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おわりに -『時をかける父と、母と』Vol.21

Vol.21 おわりに

時をかける少女 愛は輝く舟
過去も未来も 星座も越えるから 抱きとめて

「時をかける少女」(作詞:松任谷由実)の歌詞の一節だ。

父はいまも、時をかけている。
過去も未来も、たぶん星座だって超えている。
だとしたら、母とも頻繁に会っているのかもしれない。
私はそんな父が、少し羨ましい。

母の死からおよそ半年あまりが経って、この原稿を書き終えた。
もう半年。されど半年だ。
そしてこれを書き終えた現時点の父は、この原稿の中よりもさらに少しずつ『進化』している。私自身の心情だって毎日変わる。エッセイというのはそういうものかもしれないが、このエッセイはまだまだ完成しない、未完結の物語だ。

……と、ここまでずっと私の話をしてきた。ここまで読んでいただいた貴重な読者さまであるあなたにも、最後に少しだけ自分のことを想像してみてほしい。

『死』や『病気』は、誰の前にもいつか訪れる。その『いつか』はいつなのか、本当の時期は誰にもわからない。

たとえば身近な誰かが病気になったとき、あなたは、その人を直接的に治療することができないかもしれない。だけど、『そのときのあなたにしかできないこと』はいつだって、たくさんある。おしゃべりをすること、写真を撮ること、美味しいものやお花を買ってくること、着替えを持ってくること。むくんだ足をさすること。絶望している余裕もなく、ただ目の前のことをやることも、全部そのときの正解なのだと思う。
そのひとつひとつの行動が、その人のためのものに見えるようで、実際はその後の自分が後悔しないための準備をしていると思っていいのではないだろうか。

あなたが120%の力を尽くしてその人の介護をして看取ったとしても、何一つ悔いが残らないことは、たぶん、絶対にない。(あるいは、そう思えたなら私に教えてほしい。)だから、そのときにできる自分なりの『正解』を、精一杯積み上げるしかないのだ。

もちろん、父との日常を少しでも笑えるように文章を書いている自分の行動も、すべて自分が後悔しないための準備だ。数年先に目の前にいないかもしれない人のことを思って、いま求められている、あるいは自分でやっておきたいと思ったことをしていたのかもしれない。

母がいなくなっても生きている

余談だが、母がいなくなってからの数ヶ月は、気力が出ずに仕事をセーブしていた。しかしこの数ヶ月のうちに、長年恋い焦がれていたチェコ共和国の海外取材(!)という奇跡のような仕事も舞い込んできた。

こんな一大ニュースも含め、それぞれの現場で出会う些細な出来事だって、本当は母に逐一報告したい。だけどもうそれは現実にはかなわない。父に報告してもすぐに忘れてしまう。でもそんなとき、兄弟は応援してくれ、大いに喜んでくれた。父母に起きた出来事は、そこまで互いに干渉しなかった私たち兄弟のありかたにも変化をもたらした。

どうやら、とてつもない悲しみのあとには、大小関わらず嬉しいことが訪れるようにもできているらしい。不思議とそういうふうにできているから、かつて誰かの死に直面した先人たちも、ある程度生きてこれたのではないだろうか。

私の場合、立ち止まらざるを得ない大事な時間を、母が与えてくれた気がしてしょうがない。そしてこの先、母を失う以上に怖いものなんてそうそうないとも思える。そのぶん以前よりも自分の好きなものに正直に、そして少し大胆になれた気がする。

当たり前だけれど、生まれてこのかた、母のいない世界を、私は生きたことがなかった。だから毎日が初めてづくしで、まだまだ慣れないことばかりだ。
母のいない世界は、これまで生きてきた世界と別世界だ。大げさに言えば、母が死ぬ時、子は産み直されるのかもしれない。もう一度生まれたような感覚。見える景色がまるで違うのだ。

我が家の場合そればかりか、父の進化は今後もいっそうめざましくなることだろう。

それでも私に起こる出来事を、一緒に悲しみ、喜んでくれ、気にかけてくれているひとがいる。父もいる。兄弟もいる。親戚、友人、父母の友人もいる。

母を失ったら、私はたった一人になってしまうと強く信じていた。母にかわる存在は後にも先にもないのは事実だし、たまらなく寂しい瞬間は多々ある。
それでもいま、出会いを広げ、周囲の人たちと関係を築きながら、新しい風景に目をならしている。そしてまだ、誰かとつながっていると感じられている。これもまた人生におけるひとつの発見だった。

さまざまな出来事を経て、自分でも驚くくらい、なんとか今日も生きられている。だから寂しい日には、「よく生きてるねぇ」と自分で自分を持ち上げたりしている。

だからきっと、未来のあなたも生きていけるはず。
そのときは私があなたに言います。
「よく生きてるねぇ」
「それだけで、じゅうぶんえらいよ」

と。

2019年6月 あまのさくや


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父
Vol.11 介護認定ってなんだ
Vol.12 デイサービスを利用し始めた
Vol.13 父の「進化」がめまぐるしい
Vol.14 母の病状が進行している
Vol.15 母のアドレナリン
Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない
Vol.17 母が逝った日
Vol.18 はじめてのお葬式準備
Vol.19 母はどこにいるのか問題
Vol.20 忘れゆく父のためにできること

あまのさくや 絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/

2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


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