕なんかつかなかったし、翻訳サイトの翻訳クオリティーも今とは比べ物にならないくらいお粗末なものでした。
頼りにしていたのは日本語話者のDirectioner(One Directionファンの総称)が上げてくれる字幕付きの動画やブログのみ…
ただこれもアップされるまでに時差があります。
これは私が英語を勉強して、推し達の言語をノー時差で理解するしかない!!!
と、そんなにやる気を爆発させたわけではありませんが、
せっかく学校で英語の授業受けれるんだし、ちゃんと聞いてみるか~
という程度で英語の授業をちゃんと受けることにしました。
これが、私にとって、英語に対するハードルが下がった瞬間だったのでしょう。
ちなみに、英語に対して特に強い苦手意識があったわけでもありませんでした。
毎年年末にハワイに行くというパワフル先生の英語の授業をちゃんと聞いてみたり、新学期に配られた単語帳を眺めてみたりすると、
なんとな~く、聞き覚えのある単語や表現が浮かび上がってきました。
「なるほど…!これはこんな意味だったのか…!」
と、答え合わせが出来て、モヤモヤや苦しさが解消されていきました。
逆に英語の授業で習った慣用句や単語が、曲中やインタビューに出てくると、
「あ!ここ、進●ゼミでやったところだ!」と言わんばかりに
知識と現実がぴったり重なる感覚になりました。
他言語が理解出来ていくその過程に面白味を感じた私は、
イギリスに留学経験のあった担任の先生と、日誌帳で英語でやりとりするようになりました。
といっても、そんなに長い文章を書くわけではなく、1-2文程度のひとこと日誌。
先生は、少しクセのある、それでも綺麗な筆記体で、英語にて返事をしてくれました。
これが私のはじめての、英語でのコミュニケーションの成功体験でした。
ここで英語というツールを使うことに慣れ始めてきた私は、
One Directionに関しての情報を、英語で検索するようになります。
[🔍]One Direction stage
[🔍]One Direction live performance
…
「ちょっと待って、英語で検索するとこんなに沢山情報がでてくるの…!?」
それまでは日本語頼りでの情報収集でしたが、
当時One Directionの人気は世界で一世を風靡していましたから、
世界中のDirectioner達が、共通言語の英語を使って情報をやり取りしていました。
その量とスピードに圧倒されると共に、私もついていかなきゃ!と思いました。
それからは”英語×ネット=推し達の情報”の方式が成り立ち、
「使える言語が多くなると、リーチ出来る情報の数は多くなるし、スピードは早くなる」
ということに気づきました。
ということで、まずは世界共通言語で、将来有用性が大きそうで、学校で勉強出来る(すでにしている)
英語を徹底的にやろうと思いました。
英語を通して手に入れられる様々な情報はどれも新鮮で多角的でした。
それと同時に、世界で起きている事象や問題に対する自分の無知さも、浮き彫りになっていきました。
これから日本はどうなる?グローバル社会に通用する知識が欲しい
当時は日本で「グローバル化」という単語が流行っており、様々な海外発祥サービスが利用されていたり、日本に来る留学生や外国人雇用も増えていました。
その時には既に、「これからは様々な国のヒト・モノ・サービスがローカル化され、ボーダーレスな社会と共に、日本も多文化・多民族社会になるだろう」という見解が広まっていました。
「ボ、ボーダーレス…多文化社会ってなんぞや…多民族共存ってどんなかね…」
中学生の私には経験したことのない、想像も出来ない世界になるそうなのです。
なんだか頭の良さそうな、物知りそうな人たちがそう言うので、
日本語だけじゃ不十分だと感じていた私は、
「その”グローバルな社会”に通用する知識がほしい」
と思うようになりました。
日本語だけ出来ていても、英語話者に比べて得られる情報が不十分だと感じたので、
更に専門的に英語を勉強するため、高校は英語科に進学しました。
とは言っても、進学した地元の英語科は、定員割れで二次募集までかかるレベル。
本当に英語が勉強したくて入学した人はクラスのほんの一握りでした。
それでもみんな、最初は仕方なく始めた英語だったかもしれないけど、各々の目標や興味に向かって、自分の英語を武器に仕立てていました。
私はその中で、「何か人と違うことをしたい、挑戦的なことをしてみたい」と思っていました。
そんな時、舞い降りてきた海外留学の話。
私は迷わず「行く!」と言いました。
両親のサポートの下、留学団体の支援制度と、担任の先生が調べてくれた県の奨学金を使用して、
高校1年生の冬、マレーシアへ飛び立つことになるのです。
…と、なんとも続きが気になるところですが、
みなさんの目が疲れるころだと思いますので、まとめについては
次の記事をお楽しみに💖
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