スキマインタビュー:鶯じろ吉さん(前編)

鶯じろ吉さんは、50代から作詞を始めました。

奇しくも、今日は3月11日。
じろ吉さんにとってもまた、3.11は、作詞を始められた大事なきっかけとなっていました。

じろ吉さんの書いた詞に、同年代の吉上恭太さんが曲をつけて歌う。そのコンビで現在に至るまでの約7年間で、CDも2枚リリース。

還暦を超えたじろ吉&吉上コンビを囲うミュージシャンは、お二人よりもひとまわり若い実力派ばかり。

老後の趣味なんて言葉は全く似合わない、ある意味では大人気ないほどの本気さがこもった、その作詞の秘密はなんなのでしょう?

ーいったい、どうして詞を書くようになったんですか?

そもそもの始まりは、「不忍ブックストリート」という、谷中、根津、千駄木界隈の書店や出版関係者が集まるエリアからでした。そこで、編集者でライターの南陀楼綾繁(なんだろうあやしげ)さんという方を中心に、そのエリアの情報を発信する配信番組があって。そこでオリジナルの番組ジングルを作ろうという公募があった。

そんなときに日本は3.11の大震災に見舞われてしまって、それからしばらくは世の中が過剰な自粛ムードがあったよね。でも個人的にはあちこちで繰り広げられている「遊び」は中断しちゃいけないんじゃないかっていう思いもあったから、この公募を成立させたくて。ぼくは音楽ができないから、勝手に歌詞を送った。そのときは、「ジングルを募集したのに変な言葉書いて送ってきた、とんちかんなやつがいる!」って笑ってもらえたら、役割は果たしたと思ってたの。そしたら、吉上恭太さんがそれにとびきりのメロディをつけて歌ってくれたからびっくりした。言葉だけでは届かないところまで音楽で届いている感じがあって、本当に嬉しくて。歌詞ってこういう役割ができるんだ!って。

それ以来、詞ができたら吉上さんに送るようになって。頼まれてもないのに歌詞を作って送るなんて、分別のある大人ならそんなことしないんじゃないかな、そんな初恋中の女の子みたいなこと。気持ち悪いもん(笑)

ーじろ吉さんは、詩人とは違うんですか?

詩人だと思ったことは一度もないな。でも今何が一番楽しいかって言われたら、詞を書いてる時が一番だね。昔から自分でポエム的な詩を書いたことも、小説を書いたこともない。そういう表現とは少し違って、部品としての歌詞を作るのが楽しいって気づいたんだ。ぼくの詞というベアリングをつかって、吉上さんはこんなかっこいい車を作ってくれた。そうやって詞を使ってくれることが誇らしいし嬉しい。たまには他の人につくることもあって、この人はどうするんだろう?ってワクワクする。いろんな人に部品として使ってもらえたらそれが一番うれしいかなあ。文学作品として読書されるような「詩」より、歌われるための部品としての「詞」を書いていきたい

ーでもきっと、さぞかし文学少年だったんじゃないんですか?

いや、実は運動大好きの理系少年だったんだよね。名古屋市の南区っていうところで育ったんだけど、幼少期の容姿は結構中性的で、性別不明だってよく言われてた。愛されてた記憶しかないなぁ(笑)。

(写真右がじろ吉少年)

その一方で、5歳上の兄がいたから、同年代からみると結構ハイレベルな運動を小さい時からよく一緒にしてた。中学校くらいまではどうやったらオリンピックに出られるんだろうと考えてたくらい(笑)。あと小学校のときから理科が好きで、昆虫採集で誰よりもいっぱいセミをとってきたり、中学校の時は、ラジオの天気概況を聞きながら学校中で一番早くて正確な天気図を書いて、模範として他のクラスに配られたりもした。

ー優等生だったんですね!

いや、ちがうんだな。やりなさいって言われることをまんべんなくできるタイプではなかったんだよね。5個言われて、4個は苦痛でもう10分も続けられないけど、これなら我慢できるっていうものが1個でもあるとそればっかりいつまでもやってる感じ。だから全然いわゆる優秀な人ではなかったね。

ー国語は好きだったんですか?

あまり国語を好きだった記憶はないし、得意とも思ってなかった。読書はむしろめんどくさくて嫌いだったんだけど、小学校4年生のときに、ルナールの『にんじん』っていう小説を読んで。学校から勧められたもので珍しく面白いと思えたから、それで感想文書いたんだよね。それで5年生では読みたいものがなくて、去年読んだのをもう一度読んだら全然違う感想が湧いてきた。結局4、5、6年で3年連続全部『にんじん』で感想文を書いた。普通にみたら怠慢だ横着だって叱られるところだと思うけど、そんときの先生は認めてくれたんだよね。

ーいつ頃から本を読むように?

高校受験の頃、郊外の方に引っ越しをして。名古屋市内の高校まで、郊外からバス、地下鉄、路面電車と乗り継いで通ってた。そこでできた通学時間を使って初めて主体的に本を読むようになった。そのとき、分厚いニーチェの本も読んだ。なんでかっていうと、これ分厚いからかなりの日数もつな、と思ったんだよね(笑)。

ーニーチェ…以外にはどんな本を読んでたんですか?

高2の頃読んだ本に、「ノヴァーリス」ってドイツロマン派の詩人についての記述があって。男の詩人だけど女の子みたいな外見でね。その頃は、ノヴァーリスの作品の翻訳ってほとんど出まわってなくて、書店でドイツ語版の本を注文したんだ。それで3ヶ月(船便!)待ったら、真っ黄っ黄の本が届いて。もちろん一言も読めないわけ。それをずっと飾って眺めて、よしいつかこれ読めるようになろうと思って。数年後にやっと読んだんだけど、その本の中でも「フラグメンテ」(断章)という文章群に惹かれて。

ーだ…ダンショウってナンデスカ?

ノヴァーリスは完成された作品をほとんど残してないんだけど、すごく哲学的で、思索の際にひらめく2、3行をノートに書いて、そのメモの塊を作品としちゃってるみたいな感じがある。日本の作家では稲垣足穂の『一千一秒物語』(※注:短編小説よりも短い掌編小説とも呼ばれている)という本も大好きなんだけど、ちょっとそこに通じるものを感じる。あえてストーリーを重視しないで、エッセンスのまま散りばめてるような感じで、読む人や読む時で捉え方が変わるような。点がいくつか存在するんだけど、点から点までの道筋は読み手が決めるっていうようなものが、とても魅力的に思えたんだよね。

ー大学はドイツ文学科でしたよね。なぜ理系に進まなかったんですか?

そのときは将来のこと漠然としか考えてなくて、生物や化学が好きだったし、キリンとか象を診る獣医になりたかった(笑)。でも実際に進路の可能性を調べると、獣医の勉強したところで地方都市ではペットの犬猫か、家畜のお医者さんの仕事がせいぜいらしいと。それであっさり諦めちゃって。

ーキリンをみるお医者さんは諦めたんですね。

正直、受験勉強ってすごくイヤで逃げてたの。大学行かずすぐ働くって言ったんだけど、親が浪人してもいいからどっか行けって言い続けてくれて。高校出てアルバイトしつつ、自分では浪人生とも思ってなくて。でもやりがいのある仕事も見つけられなかったから、結局お言葉に甘えて入りやすい大学に行かせてもらったんだ。卒業して2年を棒に振った(笑)でも今はその時期を過ごしてよかったなって思ってる。

ー高校を卒業して、モラトリアム期に突入したんですね。

あるときは高校出たんだから大人でしょって言われるし、またあるときは二十歳にもなってない、自分で稼いでもない子どもでしょ、とも言われる。なんか洗濯機の渦の中で回ってるパンツみたいな。そういうもやもやしてはっきりしないんだけども、ぼくにだって言いたいことはあるっていう気持ちだけはあるって確認できたことが大きくて。最近、いつも歌詞に姿を変えて出てくるものってなんだろうなって思うと、19歳の時の気持ちなんだよね。きっと30年経たないと言葉にならなかったんだね。

ー30年!気が遠くなる…

自分としては30年くらいは寝かせておかないと、19歳の時の自分を説得できる表現ができないと思ったのかも。今でも歌詞が2、3行浮かんで、これなんだろうって思うと、若い頃に刺さった棘でこんな気持ちになったよね、っていうのが心のどっかに残ってて。あの頃は言わなかったけど人の批判ばっか思ってたな、とか。吉上さんに送れるレベルになった詞は、必ず視線が真正面向いてるもの。仰角でもなく伏目でもない。自分の視線の高さに正直でいたくて。だからきっと愛だの絆だのっていう話は書けないんだよね(笑)

ーそしてドイツ文学科へ?

ろくに受験勉強もしなかったし、獣医も諦めて適当な文系の学部へ進学しようと思って。でも外国語は好きで、渡辺照宏さんというマルチリンガルなお坊さんが書いた岩波新書『外国語の学び方』を繰り返し読んでいた。

普通の語学の入門書ではなく、ぼくにとってはすべての言語に通じる言葉の基本構造を教えてくれる本だった。ある言語では、女性・男性・中性名詞があるとか、私とかあなたっていう言葉がないけど動詞でそれは表現されてるとか。そういうことが新鮮で、外国語自体が好きになって、5つの言語のラジオ講座をそれぞれ3ヶ月くらい受けたの。それで自分に一番しっくりきたのがドイツ語だったんだよね。

ーそんなに試したんですね!

ドイツ文学を専攻して、出会った恩師が、リンゲルナッツという全然知られてない詩人のことを教えてくれて。で、卒業して出版社に勤めたから、その先生が昔出版していた詩集を内容を増やして出し直しませんかって言ったら喜んで協力してくれた。それが『動物園の麒麟』J・リンゲルナッツ著/板倉鞆音編訳っていう本。

ーキリン出てきた!

リンゲルナッツの詩からタイトルをとってぼくが決めたんだけど、やっぱりキリンに縁があるよね(笑)。このジャケットの絵も、リンゲルナッツ自身が描いてるの。

ーそこからは出版の仕事ですか?

初めの会社は、小さいけど文芸も地方誌も写真集も幅広く手がける会社で、その後さらに小さな詩集の専門出版社にうつった。そのあと縁があって百科事典を編集する会社に行った。そこで定年を迎えて、まだ使ってくれるから今もそこでアルバイトのおじいさん(笑)してる。

ーしかし百科事典へというのはちょっと驚き。

多種多様な資料を編纂するとか、散文的な事実を長い期間積み上げて一つにまとめることとか…詩や文芸の世界だと、そういうのはいわゆる文化じゃないって軽視する人もいるんだけど。でもぼくは大事だなって昔から思ってたから、辞書・事典類に関われるのはいいなと思って。そして事典類ってとこに理科少年の血が騒ぐわけです。数学や物理の学会紀要とか発表資料とかも、引用が正しいかどうか一応目は通すから。外国語が好きなのと同じで、この世界この分野の専門用語ではこういうんだ、って楽しめる。

ー理科と外国語好きが百科事典に活きてる。だから詞の語彙力も豊かなんですね。

なにも深くは知らないけどね。でも興味は広い。そしてどこに尋ねればいいかってアンテナを張ってる(笑)。初めて見る言葉とか、間違いだと思ってたけどここではアリなんだ!とか。変だ!って思う以上に楽しいと思えるから、そういうのは好きで続けられるんだね。

じろ吉少年から青年期、そして大人になって…

蓄積された言葉が詞にいかに凝縮されているかが、

少しずつ見えてきました。

そして次回からは、じろ吉さんの詞の世界と音楽にもう少しクローズアップして、迫っていきたいと思います。

吉上恭太「ある日の続き」は、こちらから数曲ご試聴いただけます

詞の解説を含むインタビュー後編は、こちら

鶯じろ吉。1957年愛知県名古屋市生まれ。
吉上恭太さんに詞を提供し生まれた曲たちを集めた「ある日の続き」が2017年にリリースされた。
聞き手:絵はんこ作家「さくはんじょ」主宰のあまのさくや。誰かの「好き」からその人生を垣間見たい、表現したい。そういうものづくりをしています。

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sakuhanjyo

スキマインタビュー

「好き!」でスキマじかんを埋めちゃってる人に聞いていく、 「スキマインタビュー」。 そこから垣間見える人生をのぞかせてもらいにいきます。

コメント2件

聞く方も聞く方なら、答える方も答える方。こんなに話したんだっけ黒歴史!
でも「いい加減にしろや!」ってチンピラみたいなことは言わないぜ。
さぁ、いよいよ後編ではあんなことやこんなことも語られるぜ!
次号を刮目して待て!(じろ吉先生に励ましのお便りを書こう。)
じろ吉さん ありがとうございます!後編アップするのも楽しみでうずうずしております〜
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