自分がよくやる「YUKIはブスの教祖」ネタをポリコレ的見地から「ブス弄り」の類いな扱いをされる、その不本意さについて

ご存知の通り、自分はよく「YUKIはブスな女どもだけが持ち上げてるだけ」みたく言いますよね。

Perfumeがベスト版発売の話題作りでサブスク解禁して、せっかくだからとSpotifyで久しぶりにPerfumeを聴きながらふと思い出したんですね。「Perfumeが売れたのは美人じゃなくてイナたいからだよな(そしてファッションセンスがある同じ中田ヤスタカ・プロデュースなMEGの方は売れなかった)」などと。
で、「MEGはなんでポストYUKIになれなかったのか?」そう次に思考は移って。でもたいていの場合「MEGには何が欠けてたのか?(MEGはYUKIの下位互換だった)」みたいな論理展開になりがちなんだけど、「MEGはYUKIみたくルサンチマンらのどんなやましい欲を叶えられなかったのか?あるいは彼女らのどんなコンプレックスをカチンとさせる部分を持ってたのか?」みたいな分析ですかね、自分は。MEGはYUKIの上位互換だからいけなかった。ガチ勢なので引かれた、そういう論理展開。
本質の無いコマーシャルてのはあくまで半歩先なものなニーズなんですね、優れ過ぎててもいけない。
おそらくルサンチマンらの取りつく島が無かったんですね、MEGには。だからルサンチマンの無い趣味のいい人だけにリーチして、キャズム越えしなかった。(MEGがやってたファッションブランドの)カロリナグレイサーのショップみたく、野暮い人らには尻込みさせてしまった。呼び込む隙が必要だった。

たぶんですけど、YUKIの担ってたファッション的な役割って、きゃりーぱみゅぱみゅが引き継いだんじゃないですか?
YUKIやきゃりーぱみゅぱみゅは地方のイオンモールでも有りなセンスなんですね、おそらく。イオンモール感の有無。その差、その違い。イオンモールのヲサレショップまでな安心感。

で、本題な「YUKIはブスの教祖」なんだけど。

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