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底なしに不器用な人間が恋をするということ

今朝、大学にいく弟がドアを閉める音で目を覚ますと部屋は灰色だった。クローゼットの扉にかけられている薄手の青いジャケットが、なんだか濡れているように見えるな、と思ったら、窓をたたく雨音が聞こえた。雨だ、と思った。ぼくは毛布を顔のところまで引っぱり上げた。胸がぎりぎりと疼いていた。そのとき、ぼくはまだ待っていた。

数日前にも書いたようにぼくは恋に落ちた。というか、落ちてしまった。まったく予測していなかっただけに、それはとても抗うことのできない力でぼくをバカみたいに高い崖の上から突き飛ばした。正直な話、二十一年間でいちばん強烈な恋だったかもしれない。というよりも、あれがほんとうに恋をするということなのだとしたら、それまでのぼくは恋のはしっこ、せいぜい文庫本のカバー程度しか恋を体験していなかったことになる。タイトルと裏側に書いてあるあらすじを読んだだけで、物語をわかった気になどどうしてなれよう。頭のてっぺんから足の先まで、ぼくは呆れるほど未熟なままだ。ぼくは迷子になった。

ぼくはたぶんまだ混乱のさなかにいる。結論からいうとふられた。やっぱりぼくは、メールを含めたSNSの扱いが絶望的にへたくそだ。そういうものに対する感覚がどういうわけか致命的に欠落している。あるいは歪んでいる。文面に含まれている感情を自分の望まないほうへ勝手に解釈してしまうし、ぼくが書く場合にはときに相手を怯えさせるくらい感情のこもったものを書いてしまう。相手にとってみれば、包装されたぼくの内臓が突然家に送られてくるような気分なんだろう。ほんと申し訳ない。

返信が返ってきてから、もしかするとぼくは彼女を傷つけてしまったのではないかと思った。そうしたらなぜかぼくがひどく傷ついた。そのあとのメールになかなか返信が返ってこなかったので、ぼくは底なし沼みたいな不安状態にみずから突入し、何を思ったか「君に恋をしてしまった」と書いたメールを送った。わりにすぐ返信がきたので、心の準備をしてから見てみると彼女はやっぱりうろたえていた。傷ついてなんかいないみたいだった。気を使わせてしまったみたいで、やけに長い文面だった。「こんな人生、クソだ!」とぼくは叫んだ。「こんな人生、クソくらえだ!」でもとにかく彼女が傷ついていなくてよかったと思った。

いままで女の子に恋したことは何回かあったけれど、いずれも食欲をふっ飛ばすほどではなかったし、何もかもが手につかなくなるというようなこともなかった。今回はそれが起きた。胸がとにかくいっぱいで、とても食事をしましょうという気にはなれなかった。おかげで少しやせた。本を読んでいても意識の大半は通知音に反応するためにスタンバイしているので、ぼくの目は延々と同じ行を彷徨った。それでやっと我に返ると、その行の前をすっかり忘れていることに気がついて二、三行戻る。そしてまた頭がすっからかんになる。進むどころかみるみる後退していくので、ぼくは本を放り投げなければならなかった。

それにしても、何よりも圧倒的だったのは胸のなかでぐるぐると回っていた感情の渦だ。冗談抜きで爆発するかと思った。爆発とまではいかなくとも、もしかしたら心臓が止まるんじゃないかと思った。現に、ぼくの小さな心臓は三日間ぶっ続けで狂ったように波打っていた。ときどき手で押さえて、うっかり喉元まであがってこないように落ち着かせてやらなければならなかった。いまもその余波を左胸に感じることができる。

膨らんだり熱くなったりしていたその感情のかたまりは、恋と不安が混ざったものだと思う。恋が大きかった分、不安もたくさん投与されてしまったんだろう。ぼくはだれにも認められることのないゴミ屑だ、というあまり楽しくないものが精神の中核にすり込まれている身にとって、恋は状況をまるごとひっくり返すチャンスになり得る。それを期待しすぎたがゆえに、いろいろなものをすっ飛ばしてまたえげつない性急さで詰めよってしまった。自己中心的だと言われても仕方がない。ぼくはどこまでも間抜けだ。

彼女とはもうしばらく会わないだろうから、顔を合わせて気まずくなるということもたぶんない。ただ、ぼくはまた彼女に会いたいと思っている。どうしてかよく分からないけど、いろいろと失敗や恥ずかしい思いをしてきたせいかある種の諦めみたいなのがぼくには備わっている。「君に恋をしてしまった」と打ったときも「どうせ苦しいのなら、どうにでもなれ」と思い勢いだけでメールを送った。そういうのを送ったことについて後悔はない。仕方がないのだ。ぼくはとにかくそうするしかなかった。そうやって、とにかく自分の気持ちを相手に伝えるより他にできることがなかった。だから、次会ったときには「あのときはごめんね」と言って、いっしょにコーヒーを飲みたい。そして、聞きたかったことを聞いてみたい。もしそのときお互いにパートナーがいたら、切なくていいんじゃないかと思う。

それにしても、失恋はつらい。内側の動きが烈しすぎて、この三日間でほとんど生まれ変わったような感じすらする。ベッドで布団をかぶったまま何時間もうずくまっているだなんて、そんなことこれまでにあっただろうか。あるわけがない。なぜなら、彼女は飛びぬけて美しい人だったから。ろくに知りもしないのにそんなことを言うのは浅はかかもしれないが、恋とはつまりそういうことだ、おそらく。

これから先数日どっぷり落ち込むんだろうけど、それでもやっぱり恋は素晴らしい。


そして死ぬほど苦しい。



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