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やっぱり認知症でした -『時をかける父と、母と』 vol.6

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

vol.6 やっぱり認知症でした

2016年の夏に再度転院。てんかんの治療薬も変更した。

この頃の父はまだ多少アクティブだった。歯が痛いと、自分で歯医者を見つけてきて通った。ただ、ある日は歯が痛い痛いといいながら歯医者に出かけたのに、忘れて喫茶店でお茶を飲んで帰ってきたという。これは不思議でしょうがない……。歯痛さん、あなたはどこへ行ったのですか……。それはそれでいいか……いやよくないか……。

約束の日時、決められた日時に目的地にたどり着くことは本当に難しかった。母はかいがいしくリマインドして送り出したり、父の待ち合わせや用事がある際には、ほぼ目的地まで同行した。家を出て駅までたどり着くまでの15分程度でも、父は記憶が保てなくなっていたのだ。
父の記憶のますますの低下を感じた母は、薬の変更によるものかと改めて新しい医師に相談すると、父の症状がてんかんの症状と食い違っていると指摘される。
その後、医師の紹介のもと、検査入院をして精密検査を受けることになった。

検査入院の翌日見舞いにいくと、父は閉鎖病棟に入っていた。入院初日、自分がなんでここにいるのか、いくら説明を受けても納得できないのか忘れてしまうのか、おそらく暴れたのだろう。
父のいる病室のフロアは必ず鍵を開けないと入れないようになっていて、入院患者の無断外出は決して許されないどころか、フロア内を一人で出歩くことも制限されていた。というより、慣れない場所で一人で動き回ることは父にとってもかなり困難になっていた。しかし父はそれを決して認めようとはしない。とても綺麗な病棟で、部屋は立派な個室。浴槽までついているお風呂やトイレ、テレビに囲まれながらも父の混乱は落ち着かず、本来入院するはずの日程の間も、しばしば自宅への外泊を挟み、だましだましなんとか2週間の検査を終えた。

その結果、このときはじめて、いままであったとされる脳のキズのほかに、側頭葉の血流低下が発見され、てんかん以外の疾患がみられるとの診断を受けた。
診断は、『中程度のアルツハイマー型認知症』
不穏が足音を立て始めた2010年から、6年越しの診断だった。

なにはともあれ、認知症のための治療薬がようやく処方された。そのためか記憶は少し改善されたように見え、怒りっぽくなっていた父の雰囲気も、穏やかになったように感じた。
とはいえ父は自分が病気であるという認識がない。診断は本人も直接聞いているものの、それを覚えてはいられないのだ。
薬は処方されたが、その他にトレーニングなどを行うわけでもなく、基本的には家でじっとしている多い生活では、父の病気の進行が早まるのではないかという恐れはあった。

認知症の症状は、抑えられることはあっても、決して巻き戻すことはできないのだった。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋


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