ヴァージル・アブローはNGでゴーシャ・ラブチンスキーはOKな風潮

ここにヴェトモンとバレンシアガのデザイナーであるデムナ・ヴァザリアも更に加えると、

モードを学んだデザイナーのモード解釈なストリート服がヴェトモン&バレンシアガで、
モードを学んでないデザイナーのモード解釈なストリート服がゴーシャ・ラブチンスキーで、
モードを学んでないデザイナーのモード解釈なストリート服が(ヴァージルアブローの)オフホワイト&ルイヴィトン。

こういう解釈ができる。ファッションをきちんと学んだのはデムナだけで、ゴーシャとオフホワイトのヴァージル・アブローはファッションを学んで無い。
だから「デムナ」と「ゴーシャ&ヴァージル」とクラスタは分けられる。ゴーシャとヴァージルは同じクラスタなのだが、モードクラスタ的には「ゴーシャは有りで、ヴァージルは無し」というコンセンサスだと思う。その違いは?

まずコムデギャルソンのお墨付きだと思う。権威主義。ゴーシャはコムデギャルソンが認めたので有りという事。
ヴァージルはヒップホップの大物なカニエ・ウエストのスタイリスト出身。あくまでカニエのご威光のバーターによる評価だろ、だから無し、そう見なされる。
あと「ゴーシャはオリジナルだが、ヴァージルはオリジナルではない」と考えてるのかな。ヴァージルはラフシモンズの劣化コピーとか。
でもゴーシャもモードからコピーしないだけで自分の母国ロシアのストリートをコピーしている。モードからコピーするかストリートからコピーするかだけで(因みにデムナについてはグルジアのストリートだと思います)。
要はストリートからサンプリングして、それをきちんと"モードにまで昇華する"という行為がオリジナリティなりクリエイティブとみなされるのだが、果たしてゴーシャのそれはモードにまで昇華してるレベルなのか、という疑問はある。キュレーションなどの範疇では。
見慣れないロシアのストリートのオリエンタリズムでしか無いのでは?だからそれがバレる前にさっさと店仕舞い(ブランド休止)したのでは?そう穿ってしまう。

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