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新しい「よっ友」ができた話。

 こんにちは、スミレです。
 4月を乗り切った自分を甘やかしていたら、すっかり投稿するのが遅くなりました。そろそろ何かしら書こうと思います。

 専門学校で、新しい癖がつきまして。
 それは、あらゆる道具に(心の中で)話しかける癖です。

 授業では日々、様々な工具と材料に触れて過ごしています。
 デカくて目立つ物から細々とした物、比較的馴染みがあった物から「なんやこれ……」と思った物……まあとにかくいっぱいあります。

 工具箱の中にはまだまだ未知の物たちが出番を待っていますが、すでに全部が相棒ってくらいに愛着が湧いております。
 ん?相棒って一対一の場合にしか使わないんでしたっけ?工具たちめっちゃ数あるんですけど、この場合はなんて表現するのがスマートなんでしょう?
 う〜ん、仮にトーナメントを勝ち抜いた一つに与えられる称号であるとしたら、全部同率1位なんで「相棒」で問題ないですね()。

 おそらくその愛着?仲間意識?が影響して、心の中で道具たちに話しかけることが増えまして。
 話しかけると言っても、そんな長話でもなければ闇が深い話でもなくって。

 例えば、糸ノコ。
 板金から、課題として指定されている寸法に必要な分をカットするのに使っています。あとはリングのロウ付け前に断面整えるとか、まあ色々。

 直線や緩〜い曲線くらいなら簡単に切れますが、動物や花のシルエットを切り出そうとすると難易度が上がります。

 糸ノコの刃って、力を入れすぎると「パキッ!」って折れちゃうんですよ、細い刃だと余計に。鋭角を一発で切ろうとして「パキッ!」といきます。

 私もすでに何本も折ってしまっているのですが、その度に心の中で「ごめん!マジごめん!」と叫ぶようになりました。刃に対して、です。

 ペンギンのブローチを作ろうとしていた時の脳内はこんな感じ。

 おおお、私が下手っぴなばかりに……。
 次の刃さんでは、さっきよりゆっくり切り進めてみようか……。
 そういうわけなんでもうちょい付き合っておくれよ……。
 待っててねペンギンさん、今切り出したげるから……。

 話しかけるというより、擬人化でもしてるんですかね。対人より物相手の方が饒舌になるんです。口には出さず、心の中で。

 アウトプットに時間がかかるだけで、頭の中では言葉による濁流が常に起きています。ずっとアレコレ考えを巡らせるのが楽しいんです。
 もしそれら全てを口で言っていたら、1日で舌が擦り切れるんじゃないですかね。あとは喋りすぎで喉が砂漠化しそう。

 とまあ、こんな感じで、物に対して話しかけることが増えたわけであります。

 1日の終わりに後片付けをして、工具たちをすっきり納めた工具箱に向かって「今日もありがとうね」「また明日、よろしくね」。
 過去の記事に、よっ友の凄さを書いたのですが、あれと全く同じ効果があります。

 今回の相手は「物」なので、もちろん喋りません。言葉としての返事が返ってくることは、怪奇現象でもない限りあり得ないでしょう。

 けれど私は、工具たちから「言葉ではない」返事を受け取っています。
 道具としての役割を果たしてもらっていることが、返事のように感じるのです。糸ノコだったら切ること、定規だったら測ること、木槌だったら叩くこと……そういうふうに、力を貸してもらっている、というわけです。

 ふむ……ということは、私から道具たちに贈るのは言葉でなくてもいいのでしょうか。例えば、学校で使っている工具たちへの返事は、1日ずつ上手に作品を作れるようになること、とか。「楽しい!」の気持ちを持ち続けること、とか。
 あ、いえ、言葉にある価値を蔑ろにしているわけではありませんよ。工具たちにとって嬉しい私からの返事ってなんだろうと考えてみたんです。

 私は今まで、モノづくりは孤独でもできることだと思っていました。
 でも多分、本当は道具たちとの協力プレイを積み重ねて初めて成し得る偉業なのでしょうね。

 うっ、書いているうちにメイキングの授業が恋しくなってきた……連休が嬉しいんだか寂しいんだか。
 これも考えを変えてみようかな。頑張って登校してくれていた自分の体に、連休中のリフレッシュで応えてあげるんだ。そうしたら、また授業の楽しみをもたらしてくれる。うんうん、いいサイクルができそうです。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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