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えんとつ町の踊るハロウィンナイトが示した日本の活路

いつからか日本でもハロウィンのイベントが定着しつつある。

アイルランドや英国のケルト人を起源とするこのイベントは、悪魔やお化けなどの怖い仮装をすることで、悪い死霊から身を隠すとされ、世界のあちこちで開催されている。特に近年、東京の渋谷は外国人観光客を含め、ハロウィンで盛り上がっている様子が記憶にあるかもしれない。

Photo by Denys Nevozhai on Unsplash

どうやら今年は様子が違うようだ。渋谷はハロウィンイベントの会場ではありません」という広告を出し、条例で路上での飲酒を禁止するなど、厳重警戒体制が敷かれていると聞く。一部の参加者のマナーが悪いことや、2022年に韓国ソウルの繁華街、梨泰院のハロウィンイベントで起きた雑踏事故が理由であると予想される。

そんな中、幕張メッセで開催されたのが、「えんとつ町の踊るハロウィンナイト」である。西野亮廣氏の絵本「えんとつ町のプペル」の世界観をもとに空間が彩られ、参加者は1万人を超えた。いうまでもなく、ぼくも参加者の一人として、その空間を存分に楽しんできた。

まず、圧倒されるのが、その空間デザインである。入場門には赤く照らされた提灯が無数に掲げられ、参加者をえんとつ町の世界観への誘う。インスタ映えそのものであり、ここから興奮の長旅が始まることを無意識に予感させてくれる、そんな入り口だった。会場には屋台があちこちに並び、それはお祭りそのもの。それぞれの店の装飾も拘られており、世界観をより強固にする大切な1ピースとなっていた。

ステージは盆踊りのステージそのもので、なんと円形。中央には提灯を模した巨大スクリーンが掲げられ、ここがこれから始まる最高のエンタメへの扉となる。

結局のところ、ぼくは、14時頃から終わりの21時過ぎまでずっとステージに釘付けだったのだが、パフォーマンスとともにぼくは涙を堪えきれずにはいられなかった。その涙は、ぼくが随分前に訪れたタイムズスクエアで流した涙と同じ種類のものだったように思う。タイムズスクエアを歩いていた時、ぼくはその膨大なエネルギーに圧倒された。そこにいる一人一人が、夢を持って、希望に満ち溢れているようなエネルギーだ。「ああ、だからこの街は世界の中心なんだな」そう思ったぼくは勇気づけられ、つい涙が溢れてしまった。

えんとつ町の踊るハロウィンナイトはそのエネルギーと夢の結晶そのものだった。そもそも、このイベントは子どもたちを応援するという目的で、破格の子ども料金が設定されていた。子どもたちが笑顔であるだけでない。老若男女がそれぞれの「らしさ」を楽しんでおり、その夢と希望に満ち溢れるエネルギーはタイムズスクエアに勝るとも劣らないものだっただろう。「こんな空間が日本中にあればいいのに」ぼくはふとそんなことを思った。

というのも、『日本に漂う悲壮感とZ世代』で触れたように、ぼくは日本に対して悲壮感しか感じていなかった。この国の未来はどうなるのだろうか。いや、そもそも未来はあるのだろうか、と。結果的に、今回のイベントはそういったぼくの不安を晴らすものとなった。イベントの最後に出てきたバンドザウルスなんて、その最たるものだ。言葉を選ばずに言えば、(冒頭披露された3曲は)おじさんたちが全力で踊っているだけ、である。けれどもそのエネルギーは会場中に伝染する。それは辞書の熱狂という言葉の解説に具体例として掲載されても良いのではないかというくらいだ。日本の未来はエンタメで作られるかもしれない。少し遅かったが、ぼくはその事実に気付かされた。

加えて感じたのは、「盆踊り」を含めた、日本の古典芸能の可能性である。パフォーマンスでは、日本と海外、古きと新しきを融合するポテンシャルについて考えさせられた。盆踊りだって、阿波踊りだって、よさこいだってもっと注目されて良いはずだ。それは今の言葉で言えば「カルチャープレナー」ということになる。文化やクリエイティブ領域の活動で新ビジネスを展開し、豊かな世界を実現しようとする人たちを指す造語だけれども、そんな人がもっと増えていけば、日本の未来は明るいのかもしれない。そんなことを改めて感じたハロウィンの夜であった。

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