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「万世とか知覧とか指宿とか」について

先日鹿児島にちょっくら行ってきました。

特に鹿児島県内に行きたいところがあった訳でもなく、ソラシドエアの羽田から鹿児島の往復チケットが18,000円程と安かったというのが理由である。
同じ金額の交通費を使うなら近場より なるべく遠くへ行ったほうが得だという安直さと、冬でも南の方は暖かくて過ごしやすいかなーという安直さが 僕を鹿児島県へいざなったのだ。(鹿児島も普通に寒かったけどな…)

過去何度か鹿児島に訪れているが、鹿児島市の中心街しか見ていなかったので今回はもっと郊外に行ってみようと思いついた。九州といえども鹿児島も熊本も中央街の雰囲気は東京とあまり変わらないんだよね。なんでなるべくその土地を感じられる場所へ行きたかったのよ。

鹿児島県は地図で見るとわかるように大隅半島と薩摩半島という巨大な半島が南方に向かって突き出ている。東側で突き出ているのが大隅半島、西側で突き出ているのが薩摩半島で、その間に挟まれているのが桜島。鹿児島県の中心街である天文館はその桜島のちょうど対岸側に位置する。

指宿温泉に浸かる浸かる

温泉宿は部屋からの眺めより、部屋と浴場の距離が重要


今回宿泊する 砂風呂で有名な指宿温泉は薩摩半島の南端に位置し 鹿児島中央駅からも電車で1時間強程 揺られれば来れるようだが、今日は鹿児島空港からレンタカーで寄り道しながら向かうことにした。

泊まった指宿温泉ホテルの大浴場はとてもよかった。ここの温泉はちょっとしょっぱい。
ただ問題は泊まっている部屋と大浴場が館内の端と端で離れており、気軽に温泉に行こうという気が失せるデカめのホテルだったということだ。温泉宿に泊まるならデカいホテルは避けたほうがよいと改めて思ったのだ。
明日はどこに行こうかと布団の中で色々調べていたら、いつの間にか寝てしまっていて温泉には結局一回しか入れず なんか無駄にした1日が過ぎていく。

   

薩摩半島を車で走る走る

沖縄のモノレールの駅が最南端ではないのか?
モノレールだから違うのかな。いやよく見たらJR限定か

鹿児島県の薩摩半島の最南端に位置する「開聞岳」は標高が924mで日本百名山にも数えられ、別名薩摩富士とも呼ばれる円錐状のシルエットはとても美しい。
その開聞岳の麓にあるのがJR西大山駅だ。ここは日本最南端の駅で ちょっとした観光スポットとなっているようだ。観光スポットといっても駅舎も無い小さな無人駅であり 周りは畑に囲まれているような場所なので、鉄道マニアくらいしか訪れない場所。かと思いきや、ちょうど韓国人の団体がバスでここに来ていた。外人がここに来て何が面白いのだろうか?どこに行っても外国人観光客だらけだわ

『幸せを届ける黄色いポスト!』
なんじゃそれ とは言ってはいけない
西大山駅向かいの商店には芸能人?達のサインがいっぱい
ここのマンゴーアイス美味しかった

知覧武家屋敷
武家屋敷?
武家屋敷?の中。夏は常に蚊に刺されそう
セクシーギャルがお出迎え

知覧にある武家屋敷跡地にも行ってみた。
観光客はほとんど居なかったし、面白そうなスポットもあまり無さそうなので長居はしなかった。
そういえば そこで一人旅らしき妙齢の女性から武家屋敷をバックに写真を撮ってくれと頼まれた。「喜んでシャッターを押しますよ」感で対応したのだけれど、その人から写真の画角がどうだの 背景に車が入らないように撮ってくれ等々言われたので、僕の笑顔はすぐに苦笑いに変わった。監督のこだわりが凄くてさ。

 


   


 

 

特別攻撃隊

『生き残った者がしなければいけないことは その死を無駄にしないことだ。物語を続けることだ。一人一人に物語がある』     〜 映画 永遠の0より 〜


去年のいつだっただろか。アマプラで戦時中の特別攻撃隊を題材にした『映画 永遠の0』を観たのだが予想外に面白く、日本人として色々と考えることもあった。
ということで、せっかく鹿児島県に来たのだから2箇所ある特攻隊の資料館に行ってみることにした。

第二次世界大戦末期、大日本帝国海軍が航空機が搭載した爆弾もろとも敵艦に突っ込む「神風特別攻撃隊」。  全特攻戦死者1036名のうち439名という半数近くが鹿児島県にあった知覧基地から出撃しました。その隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を収集・保存・展示してあるのが「知覧特攻平和会館」です。

知覧特攻平和会館

   

昭和18年夏から19年末にかけて薩摩半島西岸の吹上浜に建設されたのが、陸軍最後の特攻基地「万世(ばんせい)飛行場」。
この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、ここから沖縄の空へと飛び立っていきました。
「万世飛行場」跡地に、恒久の平和を祈念するよう建てられたのが「万世特攻平和祈念館」です。

万世特攻平和祈念館

特攻作戦で亡くなった隊員の平均年齢は21.6歳だという。17歳で作戦に加わった隊員もいたと知りかなりのショックを受けた。
知覧と万世の2つの資料館には 亡くなった特攻隊員の家族に宛てた手紙や遺品などが多数展示されている。


僕が日々のんべんだらりと過ごせるのは、日本のために戦ってくれた人が居たからというのを忘れてはいけないな。

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