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憶良は出世欲を否定していた?

をのこやも 空しくあるべき よろずに 語り継ぐべき 名は立てずして

病床イメージ

巻六 九七八  山上憶良    

一般訳
男たるもの、ムダに一生を終えていいものだろうか、永遠に語り継ぐべき名声をあげないまま。

解釈
社会的な地位や名誉をほしがるのは、男子たるものの根源的な欲望なんでしょうか。万葉の時代から名を立てるとか出世がしたいとかは、おろそかにできないテーマだったようです。
それはいつの時代でも変わらぬものとはいえ、品性の劣化著しい現代では「名を立てる」とは自己昇華をともなうものではなく、もはやビジネスともいえないゼニ儲けに走り、テレビゆネットで名前さえ売れればいいと、虚栄にばかりが先走るような輩が跋扈ばっこするばかり。どうもあさましさばかりが鼻についていけません。最近ではそこに女性まで参戦しての乱痴気騒ぎですから、それはそれはにぎやかなことです。 

山上憶良が死を前にして病床にあったとき、若い知人が寄越した見舞い客の前で、憶良が悲しみに泣きながら詠ったのがこの歌だと注にあることから、憶良が男として語り継がれるべき名を立てられなかったのを悔やんで泣いた、という解釈になったのでしょう。
「男子たるもの後世に名を残すべし」という勇ましい歌に解釈され、戦時中は若者たちがお国のため、天皇陛下のため名を残して死ぬことの美学に通じる歌と、都合よく解釈され戦地に赴く兵士たちのあいだで愛唱されたとか。

でも、本当にそのような勇ましい歌なんでしょうか。憶良の歌にいくらか接してみると、そんな疑念をもたざるをえません。世の無常や、家族愛の大切さをテーマにしていたかれが、そんな世俗の慾で詠嘆するでしょうか。

たとえばつぎの歌はどうでしょう。

 しろがねも くがねも玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも 
    山上憶良

「どんな金銀財宝も、取るに足らないものだ。この世にこどもにも優る宝があるだろうか」
こんな無欲で慈愛に満ちた歌を詠むような憶良にして、世俗の慾にそれほどこだわっていたとはおもえない。ましてや遣唐使に選ばれ皇太子の教育係にまでなり、千年のときを越えて現代のわれわれにまでその名が語り継がれているような憶良が、地位や名誉が得られなかったと嘆いたなんて、どう考えても不自然です。

万葉集は先の大戦で戦意高揚のために便利に使われています。
前回の大伴家持の反歌の前に載せられた長歌にある「海行かば 水漬く屍 山行かば 草むす屍」は、天皇がどこにあってもその足下で死ぬのが本望だとの忠誠を詠ったものとして、軍歌に引かれてもいます。
この歌は、そんな文脈で意図的に曲解されて広められた考えられなくもない。

句を再読してみましょう。
二句と四句の末に「べき」が並んでいます。これを二句では「べきだろうか」と疑問形にし、四句ではそのまま「べき」と訳す。そこに無理がみえます。わざわざ同じ助動詞をくり返したのには強調の意味があったでしょうから、ここは二句目も「空しくあるべきだ」と読むのがしぜんでしょう。

もののふの男が末代に語り継がれるべき名を立てらず空しくあるってもいいじゃないすか。そう理解した方がしっくりきます。何より、憶良らしくていい。
ここで「空しい」をそのまま甲斐がないと理解しては、それこそ空しいことになってしまいます。ここは死を前にした憶良の無常観をひっぱりだしてきて、「空しい」を宗教的な達観した境地ととらえてみたい。世俗の慾にしばられず、こころは空しく虚心坦懐であるべきだ、という解釈です。

後世に名を残した歌人・山上憶良といっても、しょせんひとの子。まだ若く青くさいときは人並みに立身出世をのぞんだことでしょう。いや、それは後年まで捨てきれなかったおもいだったかもしれません。けれども人生経験をつむにしたがって、子どもや家族、友人知人、あるいは、ふるさととか思い出とか、人生にはもっと大切なものがあることを知る。そのことを死の床で憶良は、みずからにいいきかせるように詠ったのかもしれません。

そういえば、この歌は若い知人からの使いを前に詠んだ、と注に記されています。老いて死に臨もうとしている憶良と若い知人。その知人はきっと功利にだけは聡い出世欲にこりかたまった若者だったのでしょう。もう老い先短い病人、利用価値のなくなった人間とみて、じぶんでは見舞うことなく、使いをやったのかもしれません。

それが悔しくて、憶良が泣いた?
それもないでしょう。なんといっても、かれはもう人生を達観しているのですから。ここでは、憶良が使いを寄越した男の人間性を泣いた。そして使いを前に諭すようにこの歌を詠んだと理解してみたい。
そのとき憶良の頭には、もう知人のことも使いの姿もなかった。達観した宗教的な境地を詠ったことで、かれの魂はひと足先にあの世へと上がり、妙なる感動で目頭が熱くなってしまった、そう解釈してみたいのです。

スピリチャル直訳
男子だからといって、功なり名を遂げなくてもいいではないか。そんなものにしばられるなんてつまらないことだ。ひとの一生は虚心坦懐に清々しくあるべきなのだ。

(禁無断転載)

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