「そうだね」がずっと欲しかった

呆気なくって満たされなくて莫迦みたい苦い


「そうだね、ごめんね」という小さな共感をずっとずっと渇望していたはずなのに、いざ目の前にすると私は幸せになれなかった。

理由はうっすら、知っている。
「わかって」ほしかったけど、私は「わからせた」から。歩み寄って欲しかった。理解しようとしてほしかったんです、本当は。

だから、悲しくて苦しい。

自分のそんな気持ちを諦めたこと、諦めたとたん状況が少し変わりはじめたことがとても悔しくてやるせないです。
こんな、こんな、呆気ないものなんですね。わかってほしいひとに、自分の心を受け止めてもらうことがこんなにも難しい。

今日は、泣いてもいい。咽び泣けばいい。泣いて泣いて、悔しいって叫んで、泣きながら前を向いて進んでやる。
もう追いかけようと思ったって届かないくらい前を突き進んでやる。

それだけです。だから、もう、知らない。
もう、知らないです。


いつか友達に言われたんです。
少し前の貴方が知って理解したことを、貴方より長く生きている人が気付けずにいるのなら、その人が今の貴方と同じ視点に立てるようになるまでどれくらいかかるんだろうねって。

驚くほど腑に落ちました。
ああ、私のほしいものって一生手に入らないかもしれないんだなって。

きっと、その観点においては私の方がずっと先にいて、差が埋まることも、追い抜かされることもない。
ずっと、自分が道標になるしかないんです。



また一歩、振り返るたび足跡が闇夜に消えてきみはいないね

また一歩、踏みしめ歩くまっさらな道を探した星明かりの夜

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