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親知らずを抜いたら、言葉が心に沁みた話。

 こんにちは、スミレです。

 自分、数年前から歯並びを矯正してもらっていてですね。あれって慣れないうちはなかなか大変だったんですよ、歯を動かすから痛いのなんの。
 今はワイヤーも外れて、就寝中のリテーナーだけしていれば良いフェーズまで来ているので、大変さの「た」の字もない生活をしています。

 が、先日、私史上最大の試練が訪れまして。
 それが、親知らずの抜歯です。下の、左右1つずつ。学業との兼ね合いで、3月に1つ抜いてもらい、次は8月にもう1つ抜いてもらう予定です。

 今まで痛みも臭いも発さず存在感が1ミリもなかった私の親知らずですが、実はほぼ真横という角度でスタンバイしていたんです。しかも歯茎にしっかりと蓋をされている状態。

 抜歯かぁ、怖いなぁ、と決断を渋った私に医者が淡々と説得の言葉をかけました。

 曰く、学生の長期休暇があるうちに抜いた方がいい、若い方がダメージも少なくて済む、就職活動なんかのタイミングで痛くなったりしたら超大変、時限爆弾みたいなもの。
 その言葉は、当時受験先からの合格発表待ちだった私にグサグサと刺さりましたね。

 抜歯には苦い思い出がありまして。
 中学2年生の頃に、諸事情で親知らずとは別のところを抜いてもらったことがあるのですが、その時にこんなことがあったんです。


「抜歯したてホヤホヤなので体育を見学させてください」

体育の先生
「見学だと内申点が下がるよ、来年は受験生なんだし、もう少し成績を気にしてほしい。」

 あの、中1の時間の大半を自宅に引きこもってて、進級後の再スタートを切ろうとしていた私に、成績や将来の話は荷が重すぎたんですよ。
 矯正歯科のお医者さんに「体育は休んだ方がいい」と忠告されても、学校の先生の方が怖いんですよ。無理無理、逆らえない。
 で、50分みっちり運動して、無事にまた血が出ました。いやあ、その日の給食がカレーじゃなかったら泣いてた、美味しかった、痛かったけど。

 まあそんなことがあったので、歯医者さんの言う事は素直に聴き入れるべしと学習した私は、親知らずもちゃんと抜いてもらうことにしました。
 紹介状を書いてもらって、地元の医療センターにある口腔外科に予約を入れたのが、3ヶ月ほど前。
 一昨日、ついに片方の抜歯をしてもらいました。

 結論から言うと、全然痛くなかったし、思っていたよりすぐに抜き終わったし、2日経った今は出血も痛みも大してなく、快適に生きています。
 強いて言うなら、抗生物質の副作用にたまにあるらしい、肌が乾燥→痒い→蕁麻疹の流れが発生しましたが、全然許容範囲です。

 なんですけれど、抜く前は怖くて怖くて、生きた心地がしませんでした。
 乗り慣れていない経路のバスに乗って、「違う場所に着いちゃったらどうしよう、予約の時間に間に合わなかったらどうしよう」と杞憂に過ぎないことばかり考えて乗り物酔いしかけたり。
 待合室で順番を待っている時に、「あんまり怖いようだったら、脳内で『君が代』を大熱唱してやろう」なんてアホみたいなことを大真面目に考えたり。
 実際には「口から工事現場の音がするぅ!こわぁ!!嫌ぁ!!!」と脳内で大絶叫するばかりだったり。
 無事に抜歯が済んだ後も勝手に疲労困憊になったり。

 ただでさえ、高校卒業と専門学校入学の間という環境の変化の真っ只中でメンタルやられかけているというのに、たかが抜歯で上記の通りストレスフルな時間を過ごしました。

 なんですけれど、「嫌な1日だった」という印象は全くないんですよ。

 というのも、あの1日で「言葉ってすげえな」と体感したんです。

 病院へ向かうために乗ったバスで、運転手さんが「お時間かかっても構いません、ドアが開いてから席をお立ちください」とアナウンスしていました。
 「お時間かかっても構いません」まで言う人に初めて会ったので、つい感動しました。
 そもそも機械のアナウンスに加えて自分の口でもアナウンスする運転手さんばかりではないし、バスにもダイヤがあるのに、転倒防止だのドアが云々だのに加えて「お時間かかっても構いません」まで言えちゃうのってすごい。
 私もサラッとそういう発言ができるような大人を目指したい、と考えていたら抜歯に対する恐怖を少し忘れられました。

 抜歯の最中、お医者さんはしきりに「嫌な音するよ〜」「痛かったらすぐ伝えてね〜」「ごめんね〜」「大丈夫?」などの言葉をかけてくれました。
 何も悪いことしていない人に謝られてもオドオドしてしまうし、口におっかない器具を突っ込まれた状態じゃ喋れないし頷くのも怖いし、だからって挙手したら痛いのだと思われて作業を中断させてしまいそう。
 冷静に考えたらツッコミどころの多い声かけかもしれません。
 でもめちゃくちゃ安心するんです。
 「いつもの流れ作業」なんかではなくて、「痛かったり怖かったりを感じる1人の人間」として認識されているという事実だけで、なんだか安心するんです。

 なんというか、心が弱っている時に病院へ行くと(あるいは治療にビビり過ぎて心が弱っても)、世界が優しく感じられるというか。

 本当に、順番待ちしている時の恐怖は言葉にしきれないほど大きかったんですけれど。それ相応に疲れたけれど。
 帰る頃には「ありがとう世界」って心地になっていたんです。そうさせてくれたのは、ただの言葉なんですよ。ただ喋っていただけなんですよ。

 なんか、言葉を使える人間でよかったと思いました。

 同時に、私も、言葉に限らず、自分にできることで誰かを、う〜ん、癒やす?安心感を他者に与えられる?ようになりたいとも思いました。

 何が起きたって、親知らず抜いてもらっただけなんですけれどね。解釈次第ではこんなふうに生きやすくできるんです。
 以上、言葉ってすげえと思ったお話でした。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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