MONAMI

モナミの体臭は欧米の感じだ。

付き合ってる男が外人なんじゃねーの?
と、宗一郎はポテトをたべおわった指をなめ、かるく学ランで拭いた。その指でゲームをはじめるスマホ画面はテラテラと光り、俺は薄いおしぼりの袋をあけて拭きたくなる。付き合ってる男の国籍で、あんなにしっかり匂いがつくだろうか?レジ越しにあんなに香るものか?その男の空気に触れると同じ匂いになるのか?なら、モナミの体のどこからどこまでが、あの匂いなのか?

田舎にしかないハンバーガーチェーン。
帰宅部の高校2年、夏は長い。客はおばあちゃんと、俺らと、赤ちゃん連れの親子。6月の終わりに突如あらわれたモナミは、そこでだいたい週3回働いている。この奥まった席は、モナミから気づかれずに彼女を見るのに最高なのだけど、ちょうどクーラーの風が上手くあたらずにいつも汗がでる。そんな過酷な席に付き合ってくれる宗一郎は優しい。

モナミは先っぽだけクセがついた肩くらいまでの髪に、青いバンダナを巻いている。そのバンダナには桃より赤めの花びらが描かれて、彼女がその柄のシーツの上で寝ているところを想像させる。きりっとあがった濃いこげ茶の大きな目をきっと緩く閉じて、フカッと眠る異国感ある部屋。バンダナとシーツの柄が同じなわけはないのだけど、その姿をなんども考えてしまう。それだけじゃなくありとあらゆる柄、素材、質感...モナミに関することを、毎日、飽きもせず、ほとんど考え尽くす。人生で最も集中力を発揮している夏なのかもしれないと思う。

「矢崎!」
ギーンギーンとという蝉の洪水とパチンパチンと黒板に殴りつけるようなチョークの音が渦潮のように混じりあうなか、夏の喧騒に耳がバカになったのか逆に全て静寂の中のように感じる。「おい矢崎!」また名前を叫ばれてやっと、ミュートは解除された。ギーンギーン、ジーン、ジー!!!!

ゆっくりそよぐカーテン越しにモナミの働く店を眺めていたら、補習の菅原に名指しされたのだ。夏休みの補習がはじまって10日。名指しは4回目。そろそろ職員室に呼び出しをくらうかもしれない。俺を窓際にしたのは誰だ。そこに窓があり、その先の小さな緑屋根の建物のなかに最も興味深い生き物がいるならば、どんな高貴な人物であれ、目を見開き覗くだろう。昨日読んだ小説に、心の語尾がひっぱられる。バカな宗一郎と喋るときは、バカな喋り方になる。家で自分の口から母さんみたいな訛りが出るとぎょっとする。自分の本当の喋り方がわからなくなってくる。モナミとは注文のやり取りしかしたことがないけど、もしも、いつかなんでもない会話とかをすることになったとき、どんな話し方をしたらいいのか。その時は、自分の言葉で話したい。

補習が終わって宗一郎の帰り道と別れたあと、田んぼの合間を、太ももの筋肉をめいっぱい使いながら自転車で、生ぬるい夕暮れをかきわける。向かう先に広がる空は夜の紺とグラデーションになってる。もし後ろにモナミを乗せてたら、雲の切れ間、ちょうど強いオレンジあたりに向かって漫画みたいに飛べるきがする。家まで全力で20分。塀に自転車を投げるように降りる。蛙の鳴き声が一斉にはじまる。近所はばあさんばかりで夕方なんてとっくに静かだ。突風に冷やされた肌の上に、あたらしい汗を吹きださせながら庭に入る。庭といっても紙くずやペットボトルが何年もちらばる雑雑とした(そんな言葉も本にあった気がするけど、どうだろうか)土を踏み、ザクザク進む。玄関には鍵がかかっていて、裏のバケツから鍵を出して入ると母さんの走り書きがあった。

ばあちゃんが吐いたらしく、施設に行っているらしい。家の中はしんとして、不思議と涼しい。ラップのかかった炒飯に、衣がふにふにになったコロッケがあった。仏壇の匂いがぷんとする。モナミは今頃外人と外人ぽいものを食べているのだろうか。

モナミとはじめて会話をする機会は、思ったより早く訪れた。母さんに頼まれた特売のごま油を買いに家の近所のスーパーに行ったら、同じクラスの田口藍子にバッタリ会い「モナのこと狙っとるんやろ?」と言われた。突然すぎて固まってしまった。目の奥が自信で煌々とする田口は教室にいるときとは別人のようだ。圧倒されたまま何も答えられずにいると「うちの母ちゃん、モナの母ちゃんと同級生よ」と顔を近づけて言う。田口は女だがもはや男だ。複雑な意味ではなく、俺の率直な感覚として。うちの高校は俺らの入学2年前から突如共学になり、クラスに4人ずつ女がいて、それら全メンバーを「塩漬けにされたような顔」と柔道部の笹巻が陰でよく言っていた。その中でも塩の浸かりが浅いのが田口で、とにかく、おばちゃんみたいな普通の女子だ。モナミとは住む宇宙が違う。

「ずっと教えてあげようと思っとったんだけどさ、クラスの男子に聞かれたらきまずいやろーと思ってね。それで、いまちょうど見かけたからさあ。声かけたんだけどさあ。なに?おつかい?うち、あの子の、家も知っとるんよ。今度あそぶ?なあ、紹介しよか?なあ?」
一気にそう話す田口からはしょうゆを煮詰めたような匂いがする。誰に聞いたんかよと問わずとも、宗一郎だということはわかる。宗一郎は優しくてバカで口が軽い。だけど、俺は感情に麻酔がかかったように、宗一郎への怒りなんて一切湧かず、まるで自分の血管に虹色のしゃぼん液が流れはじめたような…未知の期待感に、頭がふにゃふにゃした。つまり思考は機能しないまま、自分でも信じられないが「あー、うん。おねがいしたいわ」と答えていた。

ニカッと笑った浅漬けの田口。1週間後、盆前の土曜。浅漬け田口と、口の軽い宗一郎と、俺と、なんとモナミとで、プールに行くことになった。俺は、浅漬けの田口に、なにかしらのメダルを捧げ讃えて回転させた胴上げをして差し上げたいような気分だった。プールって…。中学の修学旅行くらい、うれしい細胞がまくら投げして眠らせてくれないという感じ。地元の駅から電車で40分。海沿いに佇むそこは、ウォータースライダーが2つ、人工の砂浜まである。小学生の頃親に連れられて来て、迷子になって以来のそこだった。



地元の駅で集合して4人で電車移動すれば、プールに着く前に打ち解けることができたろうに。田口はあえてプールの正門を集合場所にしてきた。俺と宗一郎は地元の駅でふたりで待ち合わせ、ガラガラの車内のなか立ったまま、ほぼ無言でゆられ続けた。電車を降りると、いつもの夏を蒸し器にいれなおしたような、痛いほどの湿気にぶわっと包まれる。

怒号なのか熱唱なのか、やけに大きく蝉が鳴く。だらだらと汗が流れるなか看板を目印に歩いて2分。どろどろと蜃気楼がゆらめくなか、みえてきた正門に向かって、足早に進む。10年以上ぶりのその風景は、小学生の目でみていたよりうんと古臭い。想像では土曜の昼前のそこは家族連れでごったがえしチケット売り場も長蛇の列かと思っていたけど、実際はそこまでではなく、家族やカップル、俺らのような若者達がまばらだった。

だからより一層、とおくからでもハッキリ、モナミの姿がみえた。じいちゃんが生きてた頃に古い外国の音楽を流したラジオが、今この瞬間カチッとボタンを押されたように、頭にBGMをかける。じいちゃんありがとう。この真夏に7部丈のボーダーを着る田口のとなりで、ヨーロッパの近くのアラビア圏の国旗にありそうな...深い緑のタンクトップに、薄いグレーで麻のように薄くサラッとした膝丈スカートのモナミがいた。あんなの俺らの町のどこに売ってるんか。なんてセンスがいいのだろうか。何度か出勤前と後のモナミを遠くから観察した事があったけど、いつもバイト着のままだったから、私服は初めてだった。なんというか思ってたモナミよりぐっと繊細で、苦しくなった。良くて。

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モナミとは目を合わせられなかった。モナミと会話をすること自体は出来そうな気がしたのだけど、それを田口と宗一郎に聞かれるのは嫌だった。チケットを買った直後から、ふたりはやけに饒舌だ。あーいい匂いするー!焼きそばかなー!おー俺からあげ食いたいなーあるかなー!ここ久しぶりにきたなー!小6以来だなー!蝉と二人の喧騒で、俺とモナミの静かな世界が目立つ。男子更衣室で、宗一郎が興奮気味に顔を近づけてくる。「モナミちゃん、ほんとにきたなッ」と鼻息がかかる。ツンと漂う塩素の感じに感情なにもかも一緒くたになり「おう」と答えてしまう。

人口砂浜に陣地をとり、ビニールシートを引く。そこから一度プールに行こうと田口が言うので、浅瀬になっているほうにみんなで向かった。サンダルに砂が入り込んで足の指でそれを追い出しながら歩こうとするがまた新しい砂が入り続けて諦めた。シンプルな紺色の、ワンピースタイプの水着を着たモナミの姿を、直視したくて仕方なく、一瞬でいいから時間よ止まれと漫画みたいなことを思うが、モナミはしっかり大きな目を開けたまま、プールに向かっている。ときどき太陽しかない斜め45度上をみながら、田口の話にははっと笑ったり、へーと温度低めに反応しながら、モナミは蝶々が飛ぶ道のようにふらふら歩く。その後ろを、俺と宗一郎がぼーっと歩く。

裸足をぴしゃぴしゃ水に入れて、わあ冷たいという田口の水着はエメラルドグリーンの土台に抹茶色のラインが入って派手、いつものメガネをコンタクトにしてるのか、顔の印象がいつもより浅い。田口が迷子になったら水着だけが目印になるだろうなあ…と頭の中は常に独り言が饒舌で自分でもちょっと落ち着けと思いながら、モナミの体を盗み見る。ふくらはぎのウラにはぽつぽつと毛穴が見えている。紺色の、ワンピースタイプの水着がヒラっとめくれるたび、見える腿裏の大きなほくろに目を奪われていたら、顔面に水をかけられた。宗一郎が背をのけぞらせて笑っている。そんな大きなリアクション普段はしないのに。きっと宗一郎自身、女子とプールなんて状況に舞い上がって俺と同じく全身に力が入ってるだろう。水をかけられくしゃみと一緒に鼻水がでた俺を、きったねえなと宗一郎がまた爆笑する。それを遠くからやさしく、モナミが微笑んで、みつめてくれている。奇跡かよ。俺の鼻水を、認識してくれている。奇跡かよ。口に軽く手を持って行き、控えめに、ふッと笑っている。女神。奇跡かよ、とまた心で繰り返してみる。

フランクフルトをほうばるモナミが人差し指で口のはしのケチャップをぬぐってなめた瞬間を目に収めたとき、今日は人生最高の日だと感慨深く思った。一応この日まで、今日のモナミへの理想の振る舞いをなんどもイメージしてきた。一日が終わるまでにボディタッチされるくらいにはモナミと打ち解け、自分の趣味である読書の話をしたり、なかでも外国文学に興味があることなど、色々アピールし、どこかで共通点をみつけ、あるいは俺と話すのが楽しいと思われて、また会いたいと思われることをゴールとしていたのだけど、まともな会話は一度もしてない。だけど俺はもう既に、満足し始めている。純粋にたのしい。店以外のモナミと同じ時間を過ごせていることで胸が満腹。

いつのまにか夕暮れが近づいていた。
ひりひりと痛く日に焼けた背中にタオルをかけて、もう帰ろうかという雰囲気。心の中で幸せの水風船がぱちんぱちんと破裂したように愛しい満足感が充満し、冷めてきたコンクリートからビニールシートを片付けようとしたとき、口数少なかった俺を宗一郎がまちがって心配したのか、突然「モナミちゃんとさ、スライダーいってこいよ!」とぶち込んできた。

いまかよ。ずっというタイミングを見計らっていたのか、そう一気に叫ぶように言った宗一郎は、達成感につつまれた笑顔を恥ずかしげに逸らし、腕を空に伸ばしきってストレッチをはじめた。ジー…ジー…、と蝉はもう疲れてる。ザパーン、ザパーンと、人口の波が変わらず威勢良くしゃしゃりでる。

「あ。いってみようか」

グランドピアノのようなずっしりした、でもどこか軽やかな声。この日初めて、俺に向かって発せられたモナミからの言葉は、重厚に耳に届く。痛い。耳を貫通し心臓付近を撃たれたような痛みがあった。痛い痛い。

そのとき、田口が最も戸惑っていた。
というか田口はこの日、一日中戸惑っていた。この日は俺にモナミを紹介する名目だったというのに俺とモナミが話すきっかけすら与えないし、通ってる高校や夏休みだけバイトしてるのかとか何才くらいから面識があるのかとかとかとか、彼氏がいるのかとか、モナミの話も振らないで、修学旅行を引率する教師のようにただ俺らを移動させてるだけという感じだった。実は、今日1日のなか、ちらっとモナミが俺を見た瞬間は3回あって、でもその各瞬間に、田口はわざとモナミにどうでもいい話を振ったりしていた。記憶から消したことにしているが、田口が俺のことを気になっているらしいぞという話は、まだ田口と同じクラスになる1年くらい前、柔道部の笹巻から聞いていた。だが田口。俺は呆れている。お前が脇役にまわると決めたなら、それに徹すればいいだろうと。できないなら中途半端なこと、するなよ。田口は戸惑うを通り越してほとんど壊れながら、半分口を開けてニヤニヤした顔を作っている。海苔のような分厚い前髪がめくれて狭いおでこと濃い生え際がみえて、みるからにパサパサの毛先が口に入りそうになってる。

「おう。じゃあ、いこうか。」
俺はモナミとスライダーに向かう。田口の、か細くて変に明るさ補正した「いってらっしゃ〜い」が喧騒のなか耳に届く。面倒臭いけど、意地悪な立場は、なんだかスッとする。スライダーを待つ列に、ふたり乗りの巨大な浮き輪を抱えて並ぶ俺。モナミが後ろにちょこんと続く。

3階建てのビルくらいの高さまでらせん状の大きな階段をのぼる。ぶあついコンクリートの壁越しに、本物の海が見える。壁が隔てるこちら側、海水プールにひろがる偽物の砂浜に、ビニールシートを片付け終わりまた伸びをする宗一郎がみえる。田口は見えない。夕焼けが焼けに焼けて海の向こうのノッペリ広がった世界がピンクい。どきつくピンクい。それを見つめるモナミの顔もピンクい。その夕空は、マグロのトロを食べ過ぎたみたいに茜色をテラテラ艶めかせる。怪物みたいな空に、ぼうぜんとする。気づいたら並ぶ他人にだいぶ列を抜かされてる。だけど俺とモナミはずっと空を眺めている。ふたりになりたかった。モナミも俺のことが好きだと思う。だけどなんだろう。今この瞬間が、お互い、この淡い"恋に似た感じのなんらか"の頂点なんだろうなあと、どこかで決定的にわかっている。モナミは悲しそうな顔をする。その悲しみは、嘘か本当かわからない。モナミが俺のヒロインなのか、俺がモナミをヒロインにしたてあげようとしてるのか、わからない。

遠くに屋台がみえる。10年前のあの日、迷子になる2時間くらい前。父さんが、あの屋台の集まるエリアから焼きそばを1パックだけ買って家族のまつパラソルの下に歯をもろに出した笑顔で走ってきた。人混みをかき分けこちらに近づく父さんの姿をみつけた母さんは「それだけしか買わんかった?そんなんじゃ足りんでしょう!」と怒りながら笑った。兄ちゃんは、足りねえ足りねえ腹減ったーっとおおげさに地べたにのけぞって叫んだ。そうか?じゃあ、フランクフルトもう3本買ってくるかあ!と父ちゃんが笑いながら言った。思い出はなかなか更新されない。自分はなかなか説得できない。モナミの匂いはきっと香水でしかない。青春は、恋愛で満たされるとは限らない。俺のこころは、ふにゃふにゃの衣で包まれる。

モナミが、嘘みたいに、手を握ってくれる。モナミの家のよくない噂は何度か母さんに聞いてる。街は狭く、だけど俺たちはそれぞれ、それぞれの世界を限界まで広げようとしながら、戦ってる。生きてる。そうしてそれぞれ、大人になる。夕日は赤黒く影を増した。あの焼きそばが食べたい。

こうして、この夏も、きっと、ふつうに終わる。












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コメント3件

モナミさんの姿を僕の頭の中で、結構くっきりとイメージしちゃいました。
えめちゃくちゃいい、やばい、好きです。わたしも満たされないし、ふにゃふにゃに包まれてる。
これはいい…ほろ苦くも甘い青春…!
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