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しおっこ・すきまっこ

私は、定義としては元ヤングケアラーに当てはまりますが、とあるきっかけ(後日書きますが、昨年9月に母が救急車で運ばれました)まではヤングケアラーという言葉が好きになれませんでした。


“介護する人が上で介護される人が下”というような差別・偏見は、今の時代ではあまり無いのかもしれませんが、私は単に親の子供であるだけなのに、介護する・されるの上下関係をつけられているような気がしていたのです。私は子供として親のことは尊敬していますが、ヤングケアラーという言葉からは「介護をしている」ということしか感じられず、親子関係がないがしろにされているような思いをもっていました。
もちろん、介護をしている子供たちがヤングケアラーとして社会的に認知され、必要なサポートが受けられることはとても良いことだと思いますが、自分から「私はヤングケアラーです。」というのは、親に申し訳なく思っていました。


なんとか、ヤングケアラーではなく、当事者が自分のことを表せるような言葉を考えることができないかなと思っていた時に考えたのが、「しおっこ」と「すきまっこ」の2つでした。


・しおっこ
「障がいのある親をもつ子供」の頭文字をとって「しおっこ」です。しおっこ(しょっこ)という言葉は、地方によってカンパチの幼魚を指すそうです。私はヤングケアラーという言葉にネガティブな印象をもっていたのですが、カンパチの幼魚ということであれば、少しその印象も払拭されるのかなと思いました。また、「しおっ児→潮路→しおっこの歩む人生の道は、海の潮路のように開けている」といったこじつけっぽいイメージももっていました。


・すきまっこ
これはいろんな意味で、「すきま」がある子供を表しています。社会のすきまにいる、精度のすきま(はざま)にいる、家族のすきまにいる(すきまを埋めている)、育つ家庭ですきまがあった…などなど。育つ家庭ですきまがあったとは、以下のイラストのようなイメージです。私は人の心はジグソーパズルのようなもので外枠が作られているイメージがあります。そのパズルのピースは育っていく中でのいろいろな経験で作られています。(愛着形成とか)そのピースをたくさん埋められた人は、その後の人生で経験する様々な経験から“しあわせ”を心の中に溜めることができますが、すきまっこは、埋められなかったピースの部分から“しあわせ”が零れ落ちてしまい、いつも満たされない思いをもっているイメージです。
最初は、「社会の狭間」「制度の狭間」ということで、“はざまっこ”という言葉も考えたのですが、やめました(笑)後は、もともとすみっコぐらしが好きだったので(笑)

恩師にこの“しおっこ”、“すきまっこ”の話をしたところ、“つなぎっこ”はどう?と言われたので、いつか“つなぎっこ”についても書いてみたいと思います。

たろべえ

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