厚みのある孤独

カナダに渡る前、ぼくはひとりでもまったく平気だった。奨学金がほしかったので大学にはきっちり行っていたけど、友だちや恋人を作ったりしようとはしなかった。バイト先でも同じだ。アルバイト仲間としてしか接しなかった。当時のぼくにとっては、それで十分事足りていた。大学に入ってから二年間、ずっとそんな調子だった。ちゃんとものを考えたことがなかったり、生来のイントロヴァート(introvert:内向的人間)であるのも手伝って、ひとりが辛いと思ったことなんかほとんどなかった。だから「これからもひとりで生きていくのかな」なんてことを呑気に考えていたりした。とにかく若かった。

しかしカナダでの生活を通して、ぼくはひとりでは生きていけないことを思い知った。どうやらぼくはそんなことができるほど強くないらしかった。だれかそばにいてくれる人が必要だった。でもそのときには、どうやったら人とうまく付き合えるのかがすっかり分からなくなっていた。ちなみにホストファミリーは別だ。最初はまったくの初対面だがいっしょに暮らすことになっているから、第一印象が何であれ、何か好ましくないことが起こった場合であれ関係は続いていく。枠組みのなかにいるから、ぼくらはお互いの中身を観察しやすい状態にある。自分で言うのもなんだけどぼくの根はそんなに悪いほうじゃない。だから彼らはぼくを愛してくれたし、ぼくも彼らを愛そうとした。しかし、そういうことが自然発生的に起こることはなかなかない。

昨日の失恋をまた持ちだして申し訳ないけど、ぼくはいまそれによる孤独を味わっている。茫洋たる海のどこかでひとり途方に暮れている。さしずめ失恋は、救助に来てくれたと思った船がぼくには一瞥もくれることなく去っていったようなものだと思う。このような恋をしてしまったあとで、淡い好意をゆっくり育んでいこうという気には到底なれない。裂け目をどうにかするにはどう考えても同じような恋をする必要がある。でもそんな出会いはそうそうないし、だいたいの人は好意を育てるとかいう前にぼくのグロテスクな裂け目から目をそらし後ずさる。果てしなく望みがうすい。

ひとりでは生きていけないと感じる前の孤独と、そのあとの孤独はまったく違う。ティーンエイジャーが孤独になりたがるのは、その前者しか知らないからだろうと思う。ぼくはそんな感じだった。そのあとで、ひとりで生きられるほど世界はやさしくないことを知った。そばにいてくれる人を希求してやまないのは、ぼくを覆っている孤独の厚みが増したからだ。そこはすごく心細くて、他人とどう溶けあったらいいのか見当もつかないけれど、とにかくやってみないことには意味がない。孤独であればあるほど、傷つくことは避けられない。

嫌なことばかりなわけじゃない。孤独を知るだけ優しくなれると思うし、傷ついた分だけ人のことを思いやれるようになると思う。ただ、はしっこで生きている人間にとってはそのさじ加減がよく分からない。そのせいでまた傷ついて、また優しくなっていく。それはたぶん、涙が出るくらい哀しいことだ。少なくともいまのぼくにとっては。

昨日の朝ベッドでうずくまっている間、ぼくはコトリンゴの『悲しくてやりきれない』を何回もくり返し聞いていた。YouTubeをみてたらなぜかおすすめに出てきて、おかげで時間をやり過ごすことができた。思えば、辛いときはいつでも音楽や物語がそばにいてくれた。哀しみをそっくり埋めてくれることはないけれど、そういうものは耐えるだけの力を貸してくれる。

これからしばらくは、そういうものの力を借りて生活するんだろうと思う。なんだかんだすべてうまくいくはずさ、とぼくは自分に言い聞かせる。






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読んでくださってありがとうございます。幸あれ!

季節が変わっても、苦しい日々は続きます。
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吉井菫

日々の記録

感じたことや、残しておきたいことについて書いたもの。正直で素直な、気どらない文章を書く練習。
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コメント4件

僕は側に居てくれる人は借り物だと思っています。返さなくてはいけないものです。その返済は突然訪れます。借り物は本来あるべき場所へと返っていきます。やりきれない気持ちになることもあります。しかし、元々からして僕のものでは無いのです。当然の帰結なのです。ありきたりですが、やはり、人は圧倒的に1人で生きていくものだと(現時点では)考えています。
スドウ ナアさん なるほど。きっとそういう体験をされてきたからこそ、その落としどころを見つけることができたんでしょうね。ぼくも、そばにいてくれたらその人はもうぼくのものだ、というようには思いませんが、それでも寄り添ってくれる存在を求めてしまうところに、すごく人間的な切なさを感じるのです。そしてその存在が離れていくことで生まれるやりきれなさも、すくいあげるに値する美だと思います。ぼくとしては、どちらかというとそういうものを見つめてみたいと思っているところです。
吉井さんはじめまして。
なんとなく文章を読んでいて、吉井さんよりわたしはすこしおばさんなんだと思いました。
わたしもそのぶ厚い孤独に心当たりがあるのです。一人ぼっちのさみしさも経験があり、その後、好きな人と結婚もして今も暮らしています。でも、その厚みは、やはり自分の内側と外側の中間あたりにたぷたぷとずーっとあります。それは、分かち合える人、となりにいてくれる人がいても、たぶんずっとあって、そういう人がいるとまた、その人とのあまりに圧倒的な皮膚というか、別の個体であるということばかり痛感します。
かきわけてもかきわけても孤独でやりきれませんが、それでも幸せです。なんだかんだすべていくはずさ、そのとおりだと思います。
@ふみたまさん
やさしいコメントをありがとうございます。ふみたまさんの言葉に漂う温かい諦観のようなものが、ぼくにはとてもうらやましいです。好きな人といっしょに居て、それでも消えない孤独もちゃんと抱きしめて、ご自身にとっての幸福を心いっぱいに受けとめておられるのだろうと思います。それはとても尊いことだと思います。
すべてうまくいくよ、とふみたまさんから言ってもらえたことがとても嬉しいです。心から少し水気が抜けたような、そんな気分になれました。
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