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介護認定ってなんだ -『時をかける父と、母と』 Vol.11

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

Vol.11 介護認定ってなんだ

このころの私は、焦ってもいたし、あっという間に迫り来そうな限界を、先んじて感じていた。

父に福祉的なサポートが必要なことはもう明らかだったし、もともと父の主治医からは「介護認定を受けたほうがいい」ともすすめられていた。結局母の病気のことが大きく背中を押す結果となったが、いよいよこのときがきた。

「みながすなる介護認定といふものを、我が家も受けてみむとてすなり。(土佐日記風)」

しかし介護認定ってなんぞや? 福祉的なサポートといっても、なにが受けられるようになるのだろう? 具体的にことはなにもわかっていなかった私は、福祉関係に明るい、伯母の聖美さんに付き添ってもらい、まずは地域の包括支援センターへ相談に行った。

まず、そこで介護認定をしたいという申請を提出すると、福祉サービス利用のため、ケアマネージャーを探すようにいわれる。その場でケアマネージャーさんを紹介してもらい電話してみるとすぐ訪問日が決まり、さっそく自宅まできてくれた。

その後の手続きについてはケアマネージャーさんに従うのみだった。
こちらの要望を詳しく話し、制度について教えてもらう。そして介護認定の度合い、つまり介護度が『要支援』と『要介護』では大きく違うということを知った。父の場合は『要支援2』になるか『要介護1』になるかによって、使用できる施設の条件や日数などが変わってくるのだった。

『要介護1』は、『要支援の状態から、手段的日常生活動作を行う能力が一部低下し、部分的な介護が必要となる状態』をさす。

おそらく父は『要介護1』が出るだろうと医師からも言われていたが、市区町村によって認定の厳しさも異なるらしく、我が区は比較的厳しいという。介護認定が降りていない段階ではあるが、見込みの段階でも見学は可能とのことなので、結果を待たずに通所施設は探し始めることにした。

なにも知らない私にとってはすべてが学びである。

介護の世界では『キーパーソン』というものがいる。ケアマネージャーと連絡を取り合って連携していくキーになる人間。通常であればキーパーソンは母であるはずだが、状況的に私がなった。3人兄弟の真ん中の長女であるが、やはりこういうときにキーパーソンとなるのは女性が圧倒的に多いのだろう。ほぼ諦めである。

ヘルパーさんなどを利用するのにも関わる介護度だが『がん』は『末期がん』でない限り該当しないということと、同居家族がいる場合は料理をつくる、掃除をするなどの家事的な介助はしてもらえないことも初めて知る。極端な話、ステージⅣだが末期ではない母と認知症の父が2人暮らしだったとしても、家事の介助はないということだ。うーん殺生な話だ。

ケアマネージャーと相談して施設を選び、アポをとって見学へ。

父は60代と若いので、『体を動かす機能訓練がある』という通所施設がよかった。そうすれば一応体は動かさなければ、という思いだけはある父に、『送迎つきのジムだよ〜』という説得ができる。そしてショートステイ(短期滞在)や入所施設も併設しているような総合的な施設が今後を考えると都合が良い。そうすると区内で選べる数はおのずと限られてくるのであった。

施設A:通所リハビリセンター(認知症型あり)
施設B:機能訓練ありのデイサービス(認知症型あり)

父も見学に同行したが、正直AもBも区別がついていなかったので、自分の直感を信じるしかない。施設の構造上開放感がありそうな気がした施設Bへの通所を決めた。後日施設Bの職員さんが自宅まで暮らしと本人の状況を見がてら、たくさんの書類を出されるがままひたすらサインと捺印をした。

この時点では介護認定はまだ降りておらず介護度も確定していないが、申請中の段階でも利用を開始することができたのだった。

合格発表みたいな介護認定

『要支援』か『要介護』になるかの違いは大きいと散々聞かされていたので、「要介護を勝ち取らねば」という気持ちはなんとなくあった。

どんな人が認定にくるんだろうか……なにを聞かれるんだろうか……父はなにをいうだろうか……。なるべく大変さをアピールすること、場合によっては泣き落としも有効、といった情報も目にしていたので、切々と状況を訴えるだけでも我が家の状況は理解されるだろうと思っていた。

認定調査に際してはしっかりと準備をした。以前聖美さんが父の主治医の説得材料として提出した書類を参考に、父の病状にまつわる時系列のメモを母や聖美さんから近年の情報を合わせて更新した。○年○月 〜という行動があった。という箇条書きのリストである。これはその後の記録としても有効活用でき、年1回訪れる認定調査にも役立つことになる。
はじめての認定調査。認定員さんは男女複数名で来た。
「今日は何月何日ですか」「いまの季節は?」などなどの質問。よく聞く話だが、当事者はこういうときになぜか張り切ってしまうのだ。変なことは言っていたがつじつまが合うようなこともいう。父に直接質問したあと、別室で少しだけ私も質問を受ける。父の目の前でトイレ事情やその他繊細なことを話すわけにはいかないので別室で話す。

私のメモのうち、「びしょびしょで干したばかりの洗濯物を父が取り込んだ」という細かいエピソードに認定員が反応していた。具体的なエピソードがあったほうが、状況は伝えやすいのだろう。もちろん母ががんであることも伝えたし、おそらく私の表情は緊迫していたことだろう。

認定がでるのはおよそ1ヶ月後、結果は封書でくるというので、合格通知のようにドキドキしながら待った。
結果、やはり1ヶ月くらい経ったころに『要介護1』の認定が届いた。

ということで、父はめでたく通所サービスも開始できることとなった。
別にめでたいことじゃないんですけどね。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋

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