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本命ともだち

”あたしたちは永遠”と書かれた初期プリント倶楽部のシールを見つけた。1999年。目を大きくするとかの美的加工はなく、全体をセピアか白黒にするかしか選べない頃だった。このnoteを私はIちゃんに捧げる。捧げた瞬間からひたすら忘れる。


本命友達というのが、常にいた。
より一層深い関係としてのさいしょは14歳のとき。Iちゃんが一人目だった。

中2で同じクラスになって、半年はほとんど話したこともなかった。秋にお互い生徒会役員になって、距離が縮まった。そうだIちゃんと仲良くなるまで私は、同じ小学校出身のYさんと一緒にいた。だけど9月の運動会の日、Iちゃんに乗り換えたんだ。あの日、Yさんは私とふたりでお弁当を食べるつもりだったろうに。ぽんっと突き抜けた青空のまんなか、仲良し同士で木椅子を移動させる生徒達の中で彼女だけ一人で食べてた。かわいそうなことをしたとは思う。

それ以来Iちゃんと私は、教室でもトイレでも図書室でもランチルームでも野外学習でも生徒会室でも早朝のアルミ缶回収でも常に一緒だった。Iちゃんには歳の離れたお姉ちゃんがいたからか、中2とは思えない、余白みたいなものがあった。

基本的に丸めの黒髪ボブだったのに、ある日、美容師と付き合いだしたお姉ちゃんの真似をしてIちゃんは、右が短くて左が長く、それを(螺旋階段のように)切り揃えたアシンメトリーボブにしてきた。一見大胆なスタイルだけどあの中学においてはそこまで目立たなかった。なぜなら私たちの中学は(父親とかの代からずっと)市内で最劣悪の不良校で、朝一タバコを吸いながら金属バッドで廊下の窓ガラスを破り倒し教育指導員の丸山に追いかけ回される金髪集団が各学年を牛耳っていたから。黒髪アシメなんて、毎日毎日Iちゃんの腕や背中や頭にひっついてる私くらいしか気づかないのだった。

ただ、あの髪が悪目立ちしなかったのは“Iちゃんだから”というのもある。他の生徒だったら一瞬で不良の網にかかる可能性あった。

たとえばいつも背を丸くして、こめかみからうなじまで濃く生えた天パを気合いで小さなポニーテールにしてた丸山さんの場合。前髪を短く切りすぎただけで次の日から2ヶ月はチン毛と呼ばれていた。丸山さんと常に一緒にいた合唱部の成川さんだって、少しトイレが長かっただけで下痢川と呼ばれた。地味で目立たないからって不良の目をかいくぐれるほど甘い世界ではなかった。

私だって一度。ド不良でド金髪の女先輩2人組に職員室からいちばん遠い西側のトイレまで呼び出されたことがある。Iちゃんと友達になる直前だった。

そのド不良女先輩のうちのひとりが別れたばかりだったというバスケ部の先輩男子と、私が付き合いだしたと言うのが理由だったらしく「調子乗んなよ」と凄い形相で耳元の壁を殴られた。髪も染めず、化粧もせず、来る日も来る日も処女喪失を目指し愚直に彼氏を確保しようと邁進していた私が、しかも生徒会で副会長とかはさすがに無理と身の丈をわきまえ3回連続会計に立候補してきたような私が、トイレでバタフライナイフのような視線を突きつけられるなんて!思っても見なくて「聞いてんのか」という言い回しひとつにも興奮して動悸が抑えられなかった。不良に目をつけられたり、嫉妬されることで、自分が特別なんだと認められた気がした。

Iちゃんは、そういうところが私と真逆だった。
つまり誰かにこう思われたら勝ちとか、どう見られたいかという視点が一切なさそうだった。自分のために髪をアシメにし、自分のために透明リップを引き、自分のためにGLAYのコンサートに通い、自分のために学年5位以内の成績を保ち、自分のためだけに医者を目指してた。

ものすごい美人とかではなかったけど、両目が離れた奥二重、極端に薄い上唇と、猫みたいにかしげる首、あえて長めにしてるスカート丈、全体的に低いのに語尾だけ甘くする声色とかが完璧なバランスで、それこそがIちゃんだった。ああそうか、あれは総じて「壇蜜っぽい」とも言える。だからIちゃんは、一見地味でいじりやすそうでもあるし、中身は恋愛まみれで敵を作っても良さそうなのに、一度も不良に絡まれなかった。14歳の壇蜜には、誰も気軽に触れられない。

なのに。そこに触れたのは同じクラスの多田だった。野球部中退の帰宅部。肌が浅黒く、顔と胴体が長い、駄菓子のパッケージイラストになってもおかしくない男。気づいたら多田がIちゃんの彼氏になってたのだ。

Iちゃんが多田を認識したのは中2が最初だったけど、彼と同じ小学校出身の私は元々よく知っていた。小4のころ、先生がいなくなった自習時間に、いきなり机を両手でバン!と叩いたと思ったら立ち上がって椅子を掴み、廊下に向かい振りかぶって投げたあと、周りの叫び声が完全におさまったタイミングで「……うるさい」とかいう劇ヤバな男だった。だけど豹変モードのとき以外は大型犬みたいに人懐っこく穏やかなのだ。そのコントラストが恐ろしくて、あとお母さんが働きにでていて毎日18:00まで学童、という当時やや珍しかった家庭環境も含め、なんとなく近寄りがたさがあった。悪い奴ではないけど、中学では関わりたくないなあと思ってた。

なのに。Iちゃん、なぜ、こんなやつと付き合ったの?こいつの本性知ってんの?ということが一度も聞けないまま、いつのまにか年明けにはお互いの家を行き来するまでになってたIちゃんと多田は肉体関係を深めていくことになる。「最後までは、まだ」という戦況をたびたび聞かされ、そのまま春。

中3にまでなったのに、私はまだ処女だった。
唯一の安心はまたIちゃんと同じクラスになれたこと。Iちゃん以上に仲良くなれる子なんてこの先できないし、大人になっても結婚しても一生友達でいる。Iちゃんの学力には追いつけないから高校は別々になるだろうけど、せめて中学の間だけは、毎日一緒にいたいと思ってた。だから3年の始業式、壁に貼られた新クラス名簿を見たとき抱き合いながらぴょんぴょん飛び合った。ちょっと泣いた私の頭の上に、ずいぶん背が伸びたIちゃんの手がポンポン、と優しくリズムを打った。(今思えば、いつもIちゃんが私の肩や頬や頭上で刻んだあれはエイトビートだった)

多田だけ別のクラスになった。
心の底から「はよ別れろ」とわくわくしたが現実は逆だった。クラスが離れたことにより、ふたりは休み時間のたび廊下で会うようになっていた。そうだIちゃん、私と仲良くなる前は、当時付き合ってた野坂といつも廊下にいた。Iちゃんは廊下愛スタンスの女なのだ。面白くなかった。


「Fってしたことある?」
と私が真世ちゃんにメールしたのは4月末だった。真世ちゃんとは、私が唯一連絡先を知っているヤリマンで、すぐに「Fってフェラのこと?」と返事がきた。あれをFと呼ぶのはIちゃんだけなのか……と項垂れつつ「うん。したことある?どんなときにする?」と送ると、それに対して「うーん、気が向いたらするかな」という奥深い答えがきて混乱した。Fとはどんなタイミングと手順ですべきか?むしろ初回はしないべきか?ということだけ知っておきたかった。なぜならその約15時間後には、処女喪失の可能性があったからだ。でもこれを同級生男子とかに聞いたら週明けにはまた変なあだ名をつけられる。すこし前に私が何人かの男子宅に処女喪失目的でおしかけた噂も完全に出回っていた。というか親にまでバレてた。これ以上やりとりすると真世ちゃんにも勘繰られる…と、ひとまず寝た。篠崎さんは大人だし、まあなんとかなるのでは、とも思った。


「篠崎さん」と出会ったのは、3年になって2週間くらい経った強風の日だった。先生たちの研修日で、全校生徒が一斉に帰る日なのにIちゃんが風邪で休みだった。それまでもIちゃんが休みの日には家の方向が同じ子達を確保して乗り切ってきたけど、寄り道の予定とかでこの日は全員に断られた。川沿いの遊歩道を選んだ。

半分茶色くなった桜の花びらやビニール袋やペットボトルが、低速で流れるドブ川。臭すぎるうえに学区の端にあるから、他の生徒に見られず帰れると思った。生徒どころか人がひとりも歩いてなかった。スカートを抑えなきゃいけないほど分厚い風が旋回していて、生あたたかいジャグジーの中みたいで、夢の中だとこういう日はそのまま両手で風をかきわけて空に向かって平泳ぎしたまま帰れるんだよなあとか考えてたら右斜め前から視線を感じた。両側を建物に囲まれた駐車場に、篠崎さんがいた。

吹き飛ばされそうな猫じゃらしがギリ仁王立ちしてる!というような佇まいで、多めのくせ毛から覗く目は狂気だった。それでも愛着を感じたのは顔の造形のせいか、尖った鼻と唇が品よく少年ぽかった。篠崎さんの着ているスーツのジャケットは薄い灰色で、ネクタイはなく、白いカッターシャツみたいなのが揺れ狂っていて、下半身は裸だった。つまり変質者だったのだけど、学校で何度か配られた『変質者に注意してください』というプリントから受けた印象とだいぶ違ってて油断した。まず若い。顔が良い。足が長い。靴下黄色い。足首細い。革靴かわいい。とか感じながらも反射的に恐い。足がすくみ、5分ちかく固まってしまった。はじめは高速で股間の手を動かしていた篠崎さんも私に凝視されていたからかリズムを落とし「あーもうね」と言ってズボンをあげてベルトをしたあと近づいてきて、いやごめんなさい、すいません、と言ってきた。26歳、サラリーマン。車で30分くらいかけて私が住む田舎の区まで来たらしい。自販機でポカリをおごってくれた。篠崎さんからほのかに漂う淡い匂いが煙草の香りだということは、後日篠崎さんちのベランダで知った。親の煙草と全然違う匂いだった。


篠崎さんと出会う直前まで、ちょうど私は知らないおじさん達とメールすることにハマっていた。バスケ部やハンド部の先輩と付き合うも平均10日で別れる日々、からの同級生男子達への処女喪失トライ、からのおじさん界隈。言われた通りエロめの写真を送ったりするなか、最後にやりとりしたおじさんから届いた顔面写真が父親以上におじさんで、びっくりして全おじさんを着信拒否にした矢先だった。

篠崎さんは本気のハガキ職人だった。ハガキ職人という言葉自体、篠崎さんから教わった。おすすめのラジオ番組をいくつか教えてもらって、その頃私まで寝不足になった。篠崎さんはサラリーマンをしながら激しく元カノのストーカーをしていて、このままだと洒落にならないから視野を変えるため一度だけ下半身露出をしようと決意したらしい。Iちゃんより、篠崎さんとメールする回数のほうが増えた。Iちゃんには篠崎さんのことを黙っていた。処女喪失を果たしてから、なんでもないことのようにさらりとサプライズ的に発表しようと思っていたのだ。その頃だけはIちゃんから、「どんなFをしたか」とか詳しく聞かされても、嫌な気持ちにならなかった。  


篠崎さんちに行ったのは、晴れた土曜午後だった。F問題は解決していなかったけど、最寄駅で降りる頃には心臓が変形しそうなくらい熱くなり大声で歌いたい気持ちにまでなってた。はじめてみる篠崎さんの私服はバンドぽいTシャツにジーパン、黄緑のスニーカー。大きな川沿いの遊歩道を、並んでひたすら歩いた。半分くらい葉っぱになってた桜並木の真下を、ふかふか愛されていそうな柴犬や、そこまで愛されていなさそうな柴犬とすれ違いながら進んだ。腕を組んであるく無表情の男女や、少し離れてあるく微笑ましい男女。子供も何人か走ってて、良い川だった。

アパートにつく頃には汗ばんでて、こめかみが風で冷えた。川沿いの二階建て、外観はエメラルドグリーンがところどころ赤茶に剥がれて古く見えたけど、中は意外ときれいで3部屋もあった。それまで20分ちかくも桜と川を眺めて歩いてきたのに、部屋に入るなり私は玄関からまっすぐ走って網戸をあけてベランダに出て、手すりによりかかって桜が映る川をみおろした。その隣でおなじように手すりによりかかりながら篠崎さんは煙草を吸った。

この平和モードからどうやってキスとか脱ぐとかFとか喘ぐとかに直結するのか分からなすぎて、順番を変えて先に喘ぐべきなのか?!と、浮かぶ鴨たちを見続けた。

会うのは二度目で、対面しながら話題を探すってこんなに難しいのかと実感しつつ唐突に「篠崎さん中学のとき楽しかったですか?」と聞いてみた。うーん、楽しくなかった気もするなあ、俺不良じゃなかったし。と横顔のまま笑ってた。やっぱり楽しいのは不良なのかな?と聞くと、まあそうだね、「案外、正しい人は楽しくないよね」と名言ぽいことを言われて、それだけ忘れないようにしようと思った。

錆びた手すりに脇ごと体重をかける篠崎さんのTシャツの隙間から見える脇毛をじっと見てたら突然、この人がストーカーしてる元カノはIちゃんに似てるかもなあと思った。元カノの写真見たいと言ったら、部屋のなかからノートパソコンを持ってきてくれて、「咲子ちゃん」と書かれたフォルダから凄い量の咲子さんの写真が出てきて、それは黒髪の丸いボブで、ほんとうに少しだけIちゃんに似ててびっくりした。

少し肌寒くなって部屋のなかの低い机に移動して、となりでパソコンを覗き続けているとき、あまりにも横顔が近くて、キスされるかな?と思いほとんど息止めてたけど、いっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっさいされず、あ、dvd見る?と、お笑いのdvdをテレビで見た。あと異様に熱いブラックコーヒーを2杯飲んだ。dvdをみながら、篠崎さんの親が認知症になったけど江戸むらさきの漫才だけは詳しく内容を覚えてるという話を聞いた。正直わたしの下半身的には万全の体制だったのに、その日喪失できたのはブラックコーヒー処女だけであり、でもなぜか最後駅に送ってくれるときに手が触れて、そのまま繋いだ。

それから連絡もあまり返ってこなくなって、私って世界で誰にも求められてないんだなあと思った。家で、グラタンも肉じゃがもベビースターラーメンも同じ味で、給食は食べれるけどでもお米はあんまり食べれなくて、急に痩せた。夏休みになって、塾の夏期講習に行って、家でも遅くまで勉強した。Iちゃんとは、たまにメールはしてたけど登校日以外会わなかった。お盆のあと「多田くんと最後までしたよ」というメールが来た。2時間くらいかけて「おめでとー!やっとだね!」と返した。夏休みが開けると、ちいさな事件が2つ起きた。

ひとつは、近所で殺人事件が起きた。ワイドショーでも連日うちの近所が映った。クラスはその新情報とかで一週間くらい持ちきりだった。もうひとつは、学年で密かにファンが多い、同じクラスの勝騂という男子が「おまえ、おもしろすぎやん」と私に初めて声をかけてきたことだった。

勝騂は、バスケ部でもサッカー部でもなく背も高くなく足も早くなく話が面白いわけでも肌がきれいなわけでもないのに中3に入ってすでに4人から告白されていた。一軍でも五軍でもなく、どこにも属さないのに誰からも人気があった。

ちゃんと話すまで彼の良さがわからなかったけど、数分話しただけでもっと仲良くなりたいと思った。目を見て話を聞いてくれる。へえ、なんで?とか質問してくれる。相手が不良でも私でも声を変えない。爆笑するときのけぞって両手を叩く。それすごいなあ!おもしろいなあ!いいなあ!とか言ってくれる。純粋な男友達がはじめてできた。

「おまえ、おもしろすぎやん」の真意は同級生男子に対する私の暴走の件だった。処女喪失目的で私が家に押しかけた男子のうち1人から詳細を聞かされたらしい。俺もさ、こないだ父ちゃんの隠してるAV見ようとしてビデオいれたらそれ違うやつで、まさかの父ちゃんの彼女とのハメ撮りで、ほんとさ、もう、凹んだんよ。さすがに。だって、もう、父ちゃんだから思いっきり!だからおまえの気持ち分かる気がするわ。おたがい大変だったけど、中学もあと半年とかだし、楽しく生きようぜ!と少し出た八重歯を思いっきりはみ出させて肩を叩かれながら言われてなぜか、猛烈に抱きつきたくなった。

Iちゃんが本命であることは変わらなかった。変えようがなかった。
教室でもトイレでも図書室でもランチルームでも理科室や音楽室に行くときも常にIちゃんと一緒だった。だけど、気づいたら勝騂と話すことが増えた。
勝騂は、篠崎さんと同じラジオ番組が好きだった。その頃Iちゃんはもう生徒会ではなくなって、塾も忙しそうで放課後すぐに帰るから一緒に過ごす時間が減った。多田とのことを細かく話してくることもなくなったけど、別れる気配はなさそうだった。

勝騂は帰り際いろんな友達に捕まることが多くて、生徒会終わりの私をついでに待っててくれることもあった。一緒に帰りながら受験問題を出し合ったりした。

私が勝騂と仲良くなったことで、大きな事件が起きた。
クラスの主要女子4人組から、話しかけられるようになったのだ。前代未聞の回数で生徒会に立候補し続けながら、処女喪失活動に勤しみつつ授業中に突然ひとりで泣いたり休み時間にあえて太宰とかを読んでる私が主要女子グループから話しかけられるなんて奇跡だった。いつも通り廊下側で勝騂と話してたら後ろから、「ねえそれかわいい〜どこの??」と前髪を止めてたピンを指さされた。アピタの何階で買ったか私が答えてる最中に「ねえ勝騂似合うんじゃない??」と、私のピンがその子の手から勝騂の前髪に渡った。ピンをつけられた勝騂は嫌がりもせず、え、鏡見たい!と言って満更でもない様子で、これ俺おそろ買おかな!と私にニコニコ言った。なんとその翌日から私は、どの教室に移動するときも「お〜い、行くよ〜!」と主要メンバー達から指名されるようになった。

そこから卒業までの半年は、怒涛だった。
運動会のお弁当も、主要グループとして5人で食べた。ただ、所属するまでわからなかったけど「5」という人数は日常的に過ごす人数としては多過ぎた。ランチルームの席が連なって5つ空いてることなんてまずない。トイレの個室も4つだし、教室の後ろに固まるにも5人では場所を取り過ぎた。

5人のなかから、誰か一人が弾き出されるのは時間の問題だと思った。このタイミングでひとりになったら地獄だよなあという恐怖に毎日窒息しそうだった。そこからIちゃんのもとに戻れる保証もなかった。Iちゃんはクラスで一番地味なグループに入れてもらっていて、そこで穏やかに過ごしているようだった。わたしは毎日注意深く過ごした。

冬になった。
家庭科で編んだ長細すぎるマフラーを、おでこまでぐるぐるに巻くのが私と勝騂のあいだでブームだった。ある日、ぐるぐる巻いたマフラーでお互いドブ臭を避けつつ、川沿いの遊歩道を下校してたとき。勝騂だけには篠崎さんとのことを話してたから、あ、ちんこの駐車場〜!!!!とか言われて懐かしい!とか笑ってたら、急に勝騂が「あのさあ」と静かに話し出した。

主要グループのひとり、雛ちゃんのことだった。雛ちゃんと勝騂は2年の春に2週間だけ付き合ったことがあるらしく、手も繋がないまま別れたらしい。だけど最近になって雛ちゃんが周りに「去年、勝騂との子を妊娠しておろした」と嘘を言いふらしているらしかった。

「いやおれ童貞なんだけど。そういうことになってるらしく、やや困ってる!まあしゃーないかもだけど」と弱めの語尾で話す勝騂にわたしは、脳みそを半分に割ってもらったような爽快感といっしょに、叫んでた。「勝騂!それ!ひどいよ!えーそれは、ひどいよ!嘘だもん!勝騂がみんなに誤解されるじゃん!」と言葉が溢れて止まらなくて、そのままほんとうか嘘かわからない涙が自分から滲んできて、ああこれで大丈夫!と思った。なにもかもうまくいく。大丈夫。もう大丈夫!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

翌日、教室で。
朝早めに登校した私は、日直で早く来てた主要メンバーのひとりである美苗ちゃんに、雛ちゃんの事を話した。グループで上から三番目くらいの地位である美苗ちゃんは「え、それ、雛さいあくじゃん」と鉄のような重い声を返してきた。目の奥は私と同じ好奇だった。わかる。これで私たち大丈夫だよ。安心だね。「ちょっとみんなに話してみよっか」と早口で言う美苗ちゃんに私は頷いた。それで、その日の午後には伝言ゲーム的に、雛ちゃん以外の主要メンバー全員が雛ちゃんの大嘘を知ることになった。

一週間後、12月頭。
作戦は決行された。(私が15歳になる3日前だった)
計画はかんぺきだった。清掃時間、下駄箱を掃除している雛ちゃんを、勝騂が廊下に呼び出す。そのあいだ、私たちは、廊下のロッカーの影に隠れる。それで、勝騂が雛ちゃんに、こう言うのだ。
「俺の子供妊娠してたって、ほんと?」

発案者ながら、地獄だとおもった。キスさえしてない本人からそんなこと言われたら、宇宙まで飛んで逃げて戻りたくない。

だけど実際は想像より地獄だった。
勝騂に呼び止められ、それを言われて固まった雛ちゃんは黙ったまま、くるんと向きを変え、早足で下駄箱に向かい、カバンも持たないまま、門を出ていき、それから3ヶ月、一度も学校に来なかった。卒業式にも現れなかった。

やりすぎたと思ったけど、考えないようにした。私たち4人と勝騂は担任に呼び出されて進路指導室で事情聴取されたけど、それで終わった。私は無事、主要メンバーに所属したまま15歳になった。たまに廊下側のIちゃんの席から届く目線と合いそうになると、そらした。だけど私が間違えてIちゃんのほうを見てしまったとき、Iちゃんは逸らさなかった。教室でもトイレでも図書室でもランチルームでも理科室や音楽室に行くときも常に私は主要メンバーとして過ごした。教室でもトイレでも図書室でもランチルームでも理科室や音楽室に行くときも私はひとりじゃなかった。教室でもトイレでも図書室でもランチルームでも理科室や音楽室に行くときも勝騂と目があうと勝騂としゃべって、そのときは安心できた。

卒業式。
砂が嵐みたいに舞う運動場。式で泣き腫らした私のもとに、ぜんぶのボタンを後輩や同級生に奪われた勝騂が、写真撮ろー!と寄って来た。誰かに撮ってもらうんじゃなくて、私の横に並んで、腕を伸ばしてレンズをこちらに向けてハイチーズ、とやった。3枚も撮って、3枚目を撮るときに、いや、おれら、完っ全に間違えたなあごめん、と大きめの声で言われた。え?????なんて?????????

「嫌な思いさせてごめんね。いや、俺のせいよ。でもとりあえず、3年でおまえと友達になれたことだけはすごいよかったよ、これからも遊んでね。あ、Iちゃんと撮ったげる!」とはしゃいだ勝騂が走っていって、その辺にいたIちゃんの腕をぐいぐい引っ張ってこっちに来て、そのまま私の右肩に押し付けた。隣にきたIちゃんからはバニラのかおりがして、私の頭をポンポンとしてきて、私は固まってしまい、それを見たIちゃんはポンポンをやめてしまった。すると、Iちゃんの隣の勝騂が、冗談みたいに大きなそぶりで私に両手を広げてきて、笑って逃げるように私はIちゃんの胸に飛び込んだ。そのあと勝騂が私たちに並んでまたレンズを自分に向けて、ハイ撮るよ〜!と言いながらシャッターを押した。勝騂とはそのあとも10年くらい、たまに飲んだりした。Iちゃんとは、その5年後の成人式でだけ会った。医者にはならず、彼氏が住む家を点々としながらフリーターになったIちゃんの近況は成人式後も伝わってきたし、番号は知ってたけど、連絡することはなかった。抱きつけるほど無防備に、好きだと伝えられる友達はあれ以来いない。

14歳の私は、ほとんど間違えてた。
だけど全部正しいと思ってた。

同級生の家でコンドームを出せば処女喪失できると思ってたし、喘ぎ声は大きいほどいいと思っていたし、親友とは大人になっても連絡を取り続けると思ってた。中学で目立ってる人が人生まるごと制すると信じてたし、処女喪失が遅くなるほど命の価値が下がると思ってた。ニュースをみるかぎり篠崎さんは多分まだ犯罪者になってないし、私も高校で無事に処女喪失してそれ以降は大きな間違いもしなくなったまま、大人になった。自分でもびっくりするくらい、あまりにも正しい大人になれた。だけどふと思う。

正しいのかなあ????今わたし、正しいのかなあ?????

って何かを破って踏んで叩いて壊して投げて割って叫んで思いきり唾を吐いて腕を広げて宙を掴んでそのままどこかに飛んでしまって消えたくなるときがある。春にそうなることが多い。それを、その気持ちを、この地球でIちゃんだけが、分かってくれるような気がするし、正しいって言ってくれる気がする。ぜんぶ間違えた私ごと、今も好きでいてくれるような気がして、その傲慢な間違いまるごと、誰かに認めてもらいたくなるけど。でも。


”あたしたちは永遠”と書かれた初期プリント倶楽部のシールを見つけた。1999年。目を大きくするとかの美的加工はなく、全体をセピアか白黒にするかしか選べない頃だった。母親が勝手に、同窓会に参加するって返信用ハガキを出してしまってて、別の同級生に参加するか聞いたら行くって返事が来て、Iちゃんも来るらしいよって聞いて、なんかそれじゃあなんかなんか、プリクラでも探して、持っていってみようかなとか思って、実家に戻ってきて、それで、いま私はベンチで地下鉄を待ってる。会場はホテルだから、きれいめのワンピースを着てきた。まもなく電車が参ります、というアナウンスがして、38度のお湯みたいな地下の風が迫ってきて、電車のライトが大きくなる。ミニバッグに手を入れて、そのポケットから、プリクラを出してみる。4つ同じ写真が並ぶシートが激しくたなびくから、端をグッと押さえる。もう色褪せまくってて、赤みがかったセピア色のなかに、頬も肩も首もぴったり寄せる私とIちゃんの、輪郭だけが映ってる。顔の表情は、色が剥げてほとんどみえなくて、なのに、その二人の顔が、ぜんぜん私には見える。その顔を私は、10秒くらい見つめる。まもなく発車します。正しくなった私は。駆け込み乗車はおやめください。ゆっくり息を吸う。扉がしまります。それでながいながいながいながい息を吐き出してそれから。閉まる扉にご注意ください。知らない人達を眺める。



終わり。==================================================

このnoteは、映画「14歳の栞」を見て、書き下ろした小説です。
結果的には「14歳の栞」公開記念として依頼され執筆したものですが、依頼されてなくても書いてしまってたと思います。

「14歳の栞」という作品は、映画ではなく体験でした。
みている途中から、心の中に埋もれていた「14歳の自分」がうごめきだして抑えられなくなる特殊体験。noteを書くすべての人にこそ、この映画を見た衝撃そのままを、作品にして欲しい!それをぜんぶ読みたい!と個人的に願います。(「 #私が14歳だった頃 」で作品募集しているよ)これを機に「本命ともだち」にまつわるさらなる長編小説も書こうとしてます。「14歳の栞」という映画を作ってくれた人たちにすごく感謝します。スイスイ

『14歳の栞』公式サイト
上映スケジュールと上映館はこちら



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