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母が逝った日 -『時をかける父と、母と』Vol.17

『時をかける父と、母と』ー 若年性認知症の父親と、がんになった母が逝くまでのエッセイを連載しています。

Vol.17  母が逝った日

12月15日土曜日。朝8時に、私を心配してくれた友人から連絡が来ていた。

友人からのとても優しい言葉に包まれながらウトウトと二度寝をしたら、夢を見た。

夢の中では母がうちにいて、自分の足で立って歩いている。そして気づけば母と父は一緒にお風呂に入っていた。両親の名誉のために言っておくと、そんな場面は生涯一度も見たことがない。

お風呂から上がって、自分で階段を上がろうとする母を支えつつ、2階のリビングにたどり着くやいなや母はソファの端に背をかけて床に座った。ソファに座りなよ、と言ってソファをみたら散らかっていて座れる状態じゃない。それをみて母も微笑む。すごくやさしい笑顔だったし、幸せそうだった。

ああ、お母さんは、家に帰ってきたんだなあ。よくなったんだなぁ。この穏やかな時間が少しでも続くといいなぁ。そう安心したところで目が覚めた。

夢の中の母は、がんに蝕まれて痩せていく以前の母の姿だった。このときすでに、ここ数週間の母ばかりが目に焼き付いてしまっていることに気がついた。

ああ、私は、元気な母の姿をちゃんと覚えていたい。きっと母も覚えていて欲しいのではないだろうか。
そんなまどろみの最中、病院から電話がかかってきた。

朝から母の容態が急変していること。酸素が落ちていて、呼吸器をつけるもすぐ本人が外してしまうとのこと。とにかくみんなで病院に来た方がいいという連絡だった。
タクシーを呼び、運転手さんの機転で渋滞をくぐりぬけ、早々に病院へ向かった。

もともとこの日は入院前から、少し早いクリスマスパーティをしようと予定していた。母は自分の弱った姿を孫に見せることをためらっていたので、兄もなかなか子供や奥さんを連れてくることができなかった。奇しくもこの日ばかりはと連れてくることを予定していた日だった。
タクシーで向かう間に、私は少しためらいつつも、母の兄弟や古くからの友人などにも広く連絡をした。土曜日だったこともあり、みんなが都合をつけて、すぐに向かうという連絡がきた。

みんなが病院に勢ぞろいする。それは嫌な予感を認めざるを得ない瞬間だった。

「ああ、今日が母の選んだ日か……」と。

病院に着くと、この日の母の様子は明らかにそれまでとは違っていた。話をできそうな様子は毛頭なく、とにかく呼吸をすることに必死なようすだった。

母の着替えをさせないといけないと看護師さんに言われ、一度全員で部屋を出た。今日は長くなるから休んでいた方がいいと言われ、売店付近でお昼を食べながら姪っ子と甥っ子と遊んで癒されていた。30分くらいそこにいたのかもしれない。そして兄から、戻って来た方がいいという連絡がきた。

病室に戻って来た途端、母の呼吸は止まりかけていた。慌てて家族を呼び出すも、そう言うときほどみんな結構呑気で油断する。一方で、母が最大に苦しんでいた数時間をずっとみてはいなかったのは悪くなかった。苦しむ姿をみんなに見せたくなくて、早々に逝ってしまったのかもしれないね。あとからそんなことも言い合った。

13時35分、お医者さんが瞳孔と脈拍、心拍を確認、臨終となった。
病室から霊安室へ、霊安室から安置所へ。

その間に待ち時間があり、その都度母を抱きしめに行った。

私はずっと母を、抱きしめたかった。あるいは抱きしめてもらいたかったのかもしれない。だけど恥ずかしさで、私は生きているうちに母にハグができなかった。

だからこそ母が運ばれていくまで子供のように抱きついては、いつまでは体が温かいのかをはかっていた。母の温度を感じられなくなるまで感じていたかったから。母の胸では何度でも泣ける。それは幸せな瞬間なんだ。

母の前で、私はいつまでも子供だ。

『時をかける父と、母と』バックナンバー
Vol.1 はじめに
Vol.2 私が笑えるために書いた
Vol.3 かつての父はアメリカ人
Vol.4 60歳でアメリカ一人暮らし
Vol.5 認知症ではありません?
Vol.6 やっぱり認知症でした
Vol.7 ここはどこ、私はだれ?
Vol.8 「旦那を介護している」と思えない母
Vol.9 母の入院とがんの発覚
Vol.10 思いを形にできなくなった父
Vol.11 介護認定ってなんだ
Vol.12 デイサービスを利用し始めた
Vol.13 父の「進化」がめまぐるしい
Vol.14 母の病状が進行している
Vol.15 母のアドレナリン
Vol.16 母を亡くす準備はいつだってできていない

あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋

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