日本の漫画の鼻の描き方について。

鼻はデッサンがいるパーツなので日本のデッサンが無い漫画家には描けない。
だから「如何にデザインで処理するか」の試行錯誤の歴史。そんな誤魔化しの歴史。

日本の漫画の絵柄のデザインの発明のほとんどは目で、その次が鼻、さらに服のシワという感じ。
でも今はデッサン持ち漫画家がデフォルトになりデッサン準拠で鼻や服のシワを描くようになったので、鼻のエポックメイキングな発明というのはさほど生まれなくなった。
目については今も欲望の投影によってデザインが発明されるが、白人コンプレックスが無くなった今では昔の少女漫画みたく「憧れダダ漏れな鼻」は描かれなくなったからだ。なので鼻は客観視されたデッサンで処理されるばかりになった。

目に対して鼻をどう当てるか、鼻で目の意図を補足する。実はロックバンドの音楽を支配するのはフロントで目立つギターでなく後ろに地味に控えるベースだったりするように、鼻の引き芸でフロントで目立つ目の意味付けを強化してる。
今はかなりハイコンテクストだから目だけで差異化は出来ない、目は目だけで意味は不十分で、次の二の手な鼻まで込みでやっと意図が確定する。
鼻は目の延長、目のサブ。今の日本の漫画絵のメインストリーム(とくに萌え系)は鼻まで込みで目である。そこまででワンセット(リアル準拠な漫画絵はまた別だが)。

「いつか鼻の穴を描く事で漫画絵を超えなければ、克服せねば」日本の漫画家にはそんな脅迫観念がある。
「鼻の穴を描けさすれば、もうその絵はデッサンだ」何故かそう土着信仰のように彼らは信じ込む。
鼻の穴とデッサンは何の関係もない。漫画の鼻にただ穴を描き加えればいい。実際ほとんどは漫画の鼻に鼻の穴を描き加えただけだ(
デッサンの場合は鼻の穴を描くか描かないかは相対的に決まる。その場面場面で結果として描いたり描かなかったり。デッサンで絵を描いてる最中は「相対的にモチーフを追うマシーン」になってるので、描き上げて普通の日常感覚に戻ったときに初めて鼻の穴を描いてるor描いてない事に気づく)。
鼻の穴という「漫画絵を壊す違和感だけな異物」を見るものに気付かれないよう、なだめすかし偽装して擦り合わせる。
日本の漫画絵は、そんなナンセンスな蛇足な鼻の穴の歴史である。

俗説?的には日本の漫画で最初に鼻の穴を描いたのは江口寿史という事になってる(勿論コレは「日本の漫画の起源は手塚治虫である」みたいなものだが)。
江口寿史は「デッサンでない漫画絵に鼻の穴をくっつけて『似非デッサン絵にしたい』という欲望を初めて実現した人」ぐらいな意味だと思う(まずこんなのは言語化されないのだが、身もふたもないから。漫画インサイダーは(自分らの欲望が何なのか自身で自覚できない)無意識な人らだし、美術サイドは漫画に興味も無いし仮にあっても逆恨みされるだけなので言わない。こんなのをわざわざ言うのは自分くらいだ。だから得てして真実は世に出てこない)。

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