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母はどこにいるのか問題 -『時をかける父と、母と』Vol.19

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

Vol.19 父の寂しさが流れ込んでくる

告別式を終えた翌日。朝ごはんを食べようかと思う頃に父が起きて来て、なんと喪服を着ていた。「今日お葬式かと思って」という。

昨日終わったじゃん、うまく話してたよ、というと、少し不安そうに、「そうだったかなあ。おれ、うまく喋ってた?」という。

隠し得ない父の寂しさが流れ込んでくる。私だって寂しいんじゃい。

ある日父が、「お母さんの命日は12月15日だったかな」と言い当てていた。
母が亡くなって、父は気落ちして体調を崩してしまうのではないか。周囲のそんな心配をよそに、この数日の父は、なんだか妙にしっかりしているように見えた。その日の日付も曖昧な父が、正確な母の命日を覚えているのは奇跡的だ。新しい情報がこんなにもインプットされると思わなかった。母がもういないという事実は父の中に刻み込まれていた。
……かと思えば、常に覚えているわけではない。当たり前のように「お母さんは外出してるんだっけ?」と聞いてくる日もあったりと、母の存在は父の中で行ったり来たりしている。だからこそ、目に見えて気落ちすることはないが、思い出すたびに寂しさを感じているようだ。

だけどそれは、毎日はっきりと昔のことを思い出しながら、母がいないという事実に明確に向き合うことよりも、幾分か気持ちが楽なのかもしれない。私はそういうとき、父が少し羨ましくなる。

 今日の母は「外出中」

「今日はお母さん、いないんだっけ?」
デイサービスから帰宅した父が言う。
私は口ごもり、そっぽを向きながら、小さな声で答える。
「……いないよ……。」
「え? 聞こえないよ。どこ行ってるんだっけ?」
「……。」

態度で気づいてくれないかな、と黙って父を玄関に置いて居間へ去る。

「なんで答えないんだよぉ。」
不服そうにブツブツと言う父。
コートを脱ぎ居間に入り、なおも声で追いかけてくる。
「ねえ、お母さん、どこに出かけてるんだっけ?」
観念したように不機嫌な声で私は答える。
「もうお母さんはいないでしょう?」
「あ…そうか…お母さん亡くなったのか…。死因はなんだっけ? いつ亡くなったんだっけ?」
これは2日に1回、多いときは1日に数回聞かれる質問。その日の父のコンディションによって母の状況も変わる。

「お母さん亡くなったんだよなあ」と言いながら起きてくる朝もある。
今日はそっちのパターンかと思いつつ、「おお、よく覚えてるじゃん」と褒めると、「何でだったっけ? 病気だっけ?」と続きの質問が返ってきて後悔する。気分が向けば答えるし、向かなければ答えないままに次の用事へとうつる。
私はまだ、「ハイ、お母さんはがんで他界しましたよぉ」と切り返せるほど、父の世話人にもなりきれなければ、母が亡くなったことにも慣れていない。

母が家にいない。
その事実は変わりないけれど、父の中では、母は、ときに『外出中』でもあり、『亡くなった』でもある。

母はどこにいるのか問題

母も私も特定の宗教を信仰しておらず、悩んだが結局本人の意向を総合して、私たちは無宗教葬を選んだ。拠り所にする道筋がないというのは、自由度が高い分、ときに困ることもある。
一番思うことは、「母はどこにいるのだろう」というもの。
強く信じている宗教がないというのは、こういうことなのだ。

天国というものがあるのならば、さぞかし心地いいはずの、そういう場所にいると思いたい。きっといるのだろう。そう思いたいけれど、思い切れない。
家を見渡しても、街に出ても、母の姿はどこにも見当たらない。当たり前だ。どこにもいない。

だけどもしかしたら、「どこにもいない」は、「どこにでもいる」に少し似ているのかな? とも思い始めた。

体がなくなってしまっても、きっとふと気がつけば私のすぐ後ろについて見てくれているのかな?

私が完全にそう思えるなら、きっとそうなのだろう。信じたもの勝ちだということはわかるけれど、まだそれも思いきれない自分がいる。

母の姿がどこにもない。
その事実だけが目の前に毎日ある。 

玄関先のメモ帳の先頭には、数ヶ月前に母が書いたメモがいまでも残っている。あのメモ帳は、今後何年も、ずっとめくれずに玄関に置かれるのだろう。

「整形外科に行ってきます」

そのメモが今朝書いたものだったなら、母はいま、整形外科に行っている。父だったら信じるであろうこのメモを、私も信じられたなら、もっと楽なのだろうに。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父
Vol.11 介護認定ってなんだ
Vol.12 デイサービスを利用し始めた
Vol.13 父の「進化」がめまぐるしい
Vol.14 母の病状が進行している
Vol.15 母のアドレナリン
Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない
Vol.17 母が逝った日
Vol.18 はじめてのお葬式準備

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋

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