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趣味が合わない夫が好き


フジテレビの面接で出会った。

面接時間直前、お台場駅のトイレで履歴書を書き終えた私は、本社まで走ってた。すでに数百人くらいの就活生が4人ひとくみでパイプ椅子に並んでいて、息を整えつつ最後尾付近にすわった私は係の人に「人数調整のためこちらに」と呼ばれ、めちゃくちゃ前のほうのグループに入れられた。


急遽すわることになったその席の、真横に座っていた男性がリクルートスーツどころかアズキ色のセーターを着ており、手元を見ると彼の履歴書の下半分はぜんぶ彼自身の写真で埋まっていて、名古屋の田舎で育った大学生である私は東京こええええええええええええええええええええええと思った。そう思ったと同時に私は彼に「え、視力いくつですか?」と聞いていた。もはや本能だった気もする。私は小さい時からなぜかずっと「視力のいい人と結婚したい」と思っていて、即答した彼が「0.08です」とか答えた数字が明らかに視力悪すぎだったけどそのときには特別に好きになりはじめていた。

初対面で視力を聞いたのはそのときが初めてで、視力なんてどうでもいいわと思ったのも初めてだった。

mixi全盛期で、面接グループ4人でマイミクになった。盛り上がりすぎてお台場駅で集合写真まで撮った。そのあと4人でゆりかもめに乗って新橋駅についたとき、階段の3段上に立つ彼を見上げたらかんぺきな後光が差していて“光っていうのはこんなに柔らかくてあたたかいんだっけ?”と感じながら「この人と結婚したいなあ」と思った。それと同時に「だけどこういう人は私と正反対の子と付き合うんだよなあ」とも思った。そんな希望と絶望をくらったまま、解散した。

2007年3月7日だった。
そのちょうど6年後の2013年3月7日に私と彼は入籍し、出会った日と同じお台場駅のホームで写真も撮った。

結婚からさらに7年経ち、ふたりの息子もいる。出会って13年。今どんな夫婦になってるかといえば、趣味もあわず価値観もそこそこあわず、それなのに割と良い感じに調和がとれている。いや趣味も価値観も合わないからこそ、とも言える。

なぜこんなことを急に振り返りだしたかというと、先日久々に会った友人の一言がきっかけだった。「どんな人と結婚したいの?」という周りの質問に結婚願望の高い彼女はこう答えた。

「笑いのツボが合う人。趣味が合う人。何か作品をつくっている人。その上で尊敬できる人」。聞いた瞬間「難易度高すぎやな!」と思ったりもしたが、それより何より私は「身に覚えがある」と記憶の端がこわばった。夫と付き合って3年ほど経った25歳の頃、まさに私は彼女と同じような願望を持ってた。厄介な沼だった。

大恋愛かつ特殊だった

まさに大恋愛、というはじまりだった。
就活が落ち着いた5月頃にmixiメッセージがきて、ライブに誘われた。その次の月はジブリ展に誘われた。その次の月もなにかに誘われた(忘れた)。東京に住む彼は名古屋にいる私と東京で会うたび、毎回交通費なども手配してくれて、デートの「しおり」みたいなのも作られていて、一緒にいるたび痺れるような嬉しさがあった。夏に付き合いはじめたときに初めて手を繋ぎ、約一年間は遠距離で、その一年はセックスしないという謎ルールも決め合った。(当時私が読んで勧めた小説の影響だったと思う)

はじめての誕生日プレゼントは彼が作った電光掲示板で、彼自作の詩が流れるようになっていた。それを渡された日は誕生日一週間前とかで、私は名古屋で友達とお茶していたのに、そこにいきなり蛍光塗料で私の名前が書かれた全身タイツを着た彼が現れて(友達と影で連絡を取っていたらしい)屋外で謎の催しがされて驚きすぎて人生初めて腰を抜かした。(彼は大学院で全身タイツを着ながら研究している人だった)

3つ年上で理系で頭が良くて冷静で思いやりがあり背が高く大泉洋に似ている東京の彼は今までの人生にいないタイプであり全部が新鮮で予想外で夢中だった。それまでの彼氏とは8ヶ月くらいしか持たなかったのに、彼との1年はあっという間だった。

仕事の話をしなくなった


付き合って2年目。
二人とも社会人になった春、いま思えばそこから関係に歪みが出た。上京して、リクルートで営業になった私は一年目で結果を出した。一方、年功序列な広告代理店で営業になった彼は、いつも接待や先輩からの無茶の連続で歯がゆい思いをしていた。お互い仕事の話をしなくなった。

付き合って3年目。
振り返ると沼の入り口はここだった。私が同世代の男女四人でルームシェア生活をはじめた。シェア生活は楽しかった、というか眩しかった。(シェアメイトの半分がICU出身だったことが大きいが)海外で活躍する人や常識にとらわれない人ばかりが集まってた。さらに同世代でフェスを作る活動にも首を突っ込みはじめた私は、アートディレクターやクリエイティブディレクターと書かれた名刺を持つ人と一気に関わるようになり、憧れと嫉妬でイライラした。足りない「自分自身に」じゃない。狭い世界で会社員をし続ける「彼に」イライラするようになったのだ。


私が欲しかったもの


彼に会うたび「クリエイティブ試験受けないの?」と聞くようになった。「起業しないの?」もなんども言った。

まさに冒頭の友人が言った〈何か作品をつくっている人。その上で尊敬できる人〉と結婚したいと思うようになってた。もしくは自分の道を切り開くような人が良かった。そうじゃない彼に落胆してた。

だけどこの問題は、意外にもここから半年で解決に向かう。シェアメイトの誘いで「死ぬまでにやりたいこと100」を書いたのがきっかけだった。それまでなんとなく感じていた自分の願望をはじめて直視したら「叶えるためには自分が動かなくては」という超根本的な発想が生まれた。焦ってすぐコピーライター養成講座に通い転職しコピーライターになりCMプランナーになり廃棄花を再生するアートプロジェクトをはじめて、2.3年駆け抜けたらラジオやテレビなど取材もたくさん受けるようになった。

すると。気づけば彼への「こんな仕事してほしい」は消えてた。ほとんどホラーだけど、あの頃わたしは自分の人生に足りないものを「結婚する相手」に補填させようとしてた。〈何か作品をつくっている人。その上で尊敬できる人〉〈自分の道を切り開く人〉になりたいのは私だった。そもそも彼は、クリエイティブではない分野に興味と才能を持っていて、そこに向かって着実に結果を出してた。私が正気に戻ってからは彼も思いきり仕事の話をしてくれるようになった。

趣味が合わない



そうして結婚した。
一年後に長男が生まれ、半年くらい経ったころ。またしても私の中で大きな夫婦問題が発生する。「趣味が合わない」である。

テレビで流れたミッシェルガンエレファントの貴重映像を見て「ミスチル?」という彼だ。そんなことは付き合ってる時から分かってた。そもそも初デートのライブはBennyKだった。笑いのツボどころか音楽も映画も本の趣味も最初から合わない。

子育てインスタ全盛期。「友達みたいな夫婦」が最前線で「 #子連れフェス #子連れキャンプ #家族コーデ 」などのタグが付く投稿を見るたび焦燥感を感じた。夫の服に注文をつけるようになり、夫が一切興味がないような国分寺のカフェでのライブイベントに家族で行ったりした。正直私もそんなに興味がなかったが、“それ”をしないと幸せじゃないみたいだった。

家族で行った動物園で、夫が一度も息子と私のツーショット写真を撮ってくれないと心底イラついた。だけどこの狂気も振り返れば1年半くらいでおさまる。私がエッセイの連載を持ち始めたのがきっかけだった。

1歳半の長男と毎日暇を潰し続ける生活から一転、エッセイストデビューした私は知らない人からも褒められるようになった。すると友達夫婦としての承認はわかりやすく薄まり「趣味は気が合う友達と楽しめばいいんだ!」と気づいた。なにもかもを夫に求める必要なんてなかった。

結婚とは恋とは愛とは人生とは



ということで、夫と私は似ていない。

先日コーヒーゼリーを食べていた私が「このコーヒーゼリー納豆の味がする……!」と言ったら夫が「豆だからね」と言った。一瞬なにを言われたか分からなくて「どういうこと?」と聞いたら、納豆も珈琲も、両方「豆」でできてるから同じ味がするんじゃない?という話らしかった。そんなこと彼に出会わなかったら思いつきもしなかった。

付き合っていたとき。
お風呂に入ってる彼を覗いたら、膝から上だけが湯船からでてた。つまり顔と体はぜんぶお湯の中に入ってた。そんな生き物はじめてみた。

新婚旅行のニースで、帰国前日に私だけ全荷物を盗まれたときも。パソコンもスマホも財布もパスポートも全部失い、マントンの派出所で「やっぱりもう一度あのカフェに探しに行く!」と泣き喚く私に彼は「戻っても仕方ないよ。パスポート再発行しに行こう」と真顔で答え日本領事館のあるマルセイユまでの往復のタクシー代が25万円だったけど静かに払ってくれていた。

トイレは必ずドアを開けてするしパンツを1日置きにしか変えないときがあるし謎の炭酸飲料とプレステを好む彼に「3人目を作るべきか」と家族計画の相談を持ちかけたとき「2人がいいと思う」という答えが返ってきて、その理由が「乗りたい車がなくなるし」だったとき、妙な納得感に圧倒された。

合うのはセックスのみだと思う。(見た目も好きだ)
浪費する私と堅実な彼は金銭感覚すら合わない。

会話では「わかる……」より「うそでしょ?」が多い。ことごとく似ていない。だけど悪くない。

note映えもしないけど


先日。
朝起きた夫がベッドの上で突然「パンツ3日変えてないかも」と起き上がりお風呂に向かった。吹き抜けになっている1階に夫が向かい、追いかけた私が2階から彼を見下ろした。夫のあらゆる匂いを嗅ぐのが生き甲斐である私に対し全裸の夫はぬぎたてのパンツを差し出そうとしてくれて、なんと見事なフォームで一階から振りかぶって投げようとしてくれた。その瞬間「なになに?」と私の隣にきた長男。宙を舞い我々のもとに落ちたボクサーパンツ。きゃあああああと湧き上がる長男。嗅ぐわたし。つづいて嗅いで咽せて叫んで床につっぷして爆笑する長男。それに爆笑する私と夫。そこに交わる、隣の部屋でEテレ見ながら爆笑する次男の声。

この瞬間わたしは「これ……しあわせでは?」と感じた。少なくとも私にとって、いやもしかすると“私たち家族”にとって、この瞬間こそ、まばゆい「しあわせ」のひとつだった。

「わかりやすく新しい結論」が望まれるnote界において「今わたしはなにを読まされている?!」と混乱している読者も多いだろう。ホラーかもしれない。性教育的にもアウトだと思う。あなたの望む結論はここにない。しあわせは定義付けられない。宙を舞うパンツの匂いに倒れる人のシーンに何の価値があるのか。そこに立ち会った私ですらわからない。

「結婚は、セックスと顔だけは重視して!」などと断言して締めたいところだけど、実際それだけでは、こんなにもかけがえないものじゃなかった気がする。

最後に


すこしまえ。
私の友達が私の目の前で夫に「なんでこの子と結婚したの?!」と聞いたことがあった。間髪入れず夫は「博打みたいだから」と答えてた。その博打には勝ったのかという質問に「いやまだわかんない」と答えてた。最近の話である。彼も全然わかってない。

つまり今日もnote映えの結論はでない。だけど、私は「もしも」と考える。

もしもまた「あの日」に戻ったら。
書いたばかりの履歴書をカバンにぶちこみ半分濡れた女子トイレの床を滑るように踏み出し扉をぶち開け手も洗わずお台場を駆け抜け勢いよくコートを脱ぎ息を切らして会場に入り汗だくでひとまず目の前の席につき、たとえ「こちらへ」と言われなくても立ち上がり会場中の隅から隅まで走り回りなんとしてもぜったいにきっと小豆色のセーターを見つけると思う。それでまた視力を聞いて爆笑する。一瞬も戸惑うことなく平然と数字を答える、その真顔に。

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