あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」について素朴に思ったこと。

まず素朴に思ったことの羅列であると宣言しておきます。それ以上の意味はありません。
あくまで「美大の油絵科で現代アートを学んでいた人間のリアリティにより感じた事」の範疇で書き留めてる感じです。

まず美術と何のゆかりも無い美術シロウトな津田大介氏が芸術監督なことに不快感がありますね。どういう経緯で選ばれたのか?一体誰が選んだのか?
そこには何らかの政治的意図を感じますね。そして美術展である筈のあいちトリエンナーレが政治目的に利用された。左翼のイデオロギーの道具にされた。

今回問題になったのは、彼らがあいちトリエンナーレ展をダシにしておそらく一番やりたい事であっただろう「表現の不自由展」というタイトルによる一部の偏った思想による展示物らで。天皇や従軍慰安婦などを扱った、一部の人らからは反日的と言われるような。
それなら「左翼の表現の不自由展」と、より正しいタイトルにすれば良かったのでは。あたかも公共的なテーマであるかのように偽らず。羊頭狗肉な、やや謀ってるタイトルな気がします。
左翼は独善的なので、目的の為になら手段を選ばないところがある。この手のやり口をまるで息を吐くようにやる。左翼というものへの不信感がある(念のため言うと、自分は別に右翼シンパという訳ではない。右翼でない人間にも嫌悪感を持たれるやり方だと言うことです。たぶん「如何なものか」と苦言を呈すると「きさま右翼だろ」、そう敵認定される。右翼系な人らが脅迫的な抗議をしてしまった為「真っ当な美術的観点からの抗議」まで一緒にまとめて封殺されてしまった)。
左翼はシンパ以外の言葉には耳を貸さない。自分らの正しさを疑わない。そうやってお仲間同士で先鋭化し内輪で盛り上がり、周りの左翼でも右翼でもない中間層はその様子を見て何も言わず、そっと離れてく。

アート無罪をいいことに好き放題やってますね、自分らの思想の押し売りを。
アートプロパーではないプロ市民のような人たちがアーティストを偽り、あたかも作品な体に仕立てる事でその反論を封じている。美術ロンダリングすれば無問題だと思っている。それは美術というものの矮小化であり、侮辱です。
ただしその美術正義というのは、あくまで「美術作品としてのシビアな審査にかなえば」とのバーターで許される事なので。なのに美術作品としてのシビアな審査については特権的に免除されつつ、(美術正義な)都合の良いとこだけをつまみ食いはあり得ないと思います。どちらにもシビアな審査がない。
作品の印象としては、あまりに即物的なイデオロギーで、およそ美術作品では無いですね。単純にクオリティも低い。自称アーティストなプロ市民によるオカンアートなので。

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