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すみちゃんの 『#自己紹介』

こんにちは!

プロフィールにアクセス頂き、ありがとうございます!


Kindle出版を自身で行いながら、出版プロデューサーも務めています。

ライター歴も10年です。


◆現在の私のステータス
名前:すみちゃん
年齢:アラサー
性別:男
居住:とある地方都市
趣味:アニメ鑑賞、読書、筋トレ、プロ野球観戦
特技:ボウリング、トルネコの大冒険3の異世界の迷宮をポポロでクリアすること(すでに3回打開済)


現在でこそポジティブにもなり

最新テクノロジーなどにも積極的に触れていますが、

元々はネガティブで好奇心がほとんどない人間でした。


このページでは私の『#自己紹介』ということで、

過去から現在までをストーリー仕立てでご紹介していきます。


楽しみながら読んで頂けると嬉しいです!!


幼少期~小学2年生の夏休みまでの宮崎県での暮らし

私は1990年代に神奈川県で一家の長男として生まれました。


幼少期は神奈川県にずっと住んでいたのですが、
3歳になったくらいの頃に父親の仕事の転勤により宮崎県に引越しをしました。

ですので、私が物心ついた時には宮崎に住んでいたという感覚です。
(わずかに神奈川県で住んでいた家くらいの記憶はありますが。)


私も今でもよく覚えているのですが、宮崎県はとにかく田舎でした。


  • 民放テレビは2局のみ

  • ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ポケモンなどが平日の16時前後に放送されていた

  • 宮崎県の人は箱根駅伝は往路のみだと思ってたらしい(復路の放送がなかったため)


とにかくテレビ関連は東京で慣れた人だと大変だと思いますし、両親が絶句だったと言っていました(笑)


両親が野球好きということもあって、私の家ではシーズン中はよく野球中継がかかっています。


ですが、宮崎県では日本シリーズの放送も当時はしてなかったので、母親がテレビ局に問い合わせをしたと言ってましたね(笑)


母親は私が夏休みなどの長期休みになると、
仕事の父親のみを置いて子供を連れて神奈川県の実家に帰省していたのが印象的です。


とまぁ、東京に住み慣れた両親にとっては住みにくい田舎の宮崎県でしたが、当時子供だった私にとっては非常に居心地のいい場所でした。


  • 自然がいっぱい

  • 下の名前で呼ぶのが当たり前で、仲が良い

  • 優しい人が多い


大人だと物足りないかもしれないですが、子供にとっては最高の環境だったと今になって思います。


特に、

  • 男の子は「(下の名前)○○くん」

  • 女の子は「(下の名前)○○ちゃん」

こう呼ぶのが当たり前だったんですが、これって今思うとホントいいですよ。


大人になるとしょうがない部分がありますけど、
基本的に下の名前で呼ぶのが当たり前の宮崎県は私にとっては非常に居心地が良かったです。

自然もいっぱいで周りの大人も優しい人が多く、当時は私もよく外で遊んでいました。


宮崎弁を喋るほど宮崎県の色に染まっていたんですが、小学2年生の夏休みに父親の仕事で転勤になり神奈川県に戻ることになりました。


この時、当時の小学校のクラスでは私のためにお別れ会をやってくれました。

もちろんそれだけで十分嬉しかったんですけど、

  • クラスメイト一人一人からプレゼントをもらった

  • みんなで記念写真を撮った

  • プレゼントとは別に、みんなからの言葉を冊子としてもらった


これだけのことをしてくれました。


本当に嬉しかったですし、宮崎の人たちの優しさだなと思いました。

正直、東京や神奈川だとあり得ないので。


ちなみに、当時のクラスメイトがくれたプレゼントの中には女の子からのラブレターもありました(笑)

私がよくちょっかいだしてた女の子だったんですよね(笑)


実は上の集合写真では、真ん中の私の隣はそのラブレターをくれた女の子なんですよ。


当時は携帯とかなかったので転校してからは会えていませんけど、元気なのかな?

会えるならもう一度会いたいですね。


という感じで、かなり私にとってはいい環境だった宮崎県を離れてここからは神奈川県で暮らすことになります。

神奈川県での暮らし(就職活動まで)

小学2年生の夏休みに神奈川県に戻ってきたので、2学期から神奈川県内の小学校に転入することになりました。

やはり自己紹介は非常に緊張したのですが、この時に宮崎との違いを実感します。


登校初日にクラスのみんなの前で挨拶をして、席に座ったんです。

そしたら隣が学級委員の女の子だったんですね。


緊張していたからか少し姿勢が前のめりだったんでしょう。

いきなり学級委員の女の子に、

「君、姿勢ちゃんとした方がいいよ」

と痛烈な一言を言われたんです。


今思えばそんな痛烈でもないですが、私の第一印象は最悪でしたね。

しかも、神奈川は小学生でも苗字にさん付けが当たり前で距離感を感じました。


そんな環境で就職活動まで迎えているので、箇条書きでそれまでの主な出来事はまとめます。


  1. 小学6年生から高校までは卓球部に所属

  2. 中学2年~中学3年の時に些細なことがきっかけで、卓球部の主力メンバーから省かれるという女子のようないじめを受ける

  3. 中学2年のバレンタインデーに同じ部内の女子に告白をされるも、3ヶ月焦らした挙句振る

  4. 高校受験は市内でトップの県立高校を受けるも不合格で、東京の私立学校に進学

  5. 高校2年の時に初めて告白をして振られ、その後別の女の子と付き合うことになる

  6. 大学受験は何とか有名私立大学に現役で一般合格(高校2年の冬にAKB48にドハマりする)

  7. 大学時代からAKB48などの握手会に参加するなど、ヲタ活にハマる(現在はほぼヲタ卒)


高校卒業までは良くも悪くも普通の生活を送ってました(恋愛はアレでした)が、

高校2年の冬にAKB48にハマったことをきっかけに大学生になってからはヲタク活動に全てを捧げました。笑


今思えば、この大学4年間のヲタ活は青春だったと思います。笑

この4年間であったことを簡単にまとめるとコチラです。


  1. 初めて握手会に参加して、「こんな世界があるのか」といい意味で絶句する

  2. 当時流行っていたアメブロやTwitterを使って、様々な年代の男女と現場で交流する

  3. いろんな人と交流する中で、厄介な人や宗教勧誘に出会うなど人間関係のトラブルも経験する

  4. 同じアイドルヲタクの女性ファンとの恋愛も経験(尚最終的に…)

  5. 推しメンの卒業をきっかけに完全にヲタ卒


どこが簡単にまとめるだよ←

というツッコミはなしとして。笑


当時ネガティブでコミュ障だった自分にとっては、
自分を変えてくれた大きな4年間のヲタ活だったと思っています。



普通に大学生活を送っているだけでは絶対に出会えないような人たちと交流できたことは、大きな財産ですね。


4年間トータルで100万円以上の大金を使いましたが、それ以上に得たものは大きかったと思いますし、そんなきっかけをくれた推しメンたちには感謝しています。


ですが、ヲタ活に大学生活を費やして就職に関しては特に考えてなかったので、この就職活動が地獄そのものでした。

地獄の就職活動

私は大学3年生の時の3月1日から就職活動をスタートしました。

そこから数ヶ月は特に深く考えず、

  • 土日祝日がきっちり休み

  • 全国への転勤がない(自分が転校の経験があるため嫌だから)

  • 給料とボーナスがある程度もらえる


これらの条件を満たす何となくいいと思った企業にエントリーしていました。


ですが、7月くらいまで一社も内定がもらえなくて両親とめちゃくちゃ口論になったんです。

私の両親は普段はあまり口うるさく言わないのですが、受験や就職活動などの将来を決める大事なことにはものすごくうるさい人たちでした。


一社も内定が出ていないのに土日などは普通に遊んでいたこともあり、

  1. 内定が出るまでは遊ぶの禁止

  2. 内定が出るまで毎日どこかしらの説明会に参加しなさい

  3. 私たち(両親)が企業を見つけるから、そこを受けなさい


と訳のわからないことをめちゃくちゃ押し付けられたんです(苦笑)


挙句の果てには、上記の1~3を飲めないなら家を出てけとまで言われましたからね。

当時の私はそれで家出をしました(笑)

(結局、5日くらいで実家には戻ってその後すぐに内定が出たので、そこで就職活動は終えています。)


家出をした時には知り合いの家に一泊させてもらったり、友達とオールしたり、仲の良かった年上の女の子と食事に行ったりと、その節はお世話になりましたm(__)m


この頃くらいから、

  • 正社員ってそんなに意味あるか?

  • 今の時代でサラリーマンってどうなん?

  • 自分で稼ぐ力をつけないとまずいかも。


このようなことを思っていたので、「就職して2~3年以内に独立してやろう!」と思っていました。


大学時代に無料ブログはやっていたんですが、あくまで日記程度だったので、それ以外に何かやってれば良かったと心底思いました。

結局、就職活動が終わってからは4年の卒業研究で忙しくて何もできませんでしたから。


就職してからその後

就職したはいいものの、私は世間で言う「甘い人間」だったのですぐに精神的に限界がきてしまいました。

入社わずか4ヶ月で『適応障害』で休職をしています。


その後、復職をしようと思いましたが、休職期間中に起業をした知り合いの話を聞き退職を決意。

休職から9ヵ月後(入社して約1年)で何も考えずに退職してしまいました。


退職してからは金銭的に厳しくなりましたが、傷病手当金を退職後ももらってたので何とか生活はできました。

ですが、全然貯金はできませんでしたね。


精神的にも金銭的にも余裕がなかったことで、退職をしてから1年間はほぼニートで何もできずに終わってしまいました。


1年間のニート期間を経て、フリーターとしてファミリーマートの夜勤を始めながら独立するためにブログを開設してアフィリエイトを始めています。


ですが、これまた知識がほぼないので独学でやった結果、また1年間ほぼ稼げていません(苦笑)

なので、この1年間はフリーターでした。


その後は本当の意味で独立するためにも、現在は地方都市で一人暮らしをしています。

現在の活動と人気記事

(1)個人ブログも更新中!


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長文となりましたが、最後までご覧頂き、
ありがとうございました!


noteでも有益な情報を発信していきますので、
あなたの人生を変えるきっかけになれば嬉しいです!


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