【教育ママ賛否】1歳半からガチガチに勉強を押し込まれ続けた結果が良かったのか振り返る。

私が公文式に連れて行かれたのは1歳10ヶ月の頃。
物心ついたときには毎日毎日公文のプリントをさせられ、朝、公文が終わらなければ幼稚園にいけなかった。

幼稚園卒園前には因数分解ができるようになり年中くらいで英検3級合格、結局小学校卒業まで公文に通った。

公文で学んだ事は中学卒業までの英・数・国だった。
他にも習い事は水泳・習字・体操・フィギィアスケート・(ボーリング教室まで!)ギター・等など、振り返れば連日、母が選んだいろいろな習い事に通っていた。

はじめて少し壁を感じたのは、小学校高学年だった。
公文で習わない「社会と理科」に関して、勉強の仕方がわからなかった。
とはいえ小学生のテストなんて範囲も狭いので、その壁はノリでなんとなくこえた感じで無事公立中学に進むのだったが、

二度目のあまりに大き過ぎる壁は高校受験だった。
社会や理科はできないなりになんとかがんばれて内申点も全体的によかったのだが(42/45だった)、決定的な壁は
「自分で志望校が選べない」ということだった。
その頃は気づいていなかったが今思えば当時の自分の状態がよくわかる。

私には
「自分で自分についての何かを選ぶ、決める」という能力が、
欠如していた。

結局、なんとなく評判がいい高レベルな第一志望校に落ちた私は
母が探してきて勧めてきた高校に入学した。

高校での勉強は、中学までの勉強とは、まったく違った。
それは、すべてが、初めて習うことだったのだ。
それまで小中学校ではいつも「公文で習った事があること」が授業に出てきた。繰り返しになるが、公文で学んだ事は「中学卒業までの英・数・国だった。もう、高校からは、公文で習ったことは、一切授業ではでてこない。
恐怖だった。言葉も通じない気候も違う外国に置き去りにされたような不安!看板もなにもハングル語か何か読めない記号で埋められているような恐怖!英数国は公文センスがしみ込んでいるので結果的に解けていくものの、
それ以外の教科は知らない国の崖の上

さらにいうと、私の通う高校は特殊なほどの進学校だった。
「2年生まで遊び倒して受験勉強!無理だったら浪人!」みたいなノリは皆無。みんなまさかの1年生のときから自主的に夏休みの補講に出て受験勉強時ですら塾や予備校にはほとんど通わない超自立した本質的に頭いい集団で予備校に行かず東大生も排出するというおそろしい高校。浪人は学年に1.2人いるかいないか。というかもうお前らどうやって育ったん。

テストの順位が、3回連続同じだった。
3回目が終わった時に気づいた。
私の順位は同じ学年の生徒の人数と同じだった。
私はずっと、最下位だったのだ。

初めて訪れた、明らかな転落。沼の底から水面を見上げている感覚。それまでは勉強もできていつも先生に一目置かれていた。高校では先生が自分を見る目が沼に沈む汚れた蛙。あーここが底辺かーというノリ。もはやノリだけが、水に浮かぶ油のように浮遊して、解決策は、浮かばない。

そしてまたしても困難が訪れる。大学受験である。
これは他の項目で書く事にするけど大学受験期は、ほぼ恋愛しかしてなくて
それでほぼ恋愛してたんだけど、ラッキーな事にその相手のほとんどが予備校関係の人たちだったのできちんと予備校に通い、それなりに勉強をする。
母の選んだ予備校で。母の選んだコースで。

そんななか、志望校を決めていく際、
生まれて初めて、私の自我が炸裂したのであった。
私は突如何の前触れもなく
【「日本文化」を学びたい。日本語教師になりたい!】
と言い出したのである。大学は、絶対に日本文化が学べるところがいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
と言いまくり、さらに公文センスを使い「国・数・英」だけで受験できる
日本文化の学部を受けまくったのである。猛勉強した。

結果、2つの大学に合格した。
それは私を試しているとしか言いようのない、
決定的な奇跡的な、運命的な、2つの選択肢であった。

ひとつめ。
①「ここの大学の日本文化学部にいきたいいいいい!と」ずっと思い、一番行きたかった、第一志望すぎる、実力よりかなりかなりレベルの高い、名古屋の私立の中で最もレベルの高い大学
・・・・・・・・・・・・・・・・・の、日本文化学部
・・・・・・・・・・・・・・・・・・の練習で受けた
<<<<経営学部>>>>。

ふたつめ。
②上記より偏差値10くらいレベルの下がる、名古屋の中では普通より少し低いレベルの私立大学の
<<<<日本文化学部>>>>。

なんということでしょう。
つまり簡単に言うと、
**
高レベル大学の
行きたいと思った事もない学部**

低レベル大学の
行きたいと言いまくってた学部

の2つから、私はどちらかを選ばなくてはならなくなったのでした。
いや、どう考えても、生まれて初めて「これ絶対学びたい!」と主張しまくって学校にも親にもいいまくっていた日本語学部に、行くのが、もちろん正しいよね??わたし、そうだよね??大学で日本文化学ばないとそもそも日本語教師の資格とれないし、だからつまりあなたが死ぬほどなりたいなりたい言ってる日本語教師の夢を叶えるなら、もう選択肢は2つっていうか最初から1つだよね??②の、日本文化学部いくに決まってるじゃん!それしか選択しないジャン!それがやりたいんだから!やりたい仕事につこうよ!だってそもそも経営学部なんて、他に1校も受けてないじゃん!経営学部なんて行きたいって思った事一瞬もなかったじゃん!なんなら経営学部とか経済学部目指してる奴らなんて所詮学びたい事なんてなくてなんとなく志望校決めたやつらでしょって馬鹿にしてたじゃん!わたしは違うよね??ちゃんとまっすぐ、具体的な夢があるもんね??その先の光、目指してこのまま進もうよ!一度きりの人生なんだから!自分信じようよ!せっかくやりたいことがあるんだよ、未来、手に入れようよ!周りになんて言われたって、自分突き通そうよ!!ね!大丈夫!わたしがついてる!ね!大丈夫!大丈夫!

そして私は当然のように、
①の経営学部に楽しく通い
軽音楽部に入り実質ほぼ授業には出ずに24時間を
恋愛:バンド:バイト=8:1:1
で4年間駆け抜けたのでした。

就職活動時は「歌で生きていきたいから就職活動なんてしない」
と言っていたのに株式会社リクルートに内定をもらったのでリクルートで働きました。リクルートは超絶楽しくて最高でした。

で就職活動で友達に一緒に受けようと言われたから受けただけのフジテレビの面接で隣に座った彼に一目惚れしてその面接のちょうど7年後の同じ日に結婚しました。

リクルートのあとなんとなく宣伝会議のコピーライター養成講座に通ってみたらそこでコピーよりCM作るのがめっちゃ楽しくて先生にたくさん絶賛されて「君はなにかを作る事が本当に向いてる!」って言われたからうれしくて、なりたいと思った事もなかったのにCMプランナーになりました。

そのあとなんとなく花も好きじゃないくせに捨てられた花ってもったいないよなーって思ってまじでなんとなく回収して再生しだしたらめっちゃ楽しくなってもうめっちゃ楽しい活動の代表になりました。今じゃ首相夫人と登壇したり大企業とコラボしたり取材受けたりたくさん注目されました。

私、思ったんですけど。
多分この、子育て論でいうと、
「自我を育てたほうがいい」
「親が口を出しすぎない方がいい」
「自分の力で生きていく子供を育てるべき」

となるところだと思うんですよ。
去年くらいまで私もそう思ってて、私の親の教育のせいで私はこんな性格になった・・・とか思ってたんですよ。

でも、一周まわって私最近、思ったんですよ。
自我って、そんな大層なもんですかね。と。
もう自分はこうして生きていく!強い思いで!という
人生の指針を持ってる筋の通った人物にならなくても、
「こっちの服よりこっちが好きだな」くらいの感性は人間性格としてあるわけで、過保護に育ち自分で何も決めれない人は一方で
実は自分の信念がなさすぎることによって、
「柔軟性が半端ない」んですよ。

私、今でも自分はあの沼の底にいるんじゃないかって思う事があるんだけど、でもその沼の中で浮遊してて、風が吹いたら別の川に繋がっててたまに海にまででちゃって波に戻されて目が覚めたら砂浜にいてハッと気づいたら鳥に食べられてどっか知らない森で落とされて強風にあおられてまた別の沼に落ちてって、そんな感じも、ありなのではないか、むしろ楽しいのではないか、と思ってきたわけですよ。

こぼれおちた柔軟性によって、風に身を委ねるある意味
"勇気"がついていったわけです。

これがアラサーの無理矢理自己肯定ですか。
押し返し地点で自分の人生正当化キャンペーンでしょうか。
みんな、ロールモデル求め過ぎ。正解求め過ぎ。
自我を育てる子育て意識しすぎ。

蛙になろうぜよ。クラゲになろうぜよ。なんならいっそ埃になろうぜよ。
ふっと吹かれたらアラスカまで旅に出れるんですよ。
埃に子育ても糞もないですよ。
ただそこにあるだけで、埃は埃。
あなたはあなた。
「正しさ」なんてただの単語。

(どや


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