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1月28日(金)

6時半に起きる。遠くに聞こえる鉄路の音が目覚ましがわりになったようだ。

芸備線まではかなりの距離がある。ここは高台だから音がわいてくるのか、人間どもの活動がはじまらない前の未明の静かな時間には、ゴトゴトと大地を揺らす懐かしい音が耳の奥に届いてくる。
のどかでもあり、寂しくもあり、旅情をかきたてもする、なんともいえないひびき。電柱が並ぶ風景は日本人の〝原風景〟といわれるが、それに習えば鉄路のそれは〝音の原風景〟といってもいい。
その車両にどんな客が乗っているのか、何を思ってシートに座っているのかに思いをはせることはない。だが、自分の生活圏に鉄路が敷かれてあって、そこを客車が通過しているのを知るだけで不思議な安心感がある。
2018年に廃止された三江線を廃線直前の桜の時期に撮影してまわったときだった。全区間を車内から撮影し、さらに車で車両を追いかけながら全駅をカメラにおさめてまわっていて、たしか木路原|《きろはら》駅で近くを通りかかったご婦人ふたりに廃線になることの不便や寂しさをことばで訊こうと声をかけた。すると「もう何十年も乗ったことはないから」と、にべもなく返された。
車社会となって久しい。とくに農村山間部は一人1台車を所有している時代だ。わが家からスーパーに横付けしてくれる車両でもなければ、鉄路に用はないというわけだ。

廃線間際こそ各便満員御礼状態だったが、それまでは一部区間をのぞいてほぼ無人。廃線は自然のなりゆきだった。
誰も乗らなくなった三江線。それでも車両は健気にも、人知れず山あいの鉄路を伝って走っていた。そんな光景が脳裏に残っていたからだろう、たとえ無人でも駅と駅とを結んで車両は何かを運んでいる、そんな風情に見えた。その何かをうまくいい当てられないのだが、鉄の線路が遠くの他者とたしかにつないでくれているという安心感とでもいうのだろうか。
鉄路が廃止されたとき、それを無意識に確かめていた音を耳にすることはできなくなる、視覚に認めることも叶わなくなる。その悔いはないのか。かの女たちには、そう問いたかったのだ。

木路原駅

国が全国津々浦々に鉄路を敷いていったとき、そこには国としての使命とともに誇りというものがあったはずだ。だから簡単に廃線にすることはなかった。「たったひとりの通学生のために」という気概があった。
しかしその維持を民間に任せてしまったいま、赤字線は簡単に廃止されてしまう。地元が存続を訴えなければ、否、必死に訴えても、だ。そこには志も使命感もなく、ただ経済という乾いたロジックがあるだけだ。
いままた、水道も民間に任せようという与太話のような計画が一部で進んでいる。現実に宮城県では実現してしまった。水道の民営化が進めば、その先には廃線となった鉄路と同じ荒涼たる光景が広がるばかりだろう。

源氏の湯

きょうも日がな一日ハードディスクの写真の整理をする。まとめて「2009年」のフォルダにぶち混んであったデータのなかから記憶にない秘湯の写真が出てきた。パッと見して、どこの温泉か思い出せなかった。
「上湯温泉 源氏の湯」
宿の正面外観があったので、ネットで調べてみた。するといきなり「閉館しました」だ。なんとその温泉は2019年の9月で営業をやめていた。

閉館案内

いくつか記事を読んだり、年譜を整理していて、しだいに記憶が鮮明になった。その前日にはプロデュースした秋保洋征氏の「秘湯巡礼」の発刊記念パーティが東京であって、その帰りに中央線から身延線に乗り換えてその温泉を訪ねていたのだった。
最寄り駅に着いたときはもう遅い夕刻。そこからかなり歩くことになって、焦りに焦ったのを覚えている。酔いかそれとも疲れだったか、その距離がすごく長く感じたものだった。
玄関から声をかけて出てきたおかみさんにいきなりの投宿を頼むと、怪訝そうな表情をした。そして迷惑そうな顔。飛び込みで温泉宿に来る客というのは、ほとんど例がないのだろう。
しかし、いまさら駅までもどってほかの宿を探す余裕があろうはずもなく、不退転の形相で拝みたおして、なんとかチェックインを許された。
もう夕食の時間で、広い食堂に行ってみると、ワケありらしい若い女性と、おばさんのふたりだけ。葬儀の席の会食のようだった。
その夜は落ち着いて入浴もできなかったらしい。朝風呂でいくつかの湯船に浸かったのは写真を見て思い出した。
「秘湯巡礼」の編集で秘湯にのぼせていた時期。やっつけで出かけたバタバタ秘湯巡礼で記憶に定着できなかったのだ。それでも閉館前に訪れることができたのは幸いだった。

午後2時半に古い女の人を眼科医院に送り、4時前に迎えに行く。帰りにマックスバリューで豆乳、ヨーグルト、イカの辛子漬け、パン各種を買う。

夕飯のお茶漬けは床のなかで食べた。サッカーの内田篤人氏が現役時代、家にいるときはずっとソファの上にいるとお宅訪問らしき番組で笑っていたが、こっちは用向き以外はずっと床のなかだ。
きょうは部屋のエアコンは1秒もオンにしないですんだし、とにかく作業にも集中できる。春になるまでは、このスタイルがつづきそうだ。




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