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「春過ぎて夏が来たらしい」…まんまじゃん。

テスト

巻1の28

春過ぎて 夏来たるらし 白たへの ころも干したり あめ香具かぐ

天皇の御製御製の歌
藤原宮ふじわらのみや御宇あめのしたしらしめしし天皇代すめらみことのよ [高天原たかまのはら廣野姫ひろののひめの天皇(持統天皇)]   

一般訳

もう春が過ぎて夏になったようだ、新緑の香具山に白い衣が干してある

解釈
万葉集のなかでも、もっとも親しまれている歌のひとつでしょう。簡潔な表現で季節の移り変わりをいきいきと表現し、盛りの夏を、そして、まばゆいばかりののどかさを表現した叙景歌。日本人の原風景ともいえる点描が好感を持たれている理由でしょう。
あざやかな新緑を背景に、まっ白い衣が風に揺れている。その光景が鮮明に目に浮かびます。

でも情景を詠みこんだだけで、私たちにこれほどまでに支持されるでしょうか。きっとこの歌の裏には、日本人のこころの深いところで琴線にふれるなにかが秘められているはずです。

学校で習いおぼえたこの歌を、何十年後に鑑賞したとき、ある光景が歌の世界と重なりました。それは義母が脳溢血で倒れ、突然に旅立った日の朝の光景でした。ついきのうまで当たり前のように生きていたかの女が、洗濯したままテラスに残した干物。それがついさっき掛けたばかりのように風にゆれていたのです。あのときのなんともいえない寂寥感が、この歌の叙景と溶け合ったのです。
義母の死と持統天皇の心象風景が重なったとき、この歌にある種の喪失感が秘められていることに気づいたのです。歌に詠われた情景が一点の曇りもない明るい世界であるだけに、そこには影が色濃くひそんでいるのではないかとさとったのです。
山裾ののどかな景色はまばゆいがゆえに、かえってひとの気配を消し飛ばしている。そこにあるのは、有無をいわさぬ不在感。圧倒的な寂しさです。

持統天皇が見た「白たへの衣」とはなんだったのか。万葉集の原文では「白妙能」とあてています。「妙」は年若い女性とか、かすか、はかない、という意味ですから、それをかけているとすれば、人生の盛りをまえに死んでしまった若い女性がイメージされます。

万葉集の歌には「白たへ」がいくつか顔をだしますが、そのほとんどは死をシンボライズする装束として詠まれています。病気の快癒を願って汚れのない衣に身をつつんだり、あるいは死を覚悟しての白装束であったりです。

洗濯機が当たり前の現代とはちがい、当時はほとんど洗濯はしなかったといいます。したがって衣が干してあるということは、それを着ていた人物の不在を暗示している可能性が高い。さっきまでこの衣を身に着けていた人物は、もうこの世にはいないという。

ここまで読み解いてくると、白たへの衣が干してあるのが、天の香具山であることが、しぜんに了解できます。ひとの霊魂が肉体を離れて帰る場所としての香具山。山中他界の思想が色濃くあった時代の神聖な山を前にして、きっと持統天皇は敬虔な心境になったことでしょう。そして、じぶんのまわりで早世したひとびと、あるいは皇位継承をめぐって血で血をあらう政争の果てに死んでいった近親者たち。あるいは、みずからかかわって死に追いやってしまった皇子たちの形見として、白たへの衣が目に浮かんだのかもしれません。

だとすれば、香具山を前にしたとき白たへの衣が干してあるのを偶然見て詠んだのではないかもしれない。持統天皇のこころの働きとして白たへの衣を香具山のまえに措いてみた、といったほうがいいかもしれません。詩的なエモーションによって香具山に白たへの衣をおもい描いて、死者たちの霊魂を呪的に弔ったのかもしれません。

生命力を秘めた新緑におおわれた天の香具山と、抜けるような蒼い空にはためく白たへの衣。あっけらかんとした景色に持統天皇は、いまは亡きひとびとの魂の安らぎをも詠みこみたかったのかもしれません。

緑と白、生と死との鮮明なコントラスト。生にひそむ死と、死によって補完される生。生のはかなさがひそんでいるがゆえに、この歌は私たちに生きてあることの歓びを強く訴えてくるのでしょう。

直感訳

春が過ぎて、またあの夏がやってきた。人生の盛りを迎えることもなく旅立ったあの皇子たちの御霊を、どうか香具山よ安らかに弔っておくれ。

〈禁無断転載〉



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