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はじめてのお葬式準備-『時をかける父と、母と』Vol.18

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

Vol.18 はじめてのお葬式準備

さて、人が亡くなると、一息ついている間もない。

母の体を病院から霊安室まで送るのを見届けたその足で、その日の夕方から葬儀の打ち合わせをする。喪主は兄で、とにかく兄弟でなんとかしなければならない。葬儀への細かいこだわりが強かった母は、入院中にも細々としたリクエストをしていた。

とにかくいろいろなことが後手に回っていた私たちは、葬儀会社の手配も死後にすることになった。

いろいろ考えた結果、『無宗教葬』で執り行うことにした。生前の母のことが伝わるような式にしたい。そんな方針と、母が指定していた自分の遺影と、献花時のBGMだけが決定事項だった。無宗教葬というのはお経を上げない分、献花の時間以外はあまりすることがないので、スピーチを多めに入れることも決めていた。

葬儀費用というものはとにかく最低料金が決まっており、なかなか削ることができない。ほぼ泣き落としまでしても最低料金は下がることなく、私たちは極限までオプションを外し、手作りや人の援助でカバーできそうなところは補填した。あとから知ったが、生前のうちに手続きをしておくと割引などが使える場合も多いようだ。

結果的には、病気を知らされていなかった方々の驚きと、年齢も比較的若く、交友関係の広かった母へ寄せられた気持ちも大きく、想定していた以上の方からのお香典を頂戴することとなり、大きく赤字にはならずにおさめることができた。

葬儀では、父は終始ぼんやりしつつも、話しかけられたことに受け答える分にはそれなりの返事をするので、物事はあまり違和感なく進んだ。告別式では父と聖美さんがスピーチをすることになっていた。聖美さんが滞りなく母のことを話したあと、父の番になった。
父は多くを語らなかったけれど、母には本当に感謝していることを伝えてから、ぽつりと語りかけるように言った。

「僕ら、一緒にうまくやったよね。それしか言えることはありません。」

簡潔だったけれど、本音以外の何物でもない、父の素直な言葉だった。

その夜、弟が作ってくれたシチューを父と兄弟で囲みながら、まだまだやるべきことはたくさんあるけれど、とりあえず私たちなんとか及第点はもらえるかしら、と母の写真に献杯した。

兄が涙ぐんだ。


『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父
Vol.11 介護認定ってなんだ
Vol.12 デイサービスを利用し始めた
Vol.13 父の「進化」がめまぐるしい
Vol.14 母の病状が進行している
Vol.15 母のアドレナリン
Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない
Vol.17 母が逝った日

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋

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