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ことばが枯れてる?

先日、作中でどうしてもいい言葉が出てこなかった。

何度描き直しても「これだ!」という感じにならず、探し続けたが結局時間切れになってしまった。語彙が足りないのではなく、あくまで普段使いの言葉の組み合わせから生まれる響くものが出なかった。残念ながらこういうことはたまにある。

練り込んだ展開ではなく、ある意味キャラクターの即興を取り入れた結果、用意してたはずの言葉が使えなくなくなったという原因も分かっている。根っこを変えたせいで先っぽの葉っぱに栄養が回らなくなってしまったのだ。

言の葉、とはよく言ったものだ。葉っぱは枯れる。

そんな不安定な作り方をしてるのは連載ならではなんだけど、あえて挑戦するにはそれなりに成功体験があるからで、どれだけ作者が用意した言葉よりもキャラクターがもっといい言葉を突然しゃべることがこれまで何度もあったからだ。

それでも、土台となる栄養が足りないと何度も剪定した枝の先までは栄養が回らなくなる。土台とはなんだ。エンタメか。

最近本を読んでいない気がする。読んでも専門書とか関連記事に目を通すだけで手いっぱいだ。漫画も連載を追うものと積読でいっぱいいっぱいで新しいものに触れていない気がする。

美しいことばに触れる時間を作らなくてはならない。

現実はあまり脳に入れたくない情報、情報としても入れても感情に届けたくない言葉にあふれている。きつい。ともすればすぐ怒りの拡散、町で誰かのあったひどいことをみんなに知らせようという正義の快感に酔いたくもなる。逆にウソかホントか分からないいい話を拡散して癒されたくもなる。

でもな、そういうことばから得た栄養はそういう言葉にしかならないのよ。

先日ある売れた漫画家さんがキャラクターの心に残る言葉を考えるときに「自分が言ってほしい言葉」と言ってて、ああ、そういう風に考えてなかったな、少なくとも今回は、と思った。共感の輪、自分が勇気づけられる言葉、間違ってないんだ、誰に何と言われても(すでにこのあたりで自己矛盾してるんだけどおいとく)変えない言葉こそが心に響くのだと。

でも、実のところ自分はそういう漫画の名言(と、ぶっちゃけてしまえばそれをさもありがたがって言う現実の人間)が本当に苦手だ。強すぎる共感力はそうでない人間には暴力になるから。

もちろん自分なりに好きな作品の好きなセリフはあるがそれはそれ。共感度が高いもの・つまりヒット作の名シーン名セリフほどうへえとなってしまう。それがいやですでに売れすぎたものは目に入れたくなくなる。そんな価値観が当然自分の作中にも表れている。

自分は作中世界に自分を入れたくない。自分が好きなものだけが作る世界を眺めていたい。この気持ちを一番理解してくれるのは少年誌読者の中ではむしろ女性読者であることは最初の連載の頃からなんとなく分かっていた。だから自分に言ってほしい言葉というのはあまり考えてなかった。

でも実際、世間の評価はともかく書いてるおれが共感することばをしゃべらせてあげられなかったことは申し訳なく思っている。自分の作中の人物と、多くはないが自分の読者に。

だから少しでも多く引き出しや方法を知っていたいし、そのためにはまず栄養を取らねばならない、と思った。短い文章でもエッセイでもいいから、きれいなことばを読みたい。書く前に少し声に出して、そのリズムで紙に書くような。

そのためには目に入る情報を少しカットしたいんだけど、いかんせん必要な情報が同じ濁流に流れてるから選別が難しい。

きれいなことばをフォローしたい。

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