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初期スナフキンがだいぶ性格が違うという話

 原作のスナフキンといえば、寡黙で孤独好きというイメージが強いでしょう。しかし元々はそうでもなかったという話です。

 まず、私は原語版のスウェーデン語が読めません。ですので英語版のムーミンの話となります。
 さて、その英語版の中でも特に特筆するべきなのが、「ムーミン谷の彗星」と、「ムーミンパパの思い出」
 実は英語翻訳された時期の関係で、我々が知る物語とはだいぶ異なっているのです。

今回は「ムーミン谷の彗星」について。
 「ムーミン谷の彗星」は1946年に発刊されてから、1956年、1968年の2回にわたって書き直されています。日本語で読めるのは1968年の最終バージョン。
 一方で世界でもいち早く1951年にムーミンが翻訳出版されたイギリスでは、初期のバージョンが英訳されました。

 で、問題はその初期バージョンのスナフキンの性格が、我々の知る最終バージョンとだいぶ違うのです。
 この世には原作版、コミック版、各アニメシリーズでそれぞれ異なる性格のスナフキンが存在しますが、さらに最初期版(英語版)のスナフキンもいるわけです。では初期版のスナフキンはどんな性格なのでしょうか。


1.スナフキンの登場時。

 まず初登場時からしてスナフキンのノリがまったく違います。
 テントから現れた途端に、ぴょんぴょん飛び跳ねて「素敵だ!!なんで楽しいんだ!!僕に会いにはるばるここまで来てくれたんだね!」という、もの凄いノリの良さと自信っぷりを見せつけてくれます。驚いたムーミンがそれを否定すると、「気にしないで!大切なのは君たちが来たことだよ」という単体で聞けば名言になるような言葉を放ちます。流石名言の多さで何冊も本が作られるようなスナフキンです。
 そのあとも荒地の美しさを語り、空の美しさを語り、自分が何者でもなれることを語り、寡黙な最終バージョンスナフキンの5倍くらいは喋り続けます


2.彗星を知らないスナフキン。

 最終バージョンではムーミンたちに「彗星」という恐ろしい星の正体を教えてくれた、博識なスナフキン。ですがこちらのバージョンではまったくの逆です。
 こちらのスナフキンは天空の話になると星がどんなに素敵なのかということばかり。空から迫り来る脅威も知りません。
 じゃこうねずみから彗星のことを聞いていたムーミンが、彗星のことをスナフキンに教えると、笑いながら「つまり僕みたいな宇宙の放浪者」と絶妙にズレた感想を言って、ムーミンに笑い事じゃないと嗜められます。
 また荒地も何もかも美しく見えるスナフキンにかかれば、地球の危機も「地球が爆発するのは恐ろしく、とても美しいだろう」となります。その辺はスニフにも「僕たちはどうなるんだ!?」と突っ込まれています。


3.前科持ちスナフキン

 最新版を元にした日本語版でも、スナフキンがまだスノークを知らないムーミンたちに、彼がスノークたちに会ったことがあると話していました。しかしそれがどのようにして出会ったのかは語られていません。しかし初期のバージョンではその出会ったときの経緯がガッツリ語られています。
 スノークたちと出会った時の様子をスナフキンはこう語ります。

 ある日小腹が減ったスナフキンはメロン畑から巨大なメロンを頂戴してかぶりつこうとしました。そこへ怒鳴りつけてきたのは警察官。スナフキンは巨大なメロンを転がして逃げようとしますが、逃げ切れず結局捕まってしまいます。
 刑務所に放り込まれたスナフキンは虫だらけの牢屋に嫌気がさし、缶切りで脱走を試みます。2回失敗して3回目にようやくかぶら畑までトンネルを掘って脱獄成功したスナフキン。脱出先がメロン畑ではなくかぶら畑だったことにがっかりするあたりが流石の初期版スナフキン。
 そこでスノークたちに出会い、スナフキンの脱獄祝いのパーティーをします。

 最終バージョンでは削られたスナフキンがスノークと知り合った経緯、元々はこんなとんでもない状況だったというわけです。
 ムーミンにとってはスナフキンの脱獄話よりもスノークたちの方に興味津々だったのも面白いところです。

 なお、数年後には公園の看板を破壊して公園番を感電させる事件を起こしましたので、初期版での窃盗と脱獄を含めるとスナフキンは三っつの犯罪歴があると言うことになるわけです。(他にもいろいろやらかしてそう…。)

ムーミン谷を犯罪でいっぱいにしよう!


4.スナフキンのちょっと悲しい過去

 物語中盤、ムーミンがスノークのお嬢さんに自分の故郷の話をしているシーンがあります。最終版ではそこでスナフキンが何かを語ることはありませんでしたが、初期版では若干スナフキンの過去に触れられてます。

 スノークのお嬢さんに自分の故郷のムーミン谷がどんなに素晴らしい場所か語るムーミン。そんなムーミンに、スニフは「前は外の世界のことばかり話してたのに」と言います。 
 そこでスナフキンは「みんな旅に出て初めて故郷の素晴らしさを知る」と語ります。
 ところがスナフキン自身には故郷がありません。見方によってはどこでも故郷になれると言うスナフキンですが、少し悲しそうな様子を見せます。
 ムーミンは申し訳なく思いながらも、スナフキンにママはいるのかと聞きました。
 スナフキンの答えは「(ママがいるかは)分からない。僕は籠の中で見つかったらしい」と言うものでした。

 ちなみにこの籠に入れられたスナフキンが発見されたという過去は英語版公式サイトでも触れられています。公式サイトに掲載されている家系図では、「スナフキンは箱の中で発見された。親は後から見つかった」と書かれているのです。

(スナフキンの父ヨクサル、母ミムラと、父親が異なる兄弟総勢36匹の存在はシリーズ4作目「ムーミンパパの思い出」で判明します。)

最後に

 そんなこんな感じで、初期バージョンのスナフキンと、最終バージョンのスナフキンとではだいぶ性格が異なるという話でした。

 断っておきますが、これはあくまでも英語版の話。トーベヤンソンは初めてムーミンが英訳される際、正しい翻訳よりも柔軟な翻訳の方を好んだと言われています(*「トーベヤンソン 人生、芸術、言葉」より)。なのでスウェーデン語版の初期版とも細かい描写が若干異なっている可能性は高いです。
 ちなみに今はスウェーデン語版も最終版が主流で、初期版は絶版状態となりプレミアがついている状態だと聞きます。
 逆になぜか英語版は旧版のままで、最新版は英訳されていないようです。


 「ムーミン谷の彗星」の最終バージョンが描かれたのが1968年。ムーミンシリーズの最終巻である「ムーミン谷の11月」が出版される2年前、つまりムーミンシリーズの終盤も終盤に書き直されました。

 最終版では旧版にはあった「小さなトロールと大きな洪水」とのつながりは消されています。おそらくムーミンシリーズ全体の流れから、「小さなトロールと大きな洪水」はいささか異色すぎると思われたのでしょう。小さなトロールと大きな洪水は1990年になるまで絶版となっていました。
 また初版ではムーミントロールやスニフがワニに襲われるシーンがありますが、その部分もまるっと無くなっています。おそらくワニの存在が北欧的なムーミン谷に合わないと作者自ら判断したのかもしれません。
 また最新版では全体的なストーリーラインも整理されてます。例えば旧版ではテントを捨てる描写がなかったのですが、最新版ではテントを捨てるエピソードを入れることで、いつのまにかテントが消えているという問題が解決されました。

 1968年はムーミンシリーズ自体も終盤になったため、全体的なストーリーが見直され、最終版が作られたのでしょう。旧版は多少荒削りながらも心赴くままに描かれた物語が、最終版では全体的に整理された印象があります。
 スナフキンもムーミンシリーズ全体のイメージにある程度統一性を持たせるため、彼の描写を大幅に修正したのだと思います。

 ただ、その一方でスナフキンの性格が書き換えられたことにより、「最終版ムーミン谷の彗星」の落ち着いたスナフキンと、その続編の「楽しいムーミン一家」と「ムーミンパパの思い出」の少しやんちゃで子供っぽいスナフキンとで少々ギャップが生じてしまっているように思えるのです。
 現に私も子供の頃初めて読んだときにそのギャップに戸惑った覚えがあります。
 それが初版ムーミン谷の彗星のスナフキンを読むと、その後の楽しいムーミン一家、ムーミンパパの思い出のスナフキンとのつながりがスムーズになるのです。

 ちなみに英語版ムーミン谷の彗星はいまだに初期版のままなので、英語圏のスナフキンのイメージは我々日本人とだいぶ違うのかもしれませんね。

参考文献
・書籍:ムーミン谷の彗星
・書籍:Comet in Moominland
・英語版公式サイトよりSnufkin’s Family Tree(https://www.moomin.com/en/blog/snufkins-family-tree/#4c642d67)
・書籍:トーベヤンソン 人生、芸術、言葉

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