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もうがんばれない、と思ったとしても。

ツイッターをするするめくっていたら、ジュリアン・ベイカーが2月9日に東京でライブをすると告知しているのが目に飛び込んできた。

一昨年の10月にフィラデルフィアで行われた彼女のライブを見に行ったときは、そのときの箱が治安のあまり良くない地域とまだマシな地域のちょうど境界に位置していたこと、現地の友だちを頼りきって飛んだためWifiを持っておらず、インターネットがまったくつながらなかったこと、昼間に下見をしに行ったときそこら中にマリファナを吸っている人々がたむろしていたことなど、さまざまな要素がひとつの塊になって頭上から落ちてきて、ただでさえお粗末なぼくの副交感神経は開演とともにほとんど完ぺきに押し潰された。おかげでわりに近い距離から彼女のパフォーマンスにふれることができていたのにもかかわらず、ぺしゃんこになったぼくの脳みそは各感覚からの信号そっちのけで、ひとつのことだけを狂ったようにひたすら反芻していた。「帰り道ぼくは殺されるかもしれない」。地下鉄を乗り継いで無事ホテルに戻れたときの圧倒的安堵は、のんびり生きていたとしたらまず味わえるものではなかったはずだ。しかしせっかくのライブをちゃんと楽しめなかったという後悔は、ぽいと過去に投げ入れてしまうには少し重すぎた。

だから、ぼくは勢いにまかせてツイートに貼りつけてあったリンクをクリックした。iPhoneが勧めてくるジュディス・バトラーみたいに頑強かつ難解なパスワードを無視して別のものを設定し、できたてのアカウントで座席を選んでいよいよカード決済しようとしたところで、カードが有効でないというメッセージが表示された。無慈悲な宣告だった。ぶち切れそうになったが、ここ二、三週間でタガが外れたみたいに洋服を買いまくったことを思い出してぼくはあえなく意気消沈した。そうして冷えた紅茶を嫌みたらしくすすっていたとき、フィラデルフィアに飛ぶ直前の記憶がふっとよみがえってきた。

ぼくはカナダに留学中で、とにかく疲弊し切っていた。大学の授業は講師の話に追いていくのがやっとで、生徒同士のディスカッションではまともに発言することができなかった。馬鹿にされるのが怖かった。「何か新しいことを始めなくては」と思い焦りにまかせて応募した、小学生にギターを教えるボランティアには、始まって間もなく精神を叩きのめされた。現地の小学生のことなどこれっぽっちも知らなかったし、彼らとどう関わったらよいのか見当もつかない。ただギターを教えるだけならまだよかったかもしれないけれど、彼らは潔いほどに注意散漫だった。それによくよく考えてみれば、ぼくはそういう子どもが大の苦手だった。

2回目のレッスンの日、ぼくは小学校に赴くことができなかった。レッスン前大学の図書館で授業の予習をしていたぼくは、ラップトップの右上に表示されている小さな時計をしきりに確認しながら、これで行かなかったらこれから先も負け続けるだろう、と自分に何度も言い聞かせていた。そうやってそれまでは辛いことをなんとか切り抜けてきたのだった。それでも、席から腰をあげることはできなかった。ようやく立ち上がれたのは、ボランティアの運営スタッフに「もう続けられない」という旨のメールを送った後だった。

ホストファミリーとも、本当の意味で通じ合うことはできなかった。ホストファザーはそもそもぼくと深い次元で通じ合うことに興味を抱いていないようだったし、ホストマザーのほうは実際に通じ合うよりもずっとずっと前に、ぼくらは分かり合っていると(そして彼女は正しいと)信じているみたいだった。そして、必ずしもそうする必要はなかったのだと今になってみれば思うが、ぼくは最後まで彼らにとってのぼくを演じ続けた。言葉には表されない意図に常に耳を澄ませながら、不安定な綱から落っこちないようにと必死でバランスをとっていた。

ぼくはとことん脆弱になった。何かが壊れてしまったような感覚すらあった。夜ごはんの準備ができたよ、と間もなく声がかかるだろうなどと考えながら、宿題には手もつけず、自室の床にからっぽの頭と身体を横たえる日々が続いた。寝返りをひとつ打てば、底の見えない暗い深淵を見下ろすことができる部屋。ぼくは孤独だった。

そんなとき、ジュリアン・ベイカーが新しいアルバムを出すというニュースを読んだ。そこからリリースまでは確か一ヶ月くらいだったと思う。彼女は収録曲のいくつかをすでにライブで披露していて、それをYouTubeで見ていたぼくはそのアルバムが心から楽しみだった。そこでぼくは思った。「彼女のアルバムが出るまで、あともう少しだけがんばろう」ぼくは床に寝ぞべりながら、頭のなかで何度もそうくり返した。もう少しだけ、もう少しだけ。

しかし、その台詞はいくら唱えてみても宙に浮いたままだった。がんばれない、と思った。彼女のアルバムを聴くために、がんばることはできない。ジュリアンの音楽を悪く言っているわけではなく、ただ純粋にそう思った。それがぼくにとっての事実だった。だとすると、ぼくはどうすればいい?

「生きていよう」という言葉を混濁とした水からすくい上げたとき、これだ、と直感的に感じた。少なくとも彼女のアルバムが出るまでは、がんばれなくても、立ち上がれなくても、いっそだらけてしまってもいいから、とにかく生きていることにしよう。そのとき胸に浮かんだ、喜びに似た感覚はあまりにも儚くて、いくらがんばってももう思い出すことはできない。だけれどその一瞬の感情によって、いまぼくはこの文章を書くことができている。

あれから一年と三ヶ月余りが経ったけれど、ぼくはその間、無意識での思考も含めれば四六時中その経験について考え続けてきた。他の雑多な記憶とは明らかに異なる、独特の色合いをしたその記憶が、ぼくに何を伝えようとしているのかをずっとずっと考え続けてきた。音楽がいかに素晴らしいものであるかはおかげでよく分かったし、人間がお互いを理解し合うことは不可能であること(だからこそ理解し合おうとすることが何にもまして尊いのだということ)も身に沁みて実感した。英語をもっと勉強しなければならないことは、言うまでもなく痛いくらい思い知らされた。だけど、それだけではないはずだった。

正直なところ、ぼくはまだ納得のいくような答えを見出せずにいる。「とにかく生きていよう」と呟いたときのような、目が醒めるような感覚にはまだ出会っていない。だけれど、今まで考えた限りにおいて言えるのは、その経験が「ただ生きているだけでも美しい」ということに気づかせてくれたということ。何か意義のある行動を起こしていなければ生きていてはいけない、なんてことは決してないのに、社会にはそういうメッセージが漂っている。はっきりと目には見えない方法で、それはぼくのような弱い人間の内側に血の出ない刺し傷をつくる。そして、誰もぼく・わたしのことを本当の意味では愛していない、ぼく・わたしは愛されるに値しないという想念が傷口から滲み、たちまちあざやかなはずの視界から色を奪っていく。

誰からも愛されない、というのは、「彼あるいは彼女の望むような形で」という注釈がつけばあり得ることだとぼくは思う。人間同士が分かり合うというのは、おそらく多くの人が何となく考えているよりも遥かに難しいことだ。それでも、誰からも望むように愛されなかったとしても、唯一あなたをどんなときでも愛している存在がいる。それはぼくらの生活にとけ込んでいる自然であり、あなたの視界に映っている世界だ。もしかすると怪しい文句のように聞こえてしまうかもしれないけれど、ぼくにとってそれは本当のことだ(少なくともそう信じようとしている)。ぼくの目に映る世界はあまりにも美しい。そしてたくさんの暗示に満ちている。あらゆる感覚を通して、ぼくを何処か知らないところへ導いてくれているのを感じる。たとえば真夜中の月を意識的にじっと見つめることで、いかにその存在が「当たり前」に収めるには美しすぎるのかがきっと見えてくる。そしてそれらが愛なしにもたらされているというのは、どうにも考えづらい。

今更言及すればたちまち鼻で笑われてしまうかもしれないもの、たとえば空の群青、葉叢の濃緑、鼠色の午後、壁面の陰影に、世界があなたに注ぐ愛が詰まっている。そしてそれらはいつでもあなたのそばにいる。あなたを愛するために、あなたが愛されて然るべき存在であることを伝えるためにそこにいる。

ぼくはよくそういう美しさに対して盲目になってしまう。今日もそういう一日だった。しかし何とはなしに流した音楽によって、もう一度俯いていた視線を上げ、そのあまりの深さに落ちてしまいそうになる蒼穹に気づくことができた。それ自体とても美しいものであることに違いはないけれど、音楽にはそういう枠組みを超越してしまう力も備わっている。そして驚くことに、それを作り出すのは紛れもない人間だ。ほとんど不可能であることは承知した上で、それでもぼくは人を愛せるようになりたいと思う。

P.S. ジュリアン・ベイカーが日本でのライブを無事に終えられますように。

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