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父の急死、母の孤独と認知症

母が認知症を発症している。

何度も同じことを言う。
言動のほとんどを瞬時に忘れていく。
思い出しても時系列が混乱している。

近所の人もだんだん気づいてきている。
近所の人は口を揃えて言う。「お父さんが突然亡くなったから、ショックだったんだと思う。認知症の症状がでたのはそれからよね。」
ありがたくも、母は近所の人に見守られている。

お父さん。
わたしにとっては義父でその人とはほとんど話したことがなくて、
ギャンブルと借金とアル中、不満だと暴れている赤の他人だったので、
母より先に亡くなった時は心からほっとした。
解放感しかなかったわたしは、さっさと葬儀を済ませ、近くの合同墓地に納骨した。今思えばあの時、母は茫然としていたように思う。

母は父が亡くなってから、「自分のためにはやる気がでない」とこぼす。母にはわたしの知らない感情が存在しているのだろう。わたしはその気持ちに気づいてあげられなかった。

わたしは平日は朝から夜まで仕事をして、週末に片道2時間ほどかけて実家に行く。掃除と食料の買い置きに行く。それを母は「大変だから毎週こなくていい」と言う。

本心だろう。子供が自分の犠牲になるようなことは望んでいないだろう。
そしてその裏には「寂しい」という気持ちがあるのだろう。それも本心だ。

たぶん多くの人がそれを上手に表現できないのだろう。わたしもそうだ。
「寂しい、わたしと一緒にいて」と言うよりも、
「大丈夫」と笑顔をみせるほうがずっと簡単なことなのかもしれない。

大丈夫も寂しいもどっち生まれる感情だろう。

でもそんな母にわたしに、「そんなに強がらなくてもいいじゃないか」と声をかけたい。そして、母はきっと「うるさい」って言うだろう(笑)


わたしは人の気持ちがわからない人、やさしさはぜんぶ自分のため、そう言われることがある。いままでピンとこなかった言葉が今はほんとうにそうなのかもしれないと思う。愛ってなんだろう。


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