ノートルダム寺院から宗教について考える

ノートルダム寺院の大火災が沈下してから、1日が経過しました。

現地の人のショックは非常に大きいものだったようで、ニュースにでていたのを見ましたが、夜通しノートルダム寺院に向かって祈りを捧げている人も大勢いたようです。

パリの人やカトリック教徒の人に対して、私は何もしてあげられませんが、せめて少しでも早く悲しい気持ちが癒えることを願っています。

このように宗教的な出来事が発生すると、まだまだ他国の人の気持ちを理解できていないなと痛感します。

私は無宗教の家庭で生まれ育ったため、神様に祈りを捧げて生活したことはありません。だから、自分が居住しているわけでもない建物が崩れ落ちて行く様を見て、夜通し火が消えるのを祈り続けることは生涯に一度もないと思います。

しかし、日本人以外の多くの国の人達には、それぞれ信じている宗教があり、大切にしている建物や教えがあるのです。

国際社会やグローバリズムをうたうのであれば、まずはこのような相手人が大切にしているものをしっかりと理解してあげなければなりません。

このような痛ましい事件が起こるまで、違う国の人の大切にしているものが分かってあげられないことは、非常に残念なことですが、
せめて、次に宗教を信仰している国の人と話すときには、聖地や教えを大切にしていることを理解してあげたいなと思います。

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