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noteという場所

※下書き状態のものが公開されてたみたいです。すいません。

noteが自分にとって特別な場所であった最初の理由は読者としてだった。

書く場所としてHPは別にあるし、ブログもある。SNSもあるし、たいていのことはtwitterに書けば終わりだった。

noteを見て思ったのは、世の中には専業・兼業関わらずいろんなクリエイターがいて、自分なりの関わり方で表現をしている。それは必ずしも商業ではない。これがプロとして「お金がもらえる仕事」としての表現とは何なのかを追求せねばならなかった自分にとってはずいぶん息抜きになった。

実際、ブログ一つ書くにしても広告収入であったりアクセス数を意識せねばならなかった。巷にあるそういうのは広告バナーで埋め尽くされていたし、情報商材のような誘導やサロン化などメリットをうたう文章に溢れていた。そういうものを除外したシンプルな空間であるnoteだからこそ、クリエイターが心を開いて本音を書いてる感じがした。 

そこでひとまずは、自分もそういうものに挑戦したブログの子育て四コマ「産んでもいいけど育てない」を少しづつ載せてみた。子供が生まれるまでの記録も兼ねて描いては見たが、巷に溢れる人気子育てブロガーに埋もれて誰にも読まれていなかった。

noteに載せることで、相性がいいのか少しづつ読まれるようになった。

読む人がいれば描きたい気持ちが起きる。そこにお金や仕事の意識はない。

最初は現状の漫画家としての自分と切り離していたが、強く関連付けるわけでもなければ隠すほどでもないので緩やかに連結していった。仕事ではなく衝動、描きたいから描くという本来のギアに近づけていった。

たまにバズったりするくらいにはなった。

LINEスタンプも、表現や遊びの延長として、世に出るまでの悩みの部分が多い本業とは別の、ユーザーの反応と数字・金銭がダイレクトに戻ってくる、それが次の創作意欲になるサイクルに戻ることができた。一番ハマってた時期からもう数年経つが今でも月に数万円の売り上げがある。これは正直、かけた労力や時間で比べたらどの電子書籍より効率がいい。

そこから子育て系の仕事が一部入るようになり、子供が生まれる前に拾った猫が主人公の漫画「ねこはなはなし」を連載することになった。これははたして仕事なのか日記なのか自慢なのか極めてあいまいな経験だった。

作風や作家性という殻が全くなくなった。

そのとき興味があるもの、描きたいと思ったものに一貫性はない。描いてるのが僕であることこそが一貫性だ。僕自身が人生のステージによって変化している人間であることを素直に受け入れることができた。

それでいて、かつては描けなかったものを描けるタイミングが来た。猫で得たつながりや信頼、出版社を経由しない表現の形、いろんなことができる今だから、お金になることを優先しなくても描けるものが増えて、結果それが仕事にできるようになった。

現在は商業の仕事として充実しているので、こちらで新たな可能性や表現の展開を考えるフェーズではなくなった。

ただここは義務や責任が発生しないものに価値があるので、そういう場所としてこれからも取っておきたいと思う。

夏目義徳

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