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母の病状が進行している -『時をかける父と、母と』Vol.14

Vol.14 母の病状が進行している

父の福祉的サポートはサイクルができて安定してきた。もはや父の病気を疑う人はいない。けれど自分も家族も、そして母自身も、母の病気は存在しないものだと信じたい、そんな感覚があった。

抗がん剤治療をはじめた母は、薬によって副作用が強く出ていた。
投薬の方法も薬の種類によって異なるが、例えば3週間に1度点滴をして、2週間服薬、その後1週間休薬をしてまた点滴と服薬、といった周期で通院治療をしていた。

母はがんの専門医療病院に行っていたが、初めて同行したときはその患者の多さに驚いた。若いひともちらほら見かけた。

はじめは、『がん宣告→即入院』というイメージを持っていたが、よほどの症状で日常生活が送れない方以外は通院治療をしながら普段の生活・仕事などを続けるという形式が、現代のがん治療では主流のようだ。
宣告を受けた後に、実際母が入院したのは、検査入院のときと、新しい薬の投薬時に経過観察で3日程度、そして最期となった10日間ほどだけだった。

生活において気をつけるべきこと、食べてはいけないものを主治医に聞いても、いつも特に規制はなく、食べたいものを食べてくださいと言われた。「なんか諦められてるよね」と母は言った。

母はがんの宣告を受けて以降、まず、銀行や保険関連の手続きに奔走した。母の思う最優先事項だったのだろう。全く把握していない子供たちとしては、それを進めておいてくれたことは本当にありがたかった。

それから、自分の好きなアーティストのライブや、フィギュアスケートのイベント、大坂なおみの出場するテニスの試合、新しい映画によく足を運んだ。元々エンターテインメントが大好きな母だったが、この1年間は輪をかけて積極的に出かけていたように思う。

母は、家族以外にはごく一部の人にしか自分の病気を開示しなかった。好きなアーティストのライブに行くにしても、ファン仲間には自分の病気について話さない。むしろ他の人の病気や悩みの相談に乗っていたくらいだった。心配をされること、かわいそうだと思われることを嫌い、とにかくその場を楽しみたい。だから無理をしてでもイベントに行ったし、そこで放出されたアドレナリンでしばらく生きていく。間違いなくそれは、母の生きる気力の大きな部分であった。

日を追うごとに母の食欲は細ってきて、食べられるものが徐々に限られてきた。1日の中で痛みや不調を感じて横になる時間も増えていた。病気に蝕まれているのか薬に蝕まれているのかわからなかったが、いつか来る『Xデー』の恐怖はどことなく私たちに差し迫ってきていた。この時間を大切にしなければという思いは高まるのだが、この時期私はいかんせん仕事でばたついていた。

だけどある日、仕事と仕事の間で、ふとした空白の日ができた。そこで私は決めた。

「ねえ、旅行に行かない?」

そう誘ったのは、出発当日の朝だった。これは母が逝く2ヶ月半前の話。

最後の弾丸旅行

自分の仕事が一つ終わって倒れこむように早寝したらやけに早起きしてしまって、その日は自分の気分が良かったし、「今日は休もう!」という気持ちになった。

そして母に旅行を提案したのだった。どこかの温泉に行こう!と。それが、がんステージⅣの母親に言うことなのか。

私の気まぐれに、流石に少し戸惑った母だったが、どこかで母も思っていただろう。これが旅に出かける、最後のチャンスかもしれないと。
具体的に考え始めると、母の体調もさることながら、問題は父だった。あらかじめ計画していた旅だったとしたら、おそらく父は誰かに預けるか、少なくとも連れて行くという発想はなかっただろう。けれどその日の私は謎の力に満ち溢れていて、とにかく父も連れていこう!と思えたのだった。
奇跡的なまでにスムーズに手配が進み、朝思いついてから5時間後くらいには、目的地に向けて出発していた。
そして私たちは三浦海岸にたどり着いた。横浜までは湘南新宿ラインのグリーン車に乗り、その後は京急で。快適な鉄道旅だった。

母は抗がん剤をいろいろ試すうち、3種類目くらいを試したときに初めて髪が抜けた。本人には想像以上のショックもあっただろうし気も滅入ったと思う。母は夏場でも家族の前で帽子を脱がなかった。そして薬を変えてまた髪の毛が少し戻ってきた。ベリーショートよりも短いくらいだけれど私や父の前で帽子を脱ぐようにもなった(結構似合っていた)。
温泉に行こうという誘いに乗る気持ちになったのも、たぶん髪の毛が伸びてきたからということもあるだろう。
そして3日後には新しい薬を試すため、数日入院する予定になっていたのも、背中を押した一つの理由だろう。

そして3人で無事にホテルにたどり着き、この日、美味しくご飯が食べられて、自由にお風呂に入ることができた。
夜は部屋でお茶を飲みながら、母は、「いまどこも痛くない」と言った。

100%本当かなんてわからないけれど、とにかくいま、二人を連れて来られてよかった。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父
Vol.11 介護認定ってなんだ
Vol.12 デイサービスを利用し始めた
Vol.13 父の「進化」がめまぐるしい

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


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