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大学デビューに失敗して漫画家デビューした話

ここまで漫画家になる予定ではなかったと言いながら自分の読んだ漫画歴を当時を思い出しながら書いてみると(それでも多分実際読んだ漫画の半分も書いてないと思う)そりゃ漫画家になるだろうという気もしてきたが、当時のジャンプが黄金期を迎える時代に生きた世代はみんなこれくらい読んでるだろうと思う。

※書き出すときにこれを書くには前に読んだあれも書かないとと過去の文章をいちいち追加してる場合があります

漫画メインに書き出したからゲームやアニメについては割愛してるが、ゲーム会社時代の同期(東大卒)と話した時、年代の特定がだいたいそのときやってたゲームと連動してたからやっぱそんなもんだろうと思った。あと本当に東大に入るような人はこんだけゲームばっかやってても受かるんだ、自分には無理だったなと思った。


大学に入った当初は訛りも抜けずこんな知らん土地に一人で大丈夫かと思ったが、最初の説明会の時周囲を見たら全員ノートに絵を描いてたんで大丈夫だなと思った。自分は漫画を描いてたが、車を描いてる人、ザク、動物、虫、教授の顔、いろいろだった。基本的にクラスに一人くらいいるいっつもノートになんか絵描いてる奴が集まってきてたので、割とすぐなじんだ。

絵を描くと言っても美大に行くほど表現したいとかアートに寄るより、国立に行くくらいの経済感覚と工学部に入るくらいの就職見通し、好きなことに近い中で現実的に社会に組み込まれるであろう常識のラインも近かった。最初に学科の偉大な卒業生としてやなせたかし先生がいることを生協主催の新入生歓迎クイズで教わった。

そして大学デビューしそこねた。

もう体育会で部活するほど自分の成長を見込んでなかったので、大学生らしくテニスサークル新歓に出たが見事に性に合わず、バスケ同好会で気楽に運動しこうと思ったら人数が多くそこそこ上下関係もあって、練習に出てもあまり順番がこないのに飲み会で酒が好きでもなく普通に行かなくなった。

バイトも塾講の募集を見て説明会に行ったら、基本生徒に迷惑がかかるから最初に決まった同じ場所を一年間辞められない、配属先が遠くの学校になるかもしれないと聞かされた。今から一年後のスケジュールまで埋まるのがいやでやめといた。飲食も面接で落ちた。結局日雇いの引っ越し屋かマリンスタジアムの警備を登録してたまにやる程度だった。

気が付けば同じ学科の男どもの家のどこかでアニメや映画のビデオを見たり漫画読んだりゲームしたりしながらだらだら過ごしていた。

大学の授業は自分で埋めるのだが、朝一から夕方まで全部入れるものではないことが知らなかったので朝から晩まで大学にいた。興味より時間優先で埋めた一般教養の授業は面白かった。

経済学の教授が手塚治虫のサインを持ってるがプレミアがつかないのは作者の価値より希少性、あの人誰にでもサインくれるんですよ、と聞いた。教育学では学生運動で投獄されたような教授の話で、レポートで中学時代の教師から受けた暴力について書き連ねたら優が取れた。社会学は母性本能という神話がいかにウソで作られたかという本のレポートで単位を取った。別の社会学の試験は「友人がが死にたいと相談してきたときの対応を書け」という問題にレポート用紙に1ページ漫画を描いたら優だった。

逆に必修科目の成績はガタガタだった。高校までそこそこ頭がいい方かと思ってたがわりと勉強がクイズ感覚の趣味だったからってだけで、やる気も目的もない物理やドイツ語などは半分もできなかった。

専門の授業では絵を描く実技的なものから生産性や材料、何かをデザインするということは誰に向けて作るかということか、など、今となればかなり役に立つことを多く聞いた。特に「納期に間に合うのもデザイナーの仕事」というのが頭に残った。自己満足や自己表現ではない、デザインというのは何もおしゃれとかカッコいいだけじゃない。この世にあるすべての製品はその形になったのには理由がある、誰かがデザインしたからだ。デザインとはまだできてないものの完成形を提示することだと思った。


教室にはやはり常に誰かが買ったジャンプ・マガジン・サンデー、スピリッツやヤンマガがあり目を通した。すごいよマサルさんがギャグの時代を変え始めた時期だった。友人に大友克洋マニアがいてAKIRAを再読、映画版から童夢、もう出てない短編集まで全部読んだ。中学の時一時期読んだファイブスター物語も誰かの家で全巻読んだ。それぞれ自分の人生を変えたものを持ち寄った。自分は実家から持ってきたMASTERキートンとパイナップルARMYだったと思う。

そんな感じで夏休みに入り、一か月以上ほとんど実家にいた。今考えたら軽いホームシックだったのかも知れない。食事も洗濯もしなくていい、過去の友人に会うだけで全く前進しない時間だった。中学時代仲が良くで高校が別だった友人は就職していた。彼の部屋で読んだベルセルクは続きが気になってしょうがなく、続刊は自分で買った。

まだ浪人生の方が目的を持って充実して見えた。実際一浪くらい同級生になれば関係ないから人生で一年余分に使えるっていいなと思った。

いや、自分にも目的があったはずだ。

実家から引っ張り出してきたのは高校一年生の時描いたネームと描きかけの原稿だった。まずはこれを完成させよう、いろんなことはそのあと考える。

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