このまま漫画家になれるのか、なっていいのか

大学三年生になった。すでに卒業単位はクリアし、いくつかのその学年から受けられる専門教科の授業だけ受ければよかった。アシスタント先の連載も終わり仕事は単行本作業など不定期になっていた。

実際にプロの仕事場での仕事を経験し、現状全く連載作家に追いつけてない自覚もあった。もっといろんな経験がいる。今自分はそのチャンスがある。取材とかそういうレベルじゃなく、人生がネタ元なんだから、自分の人生をもうちょっと濃くしなければならない。ただ大学に行って単位を取って、そんだけだとなんのネタにもならない。ちゃんとした大学生活を送ろう。

当時誰かが買ってたヤングサンデーのいぬという漫画に出てくる大学がどう考えてもうちの大学だろうという話になった。この作者の柏木ハルコって人は卒業生なのかな。自分の学科の同級生以外大学の人全然知らない。

友人宅で六三四の剣とがんばれ元気の新装版を処分したいと言われ読んで全巻買い取った。六三四の剣は小学生の頃ファミコンでやりこんだがアニメは地元で放送がなかった。村上もとか先生は中学生の頃自衛隊で買った風を抜けというモトクロス漫画がとにかくかっこよくて何度も読み返した。風祭の兄貴とアネモス。同級生との叶わない恋。打ち合わせの時編集を待つ間に読んでた龍も全巻持っていたが初めて読む六三四の剣はこれが少年漫画かというくらいすごかった。部活を超えた人生、剣の道があった。特に印象に残ったのは母親の再婚という少年漫画で言えば描かなくていい話をものすごく真剣に描写していたところだ。がんばれ元気も、おーい竜馬に通じる少年漫画を超えた人生の起伏があった。少年サンデー、改めておそるべしと思った。

なんのサークルにも属さず同じ学科の友人しかいなかったが、サークルに所属することにした。三年からいきなりというのもかなり大胆なんだが、まぁダメなら行かなければいいだけの話だ。一度決めたら行動は早かった。

一つはバスケサークルで、同級生が作ったサークルで先輩がいなかった。練習に誘われもともと友達がいたのであっさり入ることができた。人数も多すぎず少なすぎず常に体を動かせて、運動不足だったしちょうどよかった。飲み会で酒を強要されることもなかった。

もう一つ、漫研に行ってみたが話があわなそうで、絵画のサークルで毎年大学祭の展示でマイケルジョーダンの絵が展示してあったんで、同じような絵を高校の頃から描いてた身としてたぶんここ大丈夫なんじゃねーかと思っていきなり押しかけたらわりとあっさり仲間にしてくれた。四年生もいたが三年生がいじっても大丈夫な感じだった。NBAや三国志の話もできて、活動は年に一度展覧会の絵を描くか、描かない部室には福本伸行作品がぎっしりあってよく麻雀をした。同じ学科の後輩も多く、彼らの家でベルセルクや勇午を読んだ。スカタン野郎・スカタン天国というメチャクチャ絵のうまい漫画があってマネして買った。

それと隣の部室で何やってるかわかんないサークルがあったんで聞いてみたら、ミニコミ誌を作るとこだが二年前から作ってない、という本当に得体のしれないサークルで、プロ雀士や学生起業家がいて本当に得体が知れなかったが自分もなかなか得体が知れない漫画家の卵として受け入れられた。このサークルの先輩が一年生の頃いた先輩が在学中に芸人になって、相方の光浦靖子が実家に「娘さんをください」と言いに来たそうだ。OLをしながらたまにTVに出るその人はオアシズの大久保佳代子という人だ。


大学の授業で製鉄所の跡地利用という課題があり、ちょっと前にアシスタント先で未来少年コナンのレーザーディスクで全話見たこともあって、文明崩壊後の工場跡地に人が住み着く「スパナ」というネームを描いた。当時自分に求められてた作風とは全然違ったのだが久しぶりに通った。原稿は定規とトーンを使わずに描こうと自分の中で決めた。原稿をサークルの部室や食堂、授業中に描いてたこともあって教授に見られたが「面白いことやってるな」と笑われた。

そのままGWになって原稿を描こうと思ってたが、ふとこのままじゃいけないと思った。カバンに着替えと友人から借りた全国ユースホステルの本を入れて午前三時、バイクに乗って北に向かった。いつもアシスタントに向かう道からそのまま千葉を抜け茨城まで太平洋までまっすぐ行き、右手に朝焼けに染まる海を見ながら福島県を通り抜け、仙台についたのは朝の八時だった。青葉城を観光しさらに北上、松島って俳句のあれかと立ち寄り、道路標示に中尊寺とあって教科書で読んだとこかと立ち寄って金剛堂を見た。さすがに眠くなって花巻のユースに立ち寄ったらちょうどベッドが空いてて泊まれた。

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