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60歳でアメリカ一人暮らし -『時をかける父と、母と』 vol.4

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし

そして60歳になった父に、なんとアメリカはフロリダ州で、会社の支所長をやらないかという話が舞い込んできた。
テレビを買ったことを忘れてまた買ってきているような父だ。記憶が危うくなってきているし、そもそも基本的に家事は専業主婦の母任せだった父が一人で生活ができるわけがない! という家族の心配を押し切って、なんと父はアメリカへ、初めての単身赴任をした。

一人でのアメリカ生活はそれなりに楽しかったようで、家財道具を揃えたり(単身赴任の人にしちゃ買いすぎていたようだった)、たまに料理をしたりと意外と暮らせていたらしい。とはいえ徐々に仕事にも生活にも支障が出始めたようで、おそらく日々はたいそう綱渡りだったことだろう。仕事上のアポイントも、美容院の予約も、チケットを購入したコンサートも、自分ではなかなか達成することができないようだった。なんと大好きな運転も日々していたのだから、よく生きのびてきたと思う。

結局、母にヘルプを要請しアメリカの家を引き払い、約1年2ヶ月のフロリダ生活と、長い会社員生活を終えた。

アメリカから帰国し、定年退職も経た父は、時間に縛られることがなくなった自由さを喜ぶ反面、なにもしない生活を持て余していた。と、いうのは娘の勝手な視点かもしれないが。

アクティブご隠居さん時代

父62歳。退職、帰国を経て家にいるようになって、外出する機会も多くなく、家でものを食べたりお酒を飲んだりテレビを観たりして過ごす父。私はこの頃家を出て一人暮らしを始めていたので、実家には同居していなかった。

父との会話は、短時間の間に同じ内容がループされるようになってきた。数分前に話して一度目の前から離れて再度現れると、「あれ、来てたの」と驚かれたりもした。短期的な記憶がスポッと抜け落ちるようになった。外での待ち合わせや約束は、もうすっかり一人ではできなくなってしまった。出がけに何時にどことリマインドしたとしても、家を出てから、どこに向かうのか誰に会うのかがわからなくなってしまう。手に書いてもその手を見なければ意味がないので、相手を問わずいくつもの約束をすっぽかし、家族をはじめ待ち合わせ相手は何度も振りまわされた。

この頃父はアクティブだったのだ。時間だけが有り余る感覚は、本人にとっては楽しみであり恐怖でもあったかもしれない。

「もうさんざん働いたんだから、これからは好きなことをしなよ」と私が言うと、「そうだね、俺、働かなくていいんだなあ! 嬉しいな!」なんていいながら、隙を見て働きたい様子の父。その後もなぜかかかるヘッドハンティングの声も、家族の反対を押し切り乗りかかろうとするが、結局、自分で待ち合わせができずに実現することはなくなった。

一人でなにかを予定して遂行することがずいぶん難しくなっている父が、仕事をできる状態にあるとは家族の誰もが思えなかった。とはいえ本人は、遂行できなかった約束すら忘れているわけなので、自分ができないとは到底思っていないというわけだ。

学ぶ意欲はあるようで、突然、手話の勉強を始めると言って高い入学金をポンと払ってきたり、しばらく続けたあとはフランス語を英語で学ぶというクラスに通い始めたり。フランスに留学したいと言い出してはエージェントと連絡を取り始めたが、あとは先ほどと同様に話が立ち消えていく。いちいちスケールも金額感も大きいことをはじめようとするのが父の性格だ。

アメリカ生活が長かったせいか、少し態度がなっていない店員などに文句をつけたり喧嘩腰になるところは昔からあった。とはいえ、携帯ショップなどで会話が成り立たず怒鳴り散らして帰って来るようなことがあったのはこのあたりの時期だったか。

新しもの好きの父がらくらくフォンなど使うはずもなく、欲しいのは最新のスマホだ。とはいえ複雑化しているはずの現代の料金体系、操作方法など、そんなことをわーっと店員に語られてもあっという間に混乱してしまうわけだ。店員さんも、父が90代のおじいちゃんだったら話し方も変わったであろう。見た目も若くハッキリと喋る父だったので、余計にやりとりが入り組んでしまうわけである。

父は自分がご隠居さんという意識はない。本当は、働きたいという希望に歯止めをかける権利なんて誰にもなかったはず。家族は、父の行動を阻害したわけではない。協力しなかっただけだ。一人で遂行することは、もうずいぶん難しくなっていたのだった。

父は病気に、ご隠居させられてしまったのだ。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


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