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夢に見た“衣笠政権”のメンバー

今年は2018年。
元カープのストッパー・津田恒美の没後25年にあたる。

衣笠祥雄氏ではないが、僕はこの年を生涯忘れることはないだろう。
津田恒美の死がショッキングだったからというのはもちろんだが、彼の死と僕の個人的なメモリアルが重なったことが大きい。

この年、僕は広島の県北に土地をお借りしてドリームフィールドという野球場をつくりはじめた。
その土地の賃貸契約をしたのが7月20日で、つまり津田の命日だった。
津田の野球人生が幕を閉じたとき、僕は野球場の夢を追うことになった。

このめぐり合わせを意識したのは後年になってからだったが、その符号に感じるところがあって脳裏にこの年、この日が深く刻まれているのだ。

あまりにも早すぎた津田の死にショックを受けた僕は、「なぜ?」の疑問に突き動かされるようにプロ野球のトレーナーの取材をはじめた。
選手たちの病気やケガの周辺を探ることで、津田の死の原因とか意味とか、何かがつかめるのではないかと思いたったからだった。

そして、その取材をまとめて「ダメージ」という本を書きはじめた頃に、カープのトレーナー福永富雄氏のお宅で衣笠さんと初めてお会いしている。
これもいま思えば不思議なめぐり合わせだった。
津田の死と衣笠さんとが、このとき僕の中でつながったという意味で。

津田の没後20周年に、今度は津田が生まれ変わってカープを優勝に導くという物語「天国から来たストッパー!」を上梓した。
「もう一度マウンドに上がりたかった」
津田のその思いを現実のものにするための、僕なりの祭祀だった。

津田がふたたびカープにもどる…。
そのとき監督は衣笠祥雄でなければならなかった。
衣笠三でなければ、その祭祀の“司祭”にはなりえなかったからだ。

この本はまた「カープの監督になれなかった衣笠さん」の思いを実現させる、僕なりの祭祀でもあったし、個人的な夢の実現でもあった。

衣笠さんなら、きっとこんなチームを作るだろう。
ペナントレースを戦う衣笠さんは、きっとこんな心構えだったはずだ。
こんな局面で衣笠さんは、どんな采配をしただろうか…

それを想像し物語りを構築していくことは、ひとりのファンとして、また物書きとして至上の歓びでもあった。
とりわけ衣笠監督を支えるスタッフのキャスティングに思いをはせるのは、至福の時間だった。

といっても、中核に座る人選は前から頭にあった。
たぶん多くのカープファンが共感してくれると思うが、それは江夏豊氏だった。
衣笠さんとの個人的な交友関係ももちろんだが、衣笠監督誕生でしか江夏豊という稀代の野球頭脳が現場に帰ってくる機会はないと考えたからだ。

そして、衣笠・江夏という巨頭を支え、選手との橋渡しとなる「兄貴分」として高橋慶彦氏を起用した。
この3人による指導部。架空のカープ首脳陣とはいえ、これが実現しただけでも僕は満足だった。

ここで拙著「天国から来たストッパー!」に登場する主なカープ首脳陣を列挙してみたい。(カッコ内は本の中の名前)
つまり、このメンバーが僕が考えた「夢の衣笠政権」だった。

監   督     衣笠祥雄(衣澤幸雄)
ヘッド兼投手コーチ 江夏豊(夏木穣)
総合コーチ     高橋慶彦(高崎義彦)
投手コーチ     大野豊(小野田穣)
バッテリーコーチ  達川光男(田地川満男)
兼任打撃コーチ   金本知典(梶本知則)
二軍監督      安仁屋宗八(比嘉城双八)

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