文理の働き方・評価格差

技術系の職業について少し考える事だが、技術系は日常生活の中で一体どこまで仕事をやったらいいだろうか?

技術者は眠らず

例えば東大でお世話になった先生は「24時間365日実験のことを考えていられるぐらいになってやっと一人前」と言っていた。そんな馬鹿な…と思っていたら、私の親父も「夢の中で図面引くようになったら一流だよ」と言う。

つまり「寝てる時間ですら仕事のことを思い浮かべている」という事である。ブラックとかいう次元をはるかに超えるが、技術系はそうでなくてはならないのだろうか?

文理の不公平感

単純に言って不公平だと思うのだ。文系営業とかは定時でホイホイ帰っちゃうのに、理系技術者は「技術者だから」という理由で07~28時まで21時間労働し続けるような不公平があっていいだろうか(実例です)。いいわけないだろ、その人は仕事の忙しさで毎日死ぬほど苦しんでいたぞ。

しかもそれで理系技術者と文系営業の給料が殆ど同じだったりするというのは、もはや火を見るより明らかに「理系冷遇・技術者冷遇」であると私は思う。
それならば文系営業だって定時後に「毎日コミュニケーションセミナーに参加して営業力を高める!」とか「毎日得意先の人と翌朝まで飲み明かす!」とかやらないといけないはずなのに、どうして彼らは同じ給料でさっさと帰っちゃうのかが物凄く納得がいかない。

働き方改革だ!と言って確かに早く帰れるようになっている。けれども技術者は家に技術資料持ち帰って目を通すような時間もあるし、研究職だったらそれこそ24時間論文を読み漁り続けているようなことも多いだろう。
文系の人たちが「プライベートな時間は趣味に夢中!」とか言ってる最中に、理系は何故日夜残業代も出ない持ち帰り残業で日本の産業を奴隷のように支えなくてはならないのか。それを不公平と言わずして何といえばいいのか。

日本の技術的凋落と理系冷遇

結局のところ日本の技術力がどんどん崩壊して今や論文数・特許数でこれまで下に見ていたはずの色んな国に追い抜かされるがままになっているのは、文系と同じ評価軸でしか理系を評価できなかったことが最大の敗因ではないかと思っている。
文系出身者がお客さんと話をして書類を作っている間に、理系は実験をしたりモノを作ったりしている。文系なら書類の枚数もお客さんとの契約内容も全部数値化できるが、理系の成果は簡単には出てこない上に数値化することも難しい。
しかし今その瞬間に販売している何らかのモノ・サービスを一番最初に作ったのは誰か?文系が書類を組み合わせて電子機器や化学物質を作ったのではないはずだが、それを理解できているのか?

商社と製造業:組織体制と人

例えば、最初から商社のような組織であれば文系がデカい顔するのは当たり前だと思うし、それ自体を否定する気はない。
世の中には交易・貿易のように商売をする人や、社会のお金の流れを交通整理する投資家・銀行家のような人が居なければならない事は明らかで、それ自体は全く正しいと思っている。
が、例えば製造業のような業種で文系が全てを支配しているというのは…私はかなり理解できない。そんな環境で技術が育つとは到底思えない(普通に育たない)。

私は文系出身の理系東大院卒というちょっと変わった立場だから考える事だけど、文系と理系で評価に差が出て、働き方にすら差が出るような会社は基本的に絶対に上手く行かないと考える。
人事は先ず何とかして「理系を評価するための価値基準」を社内に設けなければならないし、それが文系と比べて不当に低くなるようなことがあってはならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?