「個性」と「独りよがりなファッション」との境界線

まあTwitterによくある「あなたのファッションに文句つける人がいて、文句を言われないよう変えて後から後悔しても、その人は責任など決して取ってはくれないよ(なので人の言うことなど気にせず自分の好きな服を着よう)」みたいなのを目撃しまして。

確かこのツイート主はコマーシャルミュージシャンの方なのかな?コマーシャルミュージシャンは人が喜ぶ優しい嘘を言うのが商売なところあるから。「歌う相田みつを」的な。
歌にはその詞の内容をゴリ押しで肯定する力がある。相田みつを的な物言いをエモーショナルな曲で背後から盛り上げながら(相田みつを的ポエムを)歌い上げる事で、その肯定感がよりブーストされる。あたかも「その詞の内容は正しいよ。真実だよ」そんな雰囲気に仕立て上げる。
音楽は思考停止させる(あるいは客観的な思考力を奪う)麻薬なので。だからその力を政治利用されたりもする。
カラオケなども、自己陶酔に浸れるからなニーズ。

まずファッションの個性とは何かというのがある。
まずセオリーがありますね。おそらく個性はソレにそぐわないものですね。セオリーと個性とはバッティングする。
あくまでそのひと個人の特性においてはセオリーを選ぶより良いもの、例えばソレが個性とか?
つまり個性を得るには、まずセオリーを知らなければならない。その上でセオリーと個性とを比較し、個性を選択する方がセオリーよりもより良い場面でのみ個性を選択する(そしてそれ以外の場面ではきちんとセオリーの方を選択する)。
それを場面ごとに見極める、ジャッジメントする能力がいる。それが出来るのがつまり個性?
まあ一つの仮説として。

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