県立大磯城山公園

海を見たいな、でもクネクネした峠道も走ってみたいなと欲張りなドライブをするべく、箱根へと車を向ける。
自宅から箱根の往復は自分の中では『定番コース』になっている。
箱根峠までをスルスルと走り、折り返して帰る道すがら、1国(国道1号線の通称、そう呼ぶのは神奈川県民だけらしい)を上る。
『どこかで休みたいな...』と思い立ったのが二宮を過ぎた大磯町辺り。
『城山(じょうやま)公園前』と信号の標示を見て寄ってみることにした。

日本史の近代・現代を語る上で、『大磯』という土地はとても興味深い。
『さぁ、日本の夜明けだ』とばかりに武家政権が終焉を迎え、刀を捨て、髷を切り落として、西洋に追いつき追い越せとなった。
近代最新兵器の前に武士道もへったくれもない、槍と刀と火縄銃じゃ勝てないことを嫌というほど思い知らされた時代。
あらゆる技術やインフラが導入し、整備されていく過程で政財界の要人たちはこぞって大磯に別荘を建てた。
『何故に?』
当時の鉄道技術、急用ですぐに駆け付けられる東京からの物理的距離、夏は涼しく冬は暖かい地理的利点、喧騒を逃れて策を練るなどなどを考えたら当時はここらがちょうどいい場所だったのかもしれない。
伊藤博文・山県有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂らの首相経験者らをはじめ、陸奥宗光や後藤象二郎といった歴史に名を遺す錚々たる面々、三井高棟や安田善次郎ら財界を担う面々も別荘や邸宅を構えた。
財産処分、資産売却の一環、関東大震災や戦争などで転出などで大磯から去っていく中で、最後まで大磯にこだわった一人が『吉田茂』だろう。
吉田茂(1878-1967)の経歴や功績云々はwikipediaなどに任せるとして...

城山公園は、旧三井家別邸地区と旧吉田茂邸地区に分かれている。
まずは旧三井家別邸地区から見る。
『えらく起伏に富んでるな...』と思ったら、単なる邸宅地だった訳ではなく、古くは横穴式古墳があったり、戦国時代には城まであったというから腑に落ちる。
かつての邸宅は解体されてしまったのは悔やまれる。
建築構造上とても貴重なものだったと聞くし、外観も写真で見る限りはとても珍しい。
実に勿体ないと素朴に思うが、当時の建物の状態もあるし、公園に整備されちゃって何年も経った後の今になって自分独りが言ったところでどうにもならぬ。
散策してると、郷土資料館があると知り、寄ってみる。

『吉田茂新収蔵資料展』とな...
『こりゃ見ない訳にはいくまい』と入ってみることにした。
友人やらに宛てた書簡や書を見ると達筆で漢学の素養の高さを垣間見ることが出来た。
外交官を歴任してたから語学堪能なことは知ってはいたものの、そういうことにまで行き届いてたのは感心しきり。
現代の政治家を見て嘆かわしいと思っているのかは知る由もない。
いくら政治家になって国政に出られる権利が誰にでもあるとはいえ、世界と対等に渡り合うには、『教養の高さ』はどうしても不可欠だ。
孫の麻生太郎がそれをわからぬはずもないのにと思ったりもする。
書には性格や教養が出るというが、パッと見ただけでわかるほど自分は書には精通してない。
ただ、普通の人という枠には収まってはいない人だということだけはわかった。
他にも外務大臣の任命書などの貴重な資料が展示されててグッと引き込まれる。

ここには『あれがあったはずだ...』と探し回ったのが一つある。
『湘南』の碑だ。
江戸時代に崇雪という人物が、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に『著盡湘南清絶地』と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。
それを根拠に『うちは湘南です』って町を挙げて主張した。
至極もっともな主張だ。
ところが実情は、世間が抱くイメージ、ここは名乗ってもいいよな的なところがある。
平塚、茅ケ崎、藤沢、鎌倉あたりなんかがそうだろう。
でも車両ナンバーの適用地は世間のイメージとはかけ離れてるところがあって納得が行かぬこともあったりはする。
探し回ってみたら...あるにはあった。
あったが、けっして状態が良いという訳ではない。
肝心な碑文がほとんど判読不能な状態になってしまっているのだ。
そうかといって改竄などを疑われぬようにと碑文をどうにかすべく手を加えて修理という訳にもいかないのかもしれない。
歯がゆさを感じる。
旧三井別邸を後にして、せっかく来たからにはと旧吉田邸へ。

残念なことに吉田茂が住んでいた状態そのものは2009年の火災でなくなってしまって、今は復元されたものが建っている。
それを見て来た訳だが、『間が悪かったよなぁ...』ってのがある。
焼失前に観ようと思えばいつだってこれたのに、今になってってのは。
ここから海を眺めて過ごしていたのかとか、策を練っていたのかとか、いろいろとああでもないこうでもないと想像するには悪くないが、時間がかかるなという印象。
そういう面ではそのものとそうでないって差は大きい。
それに来場者向けに整い過ぎてるというは。
そんな中でちょいと足を止めた展示があった。
置時計と置時計に添えられていた麻生太郎氏の置時計の由来と寄贈にあたっての書。
『麻生太郎=漢字読めない』のイメージが定着しちゃってるせいで教養が低いのかと思ったのだが、旧吉田邸に展示してあった彼の自筆を見ると『はて...』と考え込むのだ。
あれはネタだったのか、単なる事故だったのかと。
毛筆書きで想像していた以上に達筆なのだ。
海外留学の経験もあって通訳なしでも英語圏ならば言葉に不自由はしない。
おまけにオリンピック出場経験まである。
『半径2メートル以内の男』と言われてる何かが書から滲み出てた。
『外孫だとはいえ、吉田茂のDNAは彼にも伝わってる』と。

ほんの一休みのつもりがガッツリ過ごしてしまった。
『まぁまぁ...それもいいんじゃない?』車を走らせた。




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